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family  
  サバービアの理想的な主婦像と表層や秩序に囚われたコミュニティ
――ウォーターズの『シリアル・ママ』とハミルトンの『A Map of the World』をめぐって
  感謝祭とサバーバン・ライフ――都市から郊外ではなく、郊外から都市、そして神話へ
  確かなものがない時代のなかで家族は何に救いを見出すのか
――『綴り字のシーズン』『天空の草原のナンサ』『愛より強い旅』『ある子供』をめぐって
  表層的な家族の幸福と個人のアイデンティティの軋轢から本質的な絆へ
――『めぐりあう時間たち』と『ホーリー・スモーク』をめぐって

家族の見せかけの幸福に揺さぶりをかけ、実態を炙りだす
――『エデンより彼方に』『めぐりあう時間たち』『アバウト・シュミット』『BORDER LINE』『蛇イチゴ』をめぐって
internet  
ホモセクシュアリティとカトリックの信仰――『司祭』と『月の瞳』をめぐって
  マチズモを通して現代の欲望を見直す――『焼け石に水』と『夜になるまえに』をめぐって
  水のイメージと裸体、欲望、そして自己の本来の姿――『まぼろし』と『天国の口、終りの楽園。』をめぐって
  規格化されることを拒む架空の物語と異形の身体――『ビッグ・フィッシュ』と『スイミング・プール』をめぐって
  映画に見るオーストラリアの女性問題――レイプ・カルチャーと揺れるフェミニズム
  ホモソーシャル、ホモセクシュアル、ホモフォビア――『リバティーン』と『ブロークバック・マウンテン』をめぐって
  愛の発見――『ランジェ公爵夫人』と『接吻』をめぐって
  表層的な家族の幸福と個人のアイデンティティの軋轢から本質的な絆へ
――『めぐりあう時間たち』と『ホーリー・スモーク』をめぐって
  80年代からグローバリゼーションの時代へ、他者性はどう変化したか
――『ストーリーテリング』『ジョンQ―最後の決断―』『チェンジング・レーン』『ロバート・イーズ』をめぐって
  history  
国王と民衆の力関係の変化が生みだす怪物――『ジェヴォーダンの獣』『ヴィドック』『フロム・ヘル』
  メイヘム・パーヴァにひねりを加え、階級や家族に揺さぶりをかける――『ゴスフォード・パーク』と『8人の女たち』をめぐって
  歴史と現代の繋がりを見直す――『百年恋歌』と『麦の穂をゆらす風』をめぐって
  レンブラントとハーフェズ、時代を超えるヴィジョン――『レンブラントの夜警』と『ハーフェズ ペルシャの詩』をめぐって
  西洋と東洋の狭間で男と女はなにを見るのか――『シルク』と『ラスト、コーション』をめぐって
  実在の人物と架空の人物、歴史的な事実と虚構の狭間
――『オール・ザ・キングスメン』と『ラスト・キング・オブ・スコットランド』をめぐって
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  生身の身体とテクノロジー、そして私たちを覚醒させる“痛み”――『コズモポリス』と『ホーリー・モーターズ』をめぐって
internet  
映画界を刺激するオンライン・フィルム――IFILMとALWAYSi.com
  注目を集めるオンライン映画祭――Yahoo!オンライン映画祭とマイク・フィッギス
  ドグマ95から広がるネットワーク――ラース・フォン・トリアーの新たな試み
 
 
黒人社会の二極分化を象徴する2本の映画――『ジャングル・フィーバー』と『ボーイズン・ザ・フッド』をめぐって
  ルイス・ファラカンとスパイク・リー――あるいはミリオン・マン・マーチ≠ニ『ゲット・オン・ザ・バス』
  レーガン時代、黒人/女性/同性愛者であることの痛みと覚醒――『プッシュ』と『プレシャス』をめぐって
  80年代からグローバリゼーションの時代へ、他者性はどう変化したか
――『ストーリーテリング』『ジョンQ―最後の決断―』『チェンジング・レーン』『ロバート・イーズ』をめぐって
  ロサンゼルス、差別の表層と深層に向けられた眼差し――『クラッシュ』と『RIZE ライズ』をめぐって
  グローバリズムのなかの歴史、エキゾティシズムのなかの戦争――『愛の世紀』と『ブラックホーク・ダウン』をめぐって
  ヴェトナム戦争と人種問題が入り組む60年代アメリカの"英雄の条件"――『ワンス・アンド・フォーエバー』と『アリ』をめぐって
  戦争における非人格化、脱人間化の実態に迫る
――『キプールの記憶』『少年義勇兵』『リーベンクイズ 日本鬼子』『タイガーランド』をめぐって
  生と死ではなく個と無という観点から戦争に迫る
――『シン・レッド・ライン』と『U・ボート ディレクターズ・カット』をめぐって
  画一的な制度と豊かな想像力の狭間で――『白いカラス』と『カーサ・エスペランサ』をめぐって
  ドキュメンタリーと劇映画、アイデンティティと通過儀礼――『グアンタナモ、僕達が見た真実』と『ワサップ!』をめぐって
  “モザイク”と呼ばれるカナダの多文化主義の独自性と功罪
――『モザイクの狂気』とキラン・アルワリアと『灼熱の魂』をめぐって
  旧世界ヨーロッパと新世界アメリカの狭間で
――『金色の嘘』『耳に残るは君の歌声』『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』をめぐって
  フランスにおける移民をめぐる問題――映画『憎しみ』とその背景
  フランスとドイツ、移民をめぐる不安と葛藤と欲望――『隠された記憶』と『愛より強く』をめぐって
  マイケル・ナイマンのポーランド・コネクション
――『僕がいない場所』、モーション・トリオ、『アンナと過ごした4日間』
  音楽から見えてくる冷戦以後
――『クロッシング・ザ・ブリッジ』と『今宵、フィッツジェラルド劇場で』をめぐって
  国境を越える音楽――『ジプシー・キャラバン』と『ヴィットリオ広場のオーケストラ』をめぐって
  チベット問題と映画をめぐる米中の駆け引き――『セブン・イヤーズ・イン・チベット』『クンドゥン』『北京のふたり』
  チベットの現実とナショナリズムの行方――『風の馬』と『雪の下の炎』をめぐって
  突然の悲劇、安全な場所、西洋と非西洋、アフリカ
――アイラ・モーリーの『日曜日の空は』とスサンネ・ビアの世界をめぐって
  インド映画のなかのタミル語映画――『ヤジャマン』『アルナーチャラム』『アンジャリ』
  インディアンの人々の声に耳を傾ける――『心の指紋』と『ネイティブ・ハート』をめぐって
  越えがたい境界が生み出す現実と幻想――『プロミス』『アフガン・アルファベット』
『遥かなるクルディスタン』『酔っぱらった馬の時間』をめぐって
  二元論に縛られた男たち、二元論を超える女たち――『シリアの花嫁』と『へばの』をめぐって
psychology  
  死と生の位相を異なる視点から掘り下げる――『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』
『28日後…』『ドラゴンヘッド』『DEAD END RUN』『10億分の1の男』をめぐって
  操る者と操られる者、自己と世界の揺らぎ――『ゾディアック』『主人公は僕だった』
『あるスキャンダルの覚え書き』『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』『プレステージ』をめぐって
  ハイブリッドな映像空間を通して内面に迫る――『カポーティ』と『セレブの種』をめぐって
  交錯する現実と舞台の狭間に浮かび上がる感情
――『ムーラン・ルージュ』『ビバ!ビバ!キューバ』『インティマシー/親密』『エスター・カーン』『インタビュー』をめぐって
  他者や世界を受け入れるための儀式――『サイボーグでも大丈夫』と『クワイエットルームにようこそ』をめぐって
  規格化されることを拒む架空の物語と異形の身体――『ビッグ・フィッシュ』と『スイミング・プール』をめぐって
  死を生産するデス・ファクトリーとしてのジェノサイド――『ルワンダの涙』と『フリージア』をめぐって
  ポスト・サバービアとセラピーとしての暴力と狂気
――『ボウリング・フォー・コロンバイン』、『アカルイミライ』、『カンパニー・マン』をめぐって

老人の欲望を探るベントンの“回春三部作”
――『ノーバディーズ・フール』、『トワイライト』、『白いカラス』をめぐって
- religion
  ホモセクシュアリティとカトリックの信仰――『司祭』と『月の瞳』をめぐって
信仰に名を借りた権力による支配の実態を暴く――『マグダレンの祈り』と『アマロ神父の罪』をめぐって
society  
サッチャリズムの現実を対極から描くボイルとローチ
  サッチャリズムとイギリス映画――社会の劇的な変化と映画の強度の関係
  1986年という転換点から見たイギリス映画の現状――デヴィッド・パットナムの移籍とインディーズ系監督の台頭
  イギリス・ルネサンス、復讐、そして、監視カメラ――『リベンジャーズ・トラジディ』と『HOTEL』をめぐって
  政治は日常や肉体のなかにある――『プラットホーム』『同級生』『インティマシー/親密』をめぐって
  中央と地方の距離が生み出す現実と幻想と痛み――『SWEET SIXTEEN』と『青の稲妻』をめぐって
  社会派とは異なる強い眼差しで、生身の人間を浮き彫りにする――『イン・ディス・ワールド』と『息子のまなざし』をめぐって
  内と外から見たペレストロイカ――『ゼロシティ』と『ロシア・ハウス』をめぐって
  安住の地へのロマンティシズム――『君はどこにいるの?』と『モスクワ・天使のいない夜』をめぐって
  モスクワがハリウッドに出会った日――ペレストロイカはモスフィルムに明るい未来を与えたか?
  ソビエト連邦崩壊とサブ・カルチャー――『ワイルド・イースト』と『私は20歳』をめぐって
  アメリカの無垢な時代の終焉――50年代最大の醜聞を描いた『クイズ・ショウ』とその背景
  アメリカを映しだす鏡としての国境――『すべての美しい馬』と『渦』をめぐって
  “敵対者”としての悪魔との闘争が意味するもの
――『オーメン』『オーメン2/ダミアン』『オーメン/最後の闘争』をめぐって
  アメリカの夢、そして終わりなき悪夢としての消費――冷戦と冷戦以後の対比から見えてくる夢の実態
  80年代から浮かび上がるアメリカのダークサイド――トッド・ヘインズの世界
  サバービア、ゲーテッド・コミュニティ、刑務所――犯罪や暴力に対する強迫観念が世界を牢獄に変えていく
  ロサンゼルス、ありえたかもしれない未来の廃墟から
――チャールズ・トンプソン/フランク・ブラックのオブセッション
  人と人の繋がりが世界を変えていく
――『サムサッカー』『ワールド・トレード・センター』『レディ・イン・ザ・ウォーター』 『ニキフォル』をめぐって
  内部と外部の図式が崩壊した時代を生きる――『おわらない物語‐アビバの場合‐』と『肌の隙間』をめぐって
  閉塞した日常から“ありえない外部”へ
――『ゴーストワールド』『19』『波』『エレベーター』『魚と寝る女』をめぐって
  映画から読み解くアメリカ激動のゼロ年代――『ダークナイト』、『シリアナ』、『扉をたたく人』をめぐって
  グローバリゼーションと地域社会の崩壊――『モンドヴィーノ』と『そして、ひと粒のひかり』をめぐって
  男女の関係に集約されるグローバリゼーション――『街のあかり』と『ラザロ‐LAZARUS‐』をめぐって
  グローバリズムを象徴する空間の表と裏の世界
――『ゲート・トゥ・ヘヴン』と『堕天使のパスポート』をめぐって
  グローバリゼーションのなかで揺らぐ歴史と個人――『マンデラの名もなき看守』『コロッサル・ユース』
『シークレット・サンシャイン』『イースタン・プロミス』『闇の子供たち』をめぐって
  テレビに翻弄され、人生を狂わせていく者たち――『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』と『バス174』をめぐって
  徹底した合理化が生み出す不条理――『OUT』と『ジョンQ―最後の決断―』をめぐって
  制度と金と抵抗、そして物語の現在――『スエリーの青空』『4ヶ月、3週と2日』『ファーストフード・ネイション』
『ノーカントリー』『マイ・ブルーベリー・ナイツ』をめぐって
  失われるコミュニティ、地縁は再生できるのか――『船、山にのぼる』と『コロッサル・ユース』をめぐって
  世界に広がる格差はいかにして乗り越えられるのか――『アメリカばんざい』『シティ・オブ・メン』
『この自由な世界で』『地球でいちばん幸せな場所』『12人の怒れる男』をめぐって
  映画に見る台湾の過去と現在、そして個人の在り方――1994年製作の台湾映画を中心に
  急激な変貌を遂げた中国の現在から過去を見直す――『いま ここにある風景』『ミラクル7号』『小さな赤い花』
『1978年、冬。』『天安門、恋人たち』『雲南の花嫁』をめぐって
  地霊となって甦る歴史
――『叫(さけび)』『口裂け女』『アルゼンチンババア』『鉄人28号 白昼の残月』『蟲師』をめぐって
  豊かな時代、無の支配、生と死の意味
――『スカイ・クロラ』『西の魔女が死んだ』『東南角部屋二階の女』『落語娘』『おくりびと』をめぐって
  いまある世界が失ってしまったものを呼び覚ますために
――『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』と『ゲルマニウムの夜』をめぐって
internet  
キッズであることのリアリティ――『KIDS』と『キッズ・リターン』をめぐって
  17歳を切りとる監督たち――物語の喪失から虚構の変質、そして物語の再生へ
  西部劇という幻想と現実の狭間で銃を抜く若者――『ダウン・イン・ザ・バレー』と『ディア・ウェンディ』をめぐって
     
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