現在のイランで映画を製作したり音楽活動をすることには厳しい制約や規制がある。イランのクルド人監督バフマン・ゴバディは、企画をいくら文化指導省に提出してもなかなか許可がおりないことに業を煮やし、大都市テヘランで無許可のゲリラ撮影を敢行した。彼が選んだ題材は、アンダーグラウンドで活動するミュージシャンたちだ。観客は、インディ・ロックやフュージョン、ブルース、ヘヴィメタ、ラップなど、その音楽の多様さや豊かさに驚きを覚えることだろう。
だが、この映画はドキュメンタリーではない。ゴバディとアンダーグラウンドで活動するミュージシャンとの出会いが生み出したのは、ドキュメンタリーやフィクション、ミュージックビデオ、即興などが融合したユニークな作品なのだ。
ゴバディがこの映画を撮るきっかけとなったのは、彼が“テイク・イット・イージー・ホスピタル”というユニット名で活動するアシュカンとネガルに偶然出会ったことだ。ゴバディはふたりの体験をもとに脚本を書き、彼らを主人公にしてゲリラ撮影を敢行した。無許可で演奏したために逮捕されたアシュカンとネガルは、バンドのメンバーを探して最後のコンサートを開き、音楽活動のために国外に出ようとする(彼らは映画の撮影後にイランを離れ、現在はロンドンで活動している)。
そこでこの映画では、主人公たちがメンバーを探す展開を通して、様々なバンドが登場してくることになる。ゴバディは、そんなバンドの演奏を映像に収めるだけではなく、それぞれの曲の歌詞にインスパイアされて撮影した現代のテヘランの映像を挿入している。それは、ミュージックビデオのアプローチに近い。
先述したように、次々に登場してくるバンドの音楽には新鮮な驚きがある。だが、ひとつ注意しておかなければならないことがある。私たちは、音楽を規制する当局と自由を求めるミュージシャンの関係を、「イスラム」と「西洋」、「伝統」と「近代化」という単純な図式に押し込んでしまうことが多々あるが、それは正しくない。
たとえば、1979年のイスラム革命ですら、そんな図式を当てはめれば、そこからこぼれ落ちてしまうものが多々ある。ゴバディがクルド人なので、ここではまずクルドの立場から見る文献から引用する。勝又郁子の『クルド・国なき民族のいま』では、革命について以下のように綴られている。
「イランの民主化とクルド地域の自治を要求してシャーの中央集権政策と専制に反対していたクルド勢力も、革命を突き動かす多くの勢力の一つとなった。イラン革命は、民衆の意思によって成し遂げられた民衆革命である。そこには、武装組織のフェダーイーネ・ハルク(人民戦士)など左翼の諸組織やモジャヒディーネ・ハルク(人民イスラム聖戦士)、また商人、農民、失業者からクルド、バルーチ、アラブの少数民族まで国民のほとんどを網羅するあらゆる勢力がいた」
そして、そうした様々な勢力が聖職者によって束ねられ、二元論的な図式に回収されていった。では、本来のイランやイラン人とはどのようなものなのか。アメリカで活動するイラン生まれの批評家ハミッド・ダバシは、『イラン、背反する民の歴史』のなかで、イランを翻弄する二元論的な図式を批判しつつその歴史を検証し、イランがもともと多様な宗教、民族、思想から成り立っていたことを明らかにしている。
「イラン人にはゾロアスター教徒、ユダヤ教徒、カトリック教徒、アルメニア教会の信徒、イスラーム教徒、スンナ派、シーア派、バハーイー教徒がおり、また幸運な無心論者たちも大勢いる。イラン人にはアラブ人、アゼリー人、バルーチー族、クルド人、ペルシア人、トルクメン人、そして地球のありとあらゆる国々に散らばる(不法)移民も含まれる。イラン人には社会主義者も、民族主義者も、イスラーム主義者も、土着主義者も、国際主義者も、自由主義者も、急進派も、保守主義者もおり、一流識者の中にはアメリカ新保守主義の東方部隊に属する者もいる」
さらにダバシはこのようにも書いている。「「イラン」とは「国家」と呼ばれる人工的で無意味な構造のもとに押し込められた、せめぎ合う「事実」の融合体だ」。その事実とは何かといえば、「枝分かれした数々の特性が亜国家的、多文化的、多民族的、多面的、混合主義的、異種交配的な融合を果たしたという、事実」という記述を当てはめられる。
『ペルシャ猫を誰も知らない』に登場するミュージシャンたちは、決して西洋音楽ばかりに傾倒しているわけではなく、イランの伝統音楽、伝統楽器、ペルシャ語の歌詞などを使って、多文化的な音楽を生み出している。
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