アサシンズ
Assassin(s)


1997年/フランス=ドイツ/カラー/130分/アメリカン・ヴィスタ/ドルビーSRD、DTS
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(初出:「中央公論」1998年5月、若干の加筆)

 

 

暴力の醜悪さと人間の醜悪さ

 

 カソヴィッツの新作『アサシンズ』は、その題材や表現スタイルなど、前作の『憎しみ』とはまったく違ったタイプの作品に見える。主人公は、老いた殺し屋、そして奇妙ななりゆきで彼から殺しの手ほどきを受けることになる、25歳と13歳という世代の異なるふたりの若者たち。

 今回は全編カラーで、前作の非情なリアリズムとは対照的に、暴力的なイメージや空虚な笑いに満ちたテレビ番組、そのパロディ、CM、ゲームなどの映像の断片が、 ドラマを撹乱するかのように執拗に挿入される。そして実際、マスメディアの力によって殺し屋の師弟関係が崩れたとき、13歳の少年は短絡的な暴力に走ることになる。

 


◆スタッフ◆

監督/脚本/編集
マチュー・カソヴィッツ
Mathieu Kassovitz
脚本 ニコラ・ブクリエフ
Nicolas Boukhrief
製作 クリストフ・ロシニョン
Christophe Rossignon
撮影 ピエール・アイム
Pierre Aim
音楽 カーター・バーウェル
Carter Burwell

◆キャスト◆

ミスター・ワグネル
ミシェル・セロー
Michel Serrault
マックス マチュー・カソヴィッツ
Mathieu Kassovitz
メディ メディ・ベノウファ
Mehdi Benoufa
(配給:KUZUIエンタープライズ)
 
 

 確かに、題材や表現スタイルはまったく違うが、暴力に対するこの監督の鋭い眼差しは、まったく変わっていない。

 『憎しみ』のドラマを劇的なものにしていたのは、三人の主人公のなかにある暴力の意味や重さの違いだった。アラブ系とユダヤ系のふたりの若者は、望んだわけでもないのに移民労働者の子供としてフランスに生まれ、バンリューに押し込まれていることに不満をつのらせ、怒りが突発的な暴力に発展する危機感をはらんでいる。

 これに対して、ボクサーであるアフリカ系の若者は、 部屋の壁にメキシコ五輪の表彰台で差別に抗議したカルロスやスミス、そしてモハメド・アリのポスターがはってあることからもわかるように、差別と怒りの歴史を踏まえ、また、ボクサーとして暴力の何たるかをわきまえている。

 だからこそ彼は、仲間の短絡的な衝動を抑えようと腐心する。しかし、最後にこの暴力を知っている若者の忍耐が限界に達したとき、深い憎しみと暴力があらわになる。

  『アサシンズ』の師弟関係では、こうした暴力の意味や重さの違いがいっそう際立っている。老いた殺し屋は暴力で生計を立て、弟子となった若者たちに暴力を伝授する。しかしながら同時に彼は、暴力の耐え難い醜悪さというものも明らかにする。『憎しみ』のボクサーと同じように暴力を知るがゆえに、その衝動を抑止する力も与えようとするのだ。

 そして、この殺し屋と家族的な絆を築く25歳の若者は、その絆ゆえに暴力の醜悪さが耐え難いものとなり、自ら首をしめてしまう。しかしながら、テレビのザッピングと画面の敵を撃ちまくるシューティング・ゲームに没頭する13歳の少年には、暴力の醜悪さなど眼中にない。彼にとって耐え難いのは、殺し屋もまたひとりの人間であることの醜悪さなのだ。

 『憎しみ』と『アサシンズ』のラストでは、現代社会の対極にある、まったく異質な暴力が浮き彫りにされるといってもよいだろう。


(upload:2001/03/21)
 
 

《関連リンク》
フランスにおける移民をめぐる問題――
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