レンブラントとハーフェズ、時代を超えるヴィジョン
――『レンブラントの夜警』と『ハーフェズ ペルシャの詩』をめぐって


レンブラントの夜警/Nightwatching―― 2007年/カナダ=ポーランド=オランダ=イギリス=フランス=ドイツ/カラー/139分/シネマスコープ/ドルビーデジタル
ハーフェズ ペルシャの詩/Hafez――― 2007年/イラン=日本/カラー/98分/ヨーロピアンヴィスタ
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(初出:「Cut」2008年1月号 映画の境界線77)

 オランダが誇る画家レンブラント(1606-69)の生涯のなかで、1642年は重要な分岐点とされている。彼はその年、大作「夜警」を完成させ、絶頂期を迎える。だが同時に、妻のサスキアを亡くし、その人生は下降線を辿り出し、やがて破産宣告を受けるに至る。

 ピーター・グリーナウェイ監督の新作『レンブラントの夜警』は、この巨匠の人生の分岐点に迫る力作だ。画家でもあるグリーナウェイは、栄光からの転落の原因が「夜警」にあると見る。1642年、アムステルダムの市警団から集団肖像画を依頼されたレンブラントは、注文主たちの人となりを調べていくうちに、見えないところで罪を犯し、陰謀を巡らす権力者たちの実態を知る。悪行の数々に憤りを覚えた彼は、絵画で権力者たちを告発するが、それは転落の始まりとなる。

 緻密な構成に基づき、躍動感に溢れるレンブラントの代表作「夜警」には、様々な謎がある。グリーナウェイは、この大作の製作過程や画家と注文主たちとの関係を詳細に描き出すことによって、その謎を解き明かしていく。しかし、この映画の魅力は、謎解きだけではない。

 見逃せないのは、当時のオランダの状況だ。レンブラントは、オランダが最も繁栄した時代を生きた。その繁栄は、同時代のヨーロッパ諸国と比べると異彩を放っている。オランダでは、封建主義から近代市民国家への移行期に、絶対主義が登場することがなかった。新興の市民階級が大きな力を持っていたからだ。

 資本主義を肯定するカルヴァン主義を信奉し、商業や貿易で富を蓄えた彼らは、旧教や絶対主義に勝利した。芸術家たちを保護したパトロンも、教会や宮廷ではなく、市民階級だった。そこには、最初の近代資本主義国家を見ることができる。

 シャルル・マトン監督がレンブラントの生涯を描いた『レンブラントへの贈り物』でも、登場人物を通してそんな社会が強調されていた。マトンは、レンブラントの名声を決定付けた「トゥルプ博士の解剖学講義」に着目し、ドラマのなかでトゥルプ博士とレンブラントを対置していく。

 そのトゥルプ博士は、罪人の遺体を解剖するに当たって、こんなことを語る。「不可侵性が通用するのは宗教の領域だけであり、社会の安定は所有権の尊重で保たれている。他人のものを盗めば厳罰が下される」。新しい社会秩序を象徴するトゥルプ博士は、物質主義を受け入れず、秩序から逸脱し、純粋に人間を見つめるレンブラントを経済的に追い詰めていく。

 では、グリーナウェイがそんな社会をどう見ているのかといえば、かつて彼が監督した『コックと泥棒、その妻と愛人』がヒントになるだろう。この映画には、サッチャリズムのイギリスが描かれていた。サッチャー政権は、これまで国家がコントロールしてきた広範な経済領域を市場と個人に委ねた。この映画で高級レストランを所有し、傍若無人に振舞い、人の命を奪いさえする泥棒は、この資産所有の民主主義が生んだ歪みを象徴していた。

 『レンブラントの夜警』で、「夜警」に描かれる男たちは、勝ち組となってさらに権力と欲にとり憑かれ、弱者を食い物にしていく。グリーナウェイが「夜警」の謎解きを繰り広げながら見つめているのは、現代社会でもあるのだ。


 
―レンブラントの夜警―

◆スタッフ◆
 
監督/脚本   ピーター・グリーナウェイ
Peter Greenaway
撮影監督 レイニア・ファン・ブルメーレン
Reinier van Brummelen
編集 カレン・ポーター
Karen Porter

◆キャスト◆

レンブラント   マーティン・フリーマン
Martin Freeman
ヘンドリッケ エミリー・ホームズ
Emily Holmes
カレル・ファブリティウス マイケル・テイゲン
Michael Teigen
サスキア エヴァ・バーシッスルー
Eva Birthistle
ヘールチェ ジョディ・メイ
Jodhi May
ジェラルド・ダウ トビー・ジョーンズ
Toby Jones
マリッケ ナタリー・プレス
Natalie Press
(配給:東京テアトル+ムービーアイ)
 
 
―ハーフェズ ペルシャの詩―

※スタッフ、キャストは
『ハーフェズ ペルシャの詩』レビュー
を参照のこと
 
 
 


 そして、アボルファズル・ジャリリ監督の新作『ハーフェズ ペルシャの詩』でも、ふたつの時代が見事に重ねられていく。“ハーフェズ”とは、14世紀に活躍した詩人(これまでハーフィズとして紹介されてきた)であり、また、コーランを朗誦する者も意味する。6歳からコーラン暗唱の修行をしてきたシャムセディンは、試験に合格し、ハーフェズの称号を得る。

 そんな彼は、シャリーア(イスラム法)の高位にある宗教者モフティ師に請われ、彼の娘ナバートにコーランを教えることになる。だが、壁で隔てられた授業のなかで、ふたりは詩を通して恋に落ちてしまう。禁じられた詩を詠んだことを咎められたシャムセディンは、称号を剥奪され、愛を忘れるために彷徨う。一方、父親の直弟子と結婚させられたナバートは、原因不明の病に苦しめられる。

 常に純粋な愛に動かされて言葉を紡ぎだすシャムセディンは、ただ規律だけを重んじるシャリーアやスーフィーの宗教者、軍人、村長などから、繰り返し咎められ、罰を加えられる。『ハーフィズ詩集』の訳者解説では、古典詩人が生きた時代の状況が以下のように説明されている。

「民衆の信仰生活の指導者としてイスラーム宗教史上最も偉大な足跡を残した神秘主義者たちも、時代が下るにつれて次第に神への真の愛を忘れて形式主義に陥り、弊衣をまとって表面上は敬神、敬虔を装い、庵において隠者の生活を送っているように見せかけてはいたが、実際は偽善、欺瞞の塊と化して堕落した日々を過ごすようになった」

 この映画に引用されるハーフェズの詩は、酒杯や美しい女性のことばかりを詠っているように見えるが、スーフィズムではそれらが象徴的な意味を持つ。同じ訳者解説には、以下のような記述がある。

「ハーフィズがその詩において執拗に神秘主義者を嘲笑し、彼らの偽善や欺瞞を非難、攻撃しているのは、14世紀後半におけるシーラーズの腐敗、堕落した神秘主義者、隠者、説教師たちの実体を認識したためであり、さらに彼の詩は、彼らの実情を知らずに教えを受けている民衆への警告でもあった」

 ジャリリは、この詩人の姿勢を独自の表現で現代に甦らせる。病のナバートを診た瞑想者の少年は、彼女の心のなかに男女の愛を読み取るが、口では「水」「風」「砂」「火」と語る。それは、宇宙の四元素と愛が同じものであることを意味するが、規律しかないモフティ師には、理解することができない。この映画に登場する聖職者たちが、訳者解説にあるように、庵にこもり、動かないのに対して、愛を忘れるために彷徨うシャムセディンは、ひたすら動き続ける。そして常に水、風、砂、火に触れている。彼は自分を取り巻く宇宙の四元素を通して、より深く根源的な愛に目覚めていくのだ。

《参照/引用文献》
『レムブラントとスピノザ』レオ・バレット●
奥山秀美訳(法政大学出版局、1978年)
『ハーフィズ詩集』ハーフィズ●
黒柳恒男訳(平凡社、1976年)


(upload:2009/04/18)
 
《関連リンク》
アボルファズル・ジャリリ・インタビュー ■

 
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