「外国人の問題だ。おれは差別主義者じゃない。いや、まったくそうではない。だが、正直に言って・・いったい、奴らはおれたちの国になにをしに来たんだ?」
さらにこの物語には、<極右同盟>が移民排斥を訴えるデモを行うといったエピソードなども出てくる。ちなみに『歓迎されない人々』によれば、この小説が発表される前年にあたる73年に、精神異常のアルジェリア人が仕事中にフランス人を殺害するという事件が起こり、それをきっかけにマスコミが人々の感情を煽ったため、
報復が相次ぎ、52人のアルジェリア人が殺害され、無数の負傷者を出したとある。この小説はそんな時代の空気を反映しているといっていいだろう。
というように、シャポー刑事の言葉からは、低家賃住宅と移民労働者というふたつの問題が浮かび上がってくる。この問題は現実の世界のなかでは、その後もっと密接に結びついていくことになる。移民たちの目的が、単なる労働から入植へとしだいに変化していくにしたがって、彼らは、
低家賃住宅=郊外のクソッタレの団地に次々と入居していくことになり、この小説で描かれるような閉塞感に支配されていくのだ。
『歓迎されない人々 フランスのアラブ人』や『外国人労働者のフランス』は、移民労働者の問題がいっそう深刻化しつつある80年代半ばに発表されたものだが、どちらも当時のパリ市長ジャック・シラクの名前が頻繁に出てくる。たとえば彼は、移民について「彼らのある部分は、箸にも棒にもかからないひどい連中なのだ」と語り、
また、ニース市長がこの問題について、とくにそのために設計されたゲットー居住区に移民を国別に集合化するという提案をしたとき、それを好ましい方式だと認めていたという。『憎しみ』では、そうしたヴィジョンが現実のものになっているともいえる。
そして、『憎しみ』の背景としてもうひとつ注目しておかなければならないのが、移民のなかにある世代の壁だ。移民の第一世代は、結果はどうであれ、少なくとも自分たちの意思で労働者を必要とするフランスにやって来た。しかし、そこで生まれる新しい世代は、選択の自由もなくそこにいる。しかも、第一世代は、フランス政府を信用せず、
たとえ実際には戻ることがないにしても、いざとなったら祖国へという帰属意識を強く引きずったまま生活を続けている場合が多々ある。そのため彼らの子供たちは、両親の曖昧さと差別の狭間で、どちらの土壌にも根をのばすことなく、アイデンティティを喪失した状態で、団地に押し込まれていることになる。
『憎しみ』の主人公は、ユダヤ人のヴィンス、アラブ人のサイード、そして黒人のユベールの3人。ヴィンスは憎しみを、サイードはドラッグの取り引きを、ユベールはボクシングを糧としている。第一世代の時代には、イスラエルとアラブの紛争を利用して、共同体同士の敵意をかきたてるといった策謀もあったようだが、
たとえそんな紛争が激化するようなことがあったとしても、もちろんこのヴィンスとサイードにはまったく関係がない。そして、警官が衝突の際に紛失した拳銃を、憎しみを糧としているヴィンスが手にしたとき、ドラマは異様な緊迫感をはらみだすことになる。
カソヴィッツは、主人公たちが置かれた環境、状況を映像のコントラストで見事に表現していく。この映画には、住宅のフェンス越しに声をかけるマスコミに対して、主人公が「ここはサファリ・パークじゃない」と言って追い払おうとする場面がある。住宅をとらえる映像には、この言葉がまったくジョークにならない閉塞感が確かにある。
主人公たちがテレビで暴動のニュースを目にするとき、卓上アンテナのみのテレビの映像はひどく乱れている。これに対して、彼らがパリを訪れたとき、高級マンションのインターホンの映像に映し出される彼らの姿は非常にクリアであり、こうしたコントラストが暗黙のうちに彼らの環境を物語るのだ。
しかし筆者が圧倒されたのは、表面的な憎しみがもっと深く動かしがたい憎しみに変わる過程を浮き彫りにする非情な眼差しである。銃を手にしたヴィンスは、憎しみをエスカレートさせていくかに見えるが、敵対するスキンヘッドにその銃口を向けたとき、彼は引き金を引くことができない。それは、日常における些細な苛立ちが積み上げられたような感情的な憎しみなのだ。
しかし最後に、ある出来事をきっかけとして、いつも冷静で、ヴィンスの憎しみを押さえていたユベールのなかから本当の憎しみがほとばしるとき、誰も彼を止めることはできない。
ここで思い出されるのは、ユベールの部屋の光景だ。彼の部屋の壁には、メキシコ・オリンピックの表彰台で人種差別に抗議して黒手袋の拳を突き上げ、資格停止処分となったスミスとカルロスの写真やモハメッド・アリのポスターが張られていた。3人の主人公のなかで彼だけは、そんな歴史をふまえているだけに冷静だったのだ。
しかし彼を取り巻く劣悪な環境が、彼の冷静さを本当の憎しみに変えてしまうのだ。
『外国人労働者のフランス』には、こんな指摘がある。「もし、住宅、学校、若者の雇用という、この三つの領域が最優先課題としてはっきりと掲げられ、適切な政策が実行に移されないならば、移民問題は市民社会の平和にとって数世代にわたって脅威となるであろう」。この指摘から10年後、ジャック・シラクが国の指導者となり、
『憎しみ』のような映画が生まれるというのは何とも象徴的である。 |