政治学者サミュエル・ハンチントンの『分断されるアメリカ』には、以下のような記述がある。「2000年にはアメリカの全人口の12パーセントに達したヒスパニック(そのうち3分の2がメキシコ系)は、2000年から2002年に約10パーセント増加して黒人よりも多くなった」
急速に膨張するヒスパニックは、アメリカで最大のマイノリティとなった。そして、そんな変化が最も端的に表れているのが、『ワサップ!』の舞台となるロサンゼルスだ。1950年のロサンゼルスは、白人が人口の78パーセントを占め、アメリカの大都市のなかで白人が最も多い場所だった。
しかし、2000年には、代表的な8大都市のなかで白人が最も少ない場所に変わっていた。「ロサンゼルスの住民の46.5パーセントがヒスパニックであり、ヒスパニック以外の白人は29.7パーセントだった。2010年になれば、ヒスパニックはロサンゼルスの人口の60パーセントを占めるようになると推定されている」(前掲同書)
『ワサップ!』の主人公であるヒスパニックの少年たちは、サウス・セントラルに暮らしている。そのサウス・セントラルにまつわる映画で記憶に新しいのは、ファッション・フォトグラファーのデヴィッド・ラシャペルが監督したドキュメンタリー『RIZE ライズ』(05)だ。この作品の冒頭に出てくる1965年のワッツ暴動と1992年のロス暴動の映像は、サウス・セントラルが歴史的にも文化的にも黒人のコミュニティであることを示唆している。
マイク・デイヴィスの『要塞都市LA』には、ワッツ暴動について以下のような記述がある。「なにより重要なのは、蜂起がサウスセントラル・ロサンゼルスの鋭気と統一を促し、タプスコットのアーケストラから、ワッツ・プロフェッツのラップ詩まで、幅広い、自前のブラック・アート運動を生み出したことだ」。そして、『RIZE』の本編では、ロス暴動と同じ年にひとりの男が始めたダンスから発展したクラウン・ダンスやクランプ・ダンスのムーヴメントに迫っていく。
だが、暴動の混乱を乗り越え、独自の文化を育んできたサウス・セントラルも、新しい移民の台頭によって変化を余儀なくされている。サウス・セントラルの黒人の人口は、80年代を通して84万人から67万2千人に減少し、その傾向は90年代にも続き、現在では、ヒスパニックが黒人を上回っているといわれる。そこには当然、軋轢も生じることだろう。
『ワサップ!』の主人公たちと黒人の若者たちの間には緊張がある。興味深いのは、長髪にタイトなジーンズ、スケボーにハードコア・パンクという彼らのスタイルだ。ヒップホップが主流であるインナーシティの黒人の若者たちには、彼らが白人文化に迎合しているように見えるかもしれない。
主人公たちは、ヒスパニックの多数派であるメキシコ人ではなく、祖国の政情不安から逃れてきたエルサルバドル人やグアテマラ人の子供らしい。彼らの両親は、離婚していたり、仕事に追われているため、彼らがそれぞれの伝統文化に触れる機会もあまりない。一方では、彼らの台詞にもあるように、黒人の若者たちが彼らを自分たちに同化させようとする。そんな環境のなかで、どのように自分たちのアイデンティティをかたちにしようとするのか。彼らは直感的に、インナーシティの黒人文化とは決して相容れないスタイルをたぐり寄せているといえる。
そして、そのスタイルが、彼らを“9つの階段”という白人の世界に導く。そこで彼らは職務質問を受け、ZIP codeをめぐるやりとりがトラブルに発展していく。かつて「The Nation」という雑誌に載った“ロサンゼルスの2つの世界”という記事では、対極にある世界が、90210と90059というZIP codeで表現されていた。90210は、映画のタイトル(『ビバリーヒルズ高校白書[原題:Beverly Hills 90210]』)にもなっているように、よく知られている。一方、90059は、サウス・セントラルのワッツ地区にあたる。この映画は、主人公たちが、90059(彼らはワッツ地区の住人ではないが)と90210の間を往復する冒険の旅を描いているといえる。 |