マイケル・ウィンターボトムがコメディに挑戦した新作『いつまでも二人で』。このドラマの鍵を握るのは過去の記憶だ。結婚して5年になる29歳のロージーと34歳のヴィンセントは、子供が欲しいのにできない悩みを抱え、関係がぎくしゃくしている。
そんな時、ロージーの前に、かつて文通を通して好意を持ったフランス人のブノワが現れる。それがきっかけとなって、ロージーは過去の記憶にとらわれ、心が揺れ動きだす。
「ロージーにとって、ブノワは個人的によく知らない人物だ。文通を通してお互いに、自分のなかに作り上げてしまった存在で、ロージーは彼と実質的な関係を築いたわけではない。そういうロマンティックに作り上げた存在だから、夫との対比が明確になっている。
もしかつてロージーとブノワが現実に出会っていたら、彼女が若い頃に描いていた自分の将来像と、大人になった自分が夫と送っている現実の生活とのギャップをこれほど感じることはなかっただろう。この映画が投げかけるのは、郊外に暮らす主人公が、同じことが繰り返される退屈な生活のなかで、
これは自分が17、18歳の時に思い描いた生活ではないと考え、昔の夢を追いかける機会が訪れた時、果たしてそれを選ぶかどうかということだ。年齢を重ねると誰もが、違った選択をしていれば違った人生になったのだろうかと考え始める。
ロージーはまさにそう考え始めたところで、あれほど子供がほしいのにできないというジレンマがそれを明確に語っている。彼女は、どこかで曲がる角を間違えたから、好きでもない場所にいる羽目になったのではと考えている。そこへブノワが現れるという転機が訪れる。
彼女は、人生を変えられるかもしれない、若い頃の自分に戻れるかもしれないと考える。この物語にロマンティックとコミカルという二つのバージョンがあったとすれば、ロマンティックな方では、ロージーを、恋をし、若く自由でありたい女性として描き、コメディでは、彼女が妥協して選んだ道は、
実は誠実な選択であったということを描くと思う。現実の世界となりたかった自分の間で妥協点を見出そうとすることが、人々の人生をコミカルかつ悲劇的にしているんだ」
ロージーとヴィンセントが暮らしているのは、北アイルランドのベルファスト。この舞台からはアイルランド紛争がすぐに思い浮かぶが、男と女の心のすれ違いを描くドラマからはこの街の別な一面が見えてくる。
「以前、ベルファストを舞台にIRAをテーマにしたテレビ映画を作ったことがあるが、あそこを舞台にした話の典型といえば、IRA、政治、紛争などで、それは自然なことだし、大切なことでもある。しかし、ベルファストにいると、ほとんどの人たちの生活は、他とまったく変わらないことがわかる。
政治や社会状況が人々の生活を左右しているかというと、事はもっと複雑で、実はそうではない。人々の生活は紛争だけではなく、結婚や子供を持つこと、恋をすることを中心にまわっている。ベルファストにも都会から郊外に移り住む人々の日常があり、再開発も行われている。観る側が期待しているものをそのまま描くよりも、
実際に存在しながら、あまり期待されていない一面を見せる方が面白いと思った」
しかし、そこがベルファストであるという現実は、ラジオから流れるニュースや新聞などのディテールに反映されている。
「紛争は実際に存在するのだから、ラブ・コメディであっても何らかのかたちで触れる必要があった。ベルファストはそれまで比較的静かだったが、撮影中に三年振りにひどい衝突が起こった。緊迫した状況が続き、紛争が激化する恐れもあったので、隣町に一時避難しなければならなかった。
ブノワが読んでいる新聞も実際にそのときに発行されたもので、トラブルの記事で埋め尽くされていた。そのことでこの物語のホームドラマ的な部分が際立ったと思う」
また、ヴィンセントの立場もベルファストと繋がりがあるといえる。使命を背負い、緊張を強いられる警官を辞めた彼は、心の支えを失いつつある。そんな彼が大事にする愛車ジャガーは、警官だった彼のプライドと結びついているように見える。
「ジャガーは、ヴィンセントのような人物が好むだろうと思った車だ。警官だったというプライドと結びついているという指摘は確かにそうかもしれない。彼はロージーとの新しい生活を始めるために、警官を辞め、同僚や自分の人生を捨てて、義父の会社に移った。彼はある意味で、周囲から断絶してしまった人物といえる。
車が一番大事だというのは悲劇的で、そんなものに多大な投資をしているのは滑稽にすら見える。けれども彼には、ほかに自分の世界がない。これは特に男によく見られる傾向で、人と感情的な結びつきを築くことが苦手で、モノに走るんだ」
夫の裏切りを知ったロージーは、彼のジャガーを奪い、ブノワと過去に向かって走りだす。そのジャガーが波打ち際を揺れるように疾走する光景は実に印象深いものがある。
「あの場面にはロマンティックな逃避行という側面もあるが、同時に、逃げることに何の意味があるのか、本当にパリまで逃げて10代の頃の夢を生きられるのかという疑念も浮かび上がる。海辺を走ることは、それ以上逃げられないことも意味する。これは、いつまでも旅をつづけ、
大陸のなかで自分を見失うようなロード・ムーヴィーではない。ロージーがどんなに制約の多い生活を強いられても、きっとそれを壊すことはないだろうということを感じさせる場面になっているんだ」
『いつまでも二人で』と『ひかりのまち』では、子作りや子供の誕生が印象に残るが、これは偶然なのだろうか。
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