レンブラントへの贈り物
Rembrandt Rembrandt (1999) on IMDb


1999年/フランス=ドイツ=オランダ/103分/ヴィスタ/ドルビーSR
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(初出:『レンブラントへの贈り物』劇場用パンフレット、若干の加筆)

 

 

繁栄を誇った17世紀オランダの光と影

 

 作家が優れた作品を創造し、後世に名を残すのは、作家個人が才能を発揮した結果に他ならないが、同時に、作家の才能の開花には、時代の流れというものが様々なかたちで寄与している。レンブラントもまた例外ではない。

 1606年にレイデンに生まれ、31年にアムステルダムに移住し、69年に没するまでそこに留まったレンブラントは、オランダが最も繁栄を誇った時代を生きた。16世紀、オランダはスペインの統治下にあったが、スペイン王フェリペ2世がオランダに対する支配力を強めようとしたことから独立の機運が高まり、1581年に独立を宣言して共和国を建設した(独立は1648年のウェストファリア条約によって正式に認められた)。

  この独立の大きな原動力となったのは、商業、貿易で富を蓄え、力を持つようになった新興の市民階級だった。国土のなかに海面下の地域が多く、土地に恵まれていなかったオランダでは、昔から海との戦いが繰り返され、それが漁業から海運、貿易への自然な発展を導いてきた。独立を果たしたオランダは、1602年に設立された東インド会社を拠点とした東方貿易で、17世紀前半の時期に空前の経済的な繁栄を誇ることになる。

 こうしたオランダの繁栄は、同時代の他のヨーロッパ諸国と比べてみると、異彩を放っている。この時代は、中世の封建主義的体制から近代市民国家への移行期にあたり、そこに絶対主義という政治体制が生まれる。地理上の発見にともなって、商業、貿易は世界的な規模に広がった。そんな状況のなかで、新興の商人たちは、国際競争に打ち勝っていくために、強大な権力をもつ国王の後ろ盾が必要になり、 国王も彼らを保護し、特権を与えることで常備軍などの権力を維持、拡大した。ところが例外的にオランダでは、この絶対主義が芽生えることがなかった。

 それは、新興の市民階級である商人が大きな力を持っていたからだ。ヨーロッパの東方貿易の歴史を振り返ってみると、中世を通じて東方貿易は、イタリア商人が独占していた。しかし、15世紀にオスマン=トルコが、バルカン半島やアフリカへと領土を拡大し、コンスタンティノープルを攻略してビザンティン帝国を滅ぼす。 東西貿易の要となる地中海の港をオスマン=トルコに押さえられてしまったイタリア商人たちは停滞を余儀なくされる。その結果、これまでとは違う新航路を切り開いたスペインやポルトガルが台頭し、貿易の拠点は、リスボンやカジスへと移る。

 しかしもう一方で、貿易の拠点がイタリア北部からオランダへと移り、16世紀末にはアムステルダムが世界貿易の重要な拠点となっていたのだ。 そのアムステルダムの市民たちのあいだには、職業を重視し、勤勉による富を肯定(ということは、資本主義を許容、奨励)するカルヴァン主義が広まっていた。そこで、スペイン王フェリペ2世が、旧教や絶対主義でオランダに対する支配権を強めようとしたとき、彼らはスペインと戦う決断をくだし、最終的に独立を勝ち取ったのだ。

 オランダに絶対主義が存在しなかったことは、この国の芸術に大きな影響を及ぼした。それは絶対主義によって商業、貿易が繁栄した国と比較してみればわかる。絶対主義の国では、国王権力を称揚するような宮廷文化が広がり、きわめて装飾的で形式主義的なバロック様式が花開いた。フランスのルイ十四世が建てたヴェルサイユ宮殿などはその好例といえる。 こうした絢爛豪華な宮廷文化に対して、オランダの現実主義的なスタイルは決して豪華ではない。オランダで芸術家たちを保護したパトロンは、教会でも宮廷でもなく、カルヴァン主義を信奉する新興の市民階級だったからだ。


◆スタッフ◆

監督/台詞
シャルル・マトン
Charles Matton
脚本 シルヴィ・マトン
Sylvie Matton
撮影 ピエール・デュプエ
Pierre Dupouey
音楽 ニコラ・マトン
Nicolas Matton
編集 フランソワ・ジェディジエ
Francois Gedigier

◆キャスト◆

レンブラント・ファン・レイン
クラウス・マリア・ブランダウアー
Klaus Maria Brandauer
ヘンドリッキエ・ストッフェルス ロマーヌ・ボーランジェ
Romane Bohringer
ニコラス・トゥルプ ジャン・ロシュフォール
Jean Rochefort
サスキア・ファン・オイレンブルフ ヨハンナ・テール・ステーヘ
Johanna ter Steege
ヤン・シックス ジャン=フィリップ・エコフェ
Jean-Philippe Ecoffey
説教師 リシャール・ボーランジェ
Richard Bohringer
 


 オランダ人の気質といったときに、筆者がすぐに思い出すのは、アメリカの小説家ジョン・アップダイクが書いた長編『カップルズ』のことだ。この小説では、1963年、ターボックスというアメリカの郊外の町を舞台に、10組の夫婦の物語が描かれるのだが、その登場人物のひとりが、オランダ系アメリカ人の建築家なのである。 アップダイクは、この人物の考え方をこのように描写している。「世界のうちでどれだけの区画を所有しているかというオランダ人らしい堅実な意識は、敷地が道路から二百フィート引っ込んでいて、町の中央から一マイル、海から四マイル離れていることですっかり満足していた」。

 オランダでこうした気質、価値観が形成されたのは、レンブラントが生きた17世紀前半の時期と考えてよいだろう。この空前の繁栄の時代に、成功を収め、力を持った人々が物質主義的、利己的になっていくのは、容易に察することができる。彼らにとって最も大切なことは、自分がどれだけのものを持っているかということだ。 だから画家に肖像画を描かせる場合でも当然、そこに自分が持っている豊かさが具体的に描きこまれることを求めた。持っているものがすべてなのだから、美化や理想化は必要ない。写真のように現実的であることが重要なのだ。そうした意識がオランダにおける現実主義の一端を担っているのである。

 この映画では、ニコラス・トゥルプがその物質主義を象徴する人物として描かれている。罪人の遺体を解剖し、肉体のメカニズムを説明する彼の姿には、不敵な傲慢さが見て取れる。レンブラントは、彼の代表作となる「トゥルプ博士の解剖学講義」を画きながら、このトゥルプという人間に抵抗を覚える。そんなトゥルプは、自分や同じ富裕層の利益を守るために、排他的なコミュニティを作り上げている。

 一方、貧しい階層の出であるレンブラントは、何を持っているか、持っていないかで人間を識別せず、常に人間そのものを見ている。ユダヤ人とも旧教の人間とも親しく付き合う。酒場に居合わせたアフリカ系の奴隷の姿に心が動けば、彼らの絵も画く。そして、自分の子供を次々と失うに及んで、彼は生命そのものにいっそう固執するようになる。 そんなレンブラントが富裕層から見放されるのはよくわかる。彼は自分の絵のなかで、人物が所有したり身につけるものを、無視するかのように暗がりのなかに置き、人間だけをとらえようとするからだ。

 この映画で、レンブラントが、可愛がっていた猿の死を知らされる場面は実に印象的である。彼は、まだ生きているようなその猿の亡骸をクッションの上にやさしく置き、画いていた肖像画にその姿を加えようとする。仰天した客は憤慨して帰ってしまう。レンブラントにしてみれば、その猿の亡骸には生命があるが、所有しているものによって自分の存在を主張する人間たちは、ほとんど死んでいるに等しいのだ。

 また、猿の亡骸に対するレンブラントの姿勢は、罪人の遺体を解剖するトゥルプと対置されていると考えられる。彼らは、この映画のなかで対極に位置している。物質主義の象徴であるトゥルプは、レンブラントから彼が所有するものをすべて奪い取ろうとする。所有するものがすべてである人間にとっては、それは致命的なことである。しかし、レンブラントを本当に追いつめることはできない。 経済的に追いつめられても、支払不能者となっても、彼が求めつづけているのは、物質ではなく生命そのものであるからだ。

 新興の市民階級がいち早く力を持ち、空前の繁栄を誇った17世紀前半のオランダでは、人々が経済的には豊かになったものの、物質主義に縛られていた。そんななかでレンブラントは最後まで人間としての自由を求めつづけた。この物質主義と人間をめぐるテーマは現代にそのまま当てはめることができる。 高度消費社会のなかで現代人は、自分自身がどう見えるかという表層ばかりにこだわり、自分自身は忘れてしまっている。この映画は、そんな現代に対するメッセージも込められているに違いない。


《参照/引用文献》
レムブラントとスピノザレオ・バレット
奥山秀美訳(法政大学出版局1978年)
カップルズジョン・アップダイク
宮本陽吉訳(新潮社、1970年)

(upload:2001/05/19)
 
 
《関連リンク》
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