『ハーフェズ ペルシャの詩』は、アボルファズル・ジャリリ監督が、14世紀に活躍した偉大な詩人ハーフェズ(これまで日本では「ハーフィズ」として紹介されてきた)にインスパイアされて作り上げた作品である。
その舞台は、地域が具体的に示されてはいないものの、間違いなく現代のイランであり、14世紀の世界が描かれるわけでもなければ、ハーフェズ本人が登場してくるわけでもない。しかし、ジャリリ監督の豊かな想像力と独自の映像表現によって、現代と14世紀の世界、そして、ハーフェズと、この古典詩人の本名と同じ名前を持つふたりのシャムセディンが実に見事に結びつけられていく。
この映画でまず注目しなければならないのは、様々な指導者と主人公の関係だ。優れた詩人であり、コーランの暗唱者を意味するハーフェズの称号を得るシャムセディンは、指導者たちから繰り返し咎められ、罰を加えられる。導入部では、聖教者を批判する詩を詠んだとして、大師や軍人から厳しく糾弾される。それから、モフティ師の娘ナバートと詩を詠み交わし、見つめ合う罪を犯したとして、称号を剥奪され、家も失う。愛を忘れるために鏡の請願を行う彼は、雨乞いをして能力者だと噂になったために村長に咎められ、めがねを作るために無断で娘を連れ出したとして、裁判官に処罰される。
さらに、モフティ師の直弟子であるもうひとりのシャムセディンも、ハーフェズの足跡をたどることで、同様の体験をすることになる。酒を飲んだという疑いをかけられて、鞭打ちの罰を加えられ、予言によって世間を騒がせたとして、投獄されるのだ。ふたりのシャムセディンを抑圧するこの指導者たちは、明らかに教条主義や権威主義に陥っている。
ジャリリ監督は、そんな現代の状況と14世紀の世界を重ね合わせている。『ハーフィズ詩集』の訳者解説には、この古典詩人が生きた時代の状況が以下のように説明されている。「民衆の信仰生活の指導者としてイスラーム宗教史上最も偉大な足跡を残した神秘主義者たちも、時代が下るにつれて次第に神への真の愛を忘れて形式主義に陥り、弊衣をまとって表面上は敬神、敬虔を装い、庵において隠者の生活を送っているように見せかけてはいたが、実際は偽善、欺瞞の塊と化して堕落した日々を過ごすようになった」
それでは、古典詩人は、そんな状況とどのように向き合っていたのだろうか。同じ訳者解説には、以下のように記されている。「ハーフィズがその詩において執拗に神秘主義者を嘲笑し、彼らの偽善や欺瞞を非難、攻撃しているのは、14世紀後半におけるシーラーズの腐敗、堕落した神秘主義者、隠者、説教師たちの実体を認識したためであり、さらに彼の詩は、彼らの実情を知らずに教えを受けている民衆への警告でもあった」 |