『グアンタナモ、僕達が見た真実』では、結婚式のために祖国に帰ったパキスタン系イギリス人の若者たちが、米英軍のアフガン侵攻に巻き込まれ、テロリストとしてグアンタナモ米軍基地に収容される。『マイティ・ハート』でも、主人公たちの文化的な背景が鍵を握る。ダニエルはユダヤ人で、マリアンヌは、オランダ人の父親とキューバ人の母親の間に生まれ、フランスで育った。アスラは、インドで生まれ、パキスタンで仕事をしている。
そんな背景を持つ彼らの存在は、誘拐事件によって歪められていく。アスラは、インドとパキスタンが対立関係にあるために、インド生まれというだけであらぬ疑いをかけられる。ダニエルは、ユダヤ人であることを知られないように注意を払ってきたが、どこかから情報がもれ、モサドのスパイであるかのように扱われる。国家や政治のアイデンティティに引きずり込まれ、そして殺害されるのだ。
さらにこの映画では、ふたつのアイデンティティのせめぎ合いが、まったく異なる形で強調されている。それは、夫を亡くしたマリアンヌの叫びと子供を出産する彼女の叫びが、重なるように描かれていることだ。
原作のなかで、マリアンヌは、西欧人に敵意を持つイスラム教徒の女性たちから話を聞いたときの体験について、こう書いている。「誰も私の出身や宗教について聞かなかったが、自分たちが混血の夫婦であることの利点をあらためてありがたく思った。血の混じった夫婦を悪く言える人はいない。混血については、個人であってもカップルであっても、その人の何かを知っていると言い切ることは誰にもできない。それは、混血の人間が、一般にいう国境に縛られないだけではなく、国境自体を意味のないものと感じているからだ。新しいものを創り出す自由を持っているからだ」
喪失の悲痛な叫びが出産時の叫びに変わることは、死と誕生という違いだけではなく、マリアンヌが国家や政治のアイデンティティの呪縛から解放されていくことも意味している。 |