筆者は『おみおくりの作法』のプロモーションで来日したパゾリーニ監督にインタビューしたが、彼のフットワークとネットワークは非常にユニークで面白いと思う。もともと彼は成功を収めた投資銀行家だったが、仕事ができすぎて(本人の言葉だ)このままでは一生抜けられなくなると思い、仕事を辞めた。それから知人のつてで敏腕プロデューサー、デヴィッド・パットナムに会い、現場まできてくれたら面倒をみてもいいと言われる。お金に困っていなかった彼は、『キリング・フィールド』を撮影しているタイの現場に出向き、雑用係として働いた。そんなところから彼の映画人としてのキャリアが始まった。
この『マチャン(原題)』の場合にも、同じようなフットワークとネットワークが見られる。あるニュース記事から実話にインスパイアされたパゾリーニは、スリランカに行ったこともないのにそこで映画を作ろうと考える。
この映画には、スリランカを代表する監督プラサンナ・ビターナゲーが製作に加わっているが、その経緯が興味深い。ビターナゲーがロンドンの友人から、『フル・モンティ』のプロデューサーがスリランカを舞台にした映画を作りたがっているという知らせを受けたときには、一体スリランカについて何を知っているのかと思ったという。それでも会ってみることにしたのは、パゾリーニが、ビターナゲーが尊敬するルキノ・ヴィスコンティの甥だったからだ。
ビターナゲーに会ったパゾリーニは、未知の国に対する貪欲な探究心を露にし、ふたりはコロンボのダウンタウンを歩き回った。パゾリーニは、地元の言葉で映画を作り、イタリアのネオリアリスモの伝統を継承するような語り方をしたいとも語った。さらにこの映画の場合には、コロンボ生まれで、イギリスで活躍する劇作家/演出家のルワンティ・ディ・チケラが、パゾリーニとともに脚本を手がけていることも見逃せない。
この映画には、そのような背景があるため、外国人が撮ったおかしな映画にはなっていない。『フル・モンティ』のストリップにもいえることだが、偽ハンドボール・チームのエピソードは、その根底にリアリティがなければユーモアにならない。登場人物のひとりは、家族を守るためにはもはや自分の腎臓を売るしかないと考える。別の人物は、子供を置いて中東に出稼ぎに行こうとしている妻を止められない自分の不甲斐なさに苛まれている。
『フル・モンティ』とこの映画の魅力は、風変わりなアイデアによるサバイバルが、結果的に共同体の確認に繋がっていくところにある。この映画では、ドイツに渡った一団が、予想外の展開で実際に試合に臨むことになってしまう。それが共同体の確認に繋がる。そして私たちは、他者の視点からこの世界を見直すことになる。 |