マイケル・ウィンターボトム とこれまで彼の作品のスタッフとして活動してきたマット・ホワイトクロスが共同で監督した『グアンタナモ、僕達が見た真実』と、ラリー・クラークの新作『ワサップ!』 には、実に興味深い共通点がある。どちらの映画も、ドキュメンタリーと劇映画の狭間に独自の空間を切り開き、文化の境界に立たされた個人のアイデンティティを鋭く掘り下げ、現代を象徴するような通過儀礼を描き出しているのだ。
『グアンタナモ〜』は、パキスタン系イギリス人の若者たちが、米英軍のアフガニスタン侵攻に巻き込まれ、テロリストとしてグアンタナモ米軍基地に2年以上も拘束された事件を題材にしている。だが、この映画は、必ずしも客観的な事実に基づいているわけではない。ウィンターボトムとホワイトクロスは、被害者であるアシフ、ローヘル、シャフィクを長期に渡って取材し、彼らによく似た俳優を起用して撮影を行った。完成した映画では、過酷な体験を描くドラマと本人たちのインタビューやニュース映像が緻密に構成され、リアルに再現された体験とそれを記憶として語る現在の彼らとの繋がりが浮き彫りにされていく。
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『ワサップ!』に登場するのは、ロスのサウス・セントラルに暮らすヒスパニックの少年たちだ。ラリー・クラークは、フランスの雑誌の依頼で、彼の前作『KEN PARK』の主演女優の写真を撮るためにロスを訪れたときに、初めてこの少年たちと出会った。彼らに興味を持ったクラークは、少年たちと行動をともにするようになり、一年かけて信頼関係を築き、彼らが話してくれた体験をもとに『ワサップ!』のストーリーを書いた。
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『グアンタナモ〜』と『ワサップ!』には、事件の被害者やヒスパニックの少年たちから見た世界が描かれるが、共通点はそれだけではない。2本の映画には、ふたつのアイデンティティのせめぎ合いがある。ひとつは、個人ではなく、国家や政治のアイデンティティだ。2本の映画の主人公たちを取り巻く世界は、サミュエル・ハンチントンが、その著作を通して掘り下げてきた世界と重なる。
冷戦後の世界の変化を主題にした『文明の衝突』では、国家や政治のアイデンティティの基盤がイデオロギーから文化にシフトすることによって、西欧とイスラムの間に生じる緊張関係が検証されている。『分断されるアメリカ』では、アメリカで最大のマイノリティとなったヒスパニックが、今後も増加していくことによって、文化や言語をめぐってアメリカが二分される可能性が示唆されている。この2本の映画では、客観的にみれば非常に複雑な立場にあるにもかかわらず、これまでアイデンティティというものを明確に意識したこともない主人公たちが、いきなりそんな文化の境界に立たされる。そして、国家や政治のアイデンティティと彼らの複雑なアイデンティティが激しくせめぎ合うことになるのだ。
『グアンタナモ〜』の主人公たちが、文化の境界に立たされるということは、彼らがテロリストとみなされ、執拗な尋問や暴行を受けることだけを意味するわけではない。イギリスで平穏に暮らしていた彼らが、アフガニスタン侵攻に巻き込まれていく過程でも、文化の境界が影響を及ぼしている。『文明の衝突』では、西欧とイスラム世界における政治的な忠誠の構造の違いがこんなふうに説明されている。忠誠の対象を、家族、一族、部族などの狭い実体、中間に位置する国民国家、そして宗教や言語のコミュニティというさらに広い実体に分けた場合、西欧の忠誠は中間の国民国家で頂点に達する傾向にあるのに対し、イスラム世界では、中間が落ち込み、部族と宗教に対する忠誠が決定的な役割を果たす。