ヴィットリオ・ストラーロ・インタビュー
Interview with Vittorio Storaro


2010年1月 ローマ―東京 電話
カラヴァッジョ 天才画家の光と影/Caravaggio――2007年/イタリア=フランス=スペイン=ドイツ/カラー/133分/スコープサイズ/ドルビーSR
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(初出:「キネマ旬報」2010年3月上旬号、加筆)
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私は自分の人生の一部を捧げ、彼の全体像をつかんだのです
――『カラヴァッジョ 天才画家の光と影』(2007)

■■撮影美学とプロ意識に結びつくふたつの体験■■

 『カラヴァッジョ 天才画家の光と影』の撮影監督を務めたのは、ヴィットリオ・ストラーロ。アカデミー賞に3度輝き、“光の魔術師”と呼ばれる巨匠だ。そんなストラーロの美学とプロ意識は、彼が撮影監督になる以前のふたつの体験と深く結びついている。ひとつは、映写技師の父親を通して、早くから映像に対する想像力を培っていたことだ。

「よく覚えているのは、私がまだ小さい頃、父が会社で不用になった古い映写機を家に持ち帰った日のことです。彼は「いいかいみんな、今夜は映画を見せてやるぞ」と言って、私たち兄弟に小さな庭の壁を白いペンキで塗るように指示しました。それからこの奇妙な物体を置いて、あたりが暗くなるとチャーリー・チャップリンの映画を映したのです。それが最初の映画の記憶です。
 何年か経つと、父が働く映画館で、彼が上映する映画を一緒に観るようになりました。でも、映写室では音が聞こえなかったので、映画というのは常に音のないものだと思っていました。最も大きな感動をそういうかたちで得たのです。後に映画学校で映画史を学んだときに、おそらく若すぎたのでしょうが、映画史上に残る作品を見せられても退屈でなりませんでした。ところがチャップリンの映画を見せられるとひどく興奮したのです。それは間違いなく子どもの頃に心に深く刻みつけられた記憶で、私にとって一番大事なものだったのです」

 もうひとつの体験は、映画学校で撮影を学び、カメラ・オペレーターとして実際に現場を経験した後のことだ。彼は撮影監督になる前にしばらく映画を離れ、文学、絵画、彫刻、音楽などについて学んでいた。

「最初に言っておかなければならないことがあります。私は世界の様々な映画学校を知っていますが、どこも映画学については単に技術面の教育しか受けられません。しかし映画は“10人目のミューズ”と呼ばれるわけで、なぜかといえば他の9つの芸術に育まれているからです。文学、音楽、彫刻、建築…そして本質的に哲学に育まれます。それは、なぜものごとがなされるかという根拠なのですから。
 私は自分自身の無知を、カラヴァッジョの絵を見たそのときに気づかされたのです。この画家について何も知らないことを痛感しました。モーツァルトのことも、ドストエフスキーのことも何ひとつ知りませんでした。私は自分の仕事を始めたときに、技術的には優れていましたが、なぜそうしたやり方で表現しているのかを知らずにいたのです。それを教えてくれる人間が必要でした。そこで私は一旦立ち止まり、文学を読み、音楽を聴き、美術館で絵画を観て、それまで理解できずにいた映画を観に行き、自分の技術上の知識と芸術に関する教養のバランスをとろうとしたのです」

■■作品ごとに加わった知識と可能性■■

 しかし、撮影の現場を離れているこの時期に、彼が知ろうとしたことにすべて答えが出たわけではない。

「ほぼ2年間歩みを止めることで、その後も続けていくための基盤を作ったのです。それから企画ごとに何かを加えてゆきました。『暗殺の森』を撮ったときには、デ・キリコやマグリットの絵を観に行き、ナショナリズム建築を理解するためにイタリアのファシズム時代初期の歴史について本を読み、見識を深めました。『ラストタンゴ・イン・パリ』では、フランシス・ベーコンの絵やガトー・バルビエリの音楽を知り、『ラストエンペラー』では、あらゆる中国文化や絵画について調べ、本を読みあさり、『ロマノフ王朝・大帝ピョートルの生涯』(TV映画)を撮ったときには、ロシアで暮らすというのがどういうことなのか理解しようとしました。昨年は『ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い』(4月10日公開)を撮り、モーツァルトと劇作家ロレンツォ・ダ・ポンテについてさらに学びました。一つ一つの仕事が私に、新たなドアを開け、知識を育み、学生であり続ける可能性を与えてくれるのです」

 ストラーロは以前、基盤作りの2年間に学んだものについて、画家ではカラヴァッジョやフェルメールの名前を挙げていた。なぜ他の画家ではなく彼らだったのか。

「どうして(パオロ・)ヴェロネーゼやバルナ・ダ・シエナや他の画家以上にカラヴァッジョやフェルメールに感銘を受けたのかということですが、それは、自分が誰なのかを少しずつ解明して、私が対極的な要素を理解することに興味を持っているのに気づいたからです。光と影、赤と青緑、火と水、月と太陽、意識と無意識といったように、対極的な要素のバランスを探るということです。私が共感できる示唆を与えてくれた芸術家たちとともに、そういう方向性を探求していくことが刺激をもたらしたのです。視覚的に最も偉大だったのはカラヴァッジョです。私に影と光を分けることを教えてくれました。一方、フェルメールは、オランダ特有の光によって、人々や物体を包み込んで一体化させようとする、ある種多様に変化する光を利用したのです。これに対して、カラヴァッジョは分離を試みていました」

 では、絵画について学んだことの影響は、ストラーロの映像表現に、具体的にどのようなかたちで表れているのだろうか。


◆profile◆

ヴィットリオ・ストラーロ
1940年、イタリア・ローマ生まれ。国立映画学校で撮影を学んだ後、20歳から映画、舞台の照明に携わる。ベルナルド・ベルトルッチ監督とは『革命前夜』(64)以来コンビを組み、『暗殺のオペラ』『暗殺の森』(70)で注目されるようになる。アメリカ映画にも進出し、フランシス・フォード・コッポラ監督の『地獄の黙示録』(79)、ウォーレン・ベイティ監督の『レッズ』(81)でアカデミー賞撮影賞を受賞。ベルトルッチ監督とは、『ラストタンゴ・イン・パリ』(72)、『1900年』(76)、『ルナ』(79)、『ラストエンペラー』(87/アカデミー賞の他、多数受賞)、『シェルタリング・スカイ』(90/英アカデミー賞受賞)、『リトル・ブッダ』(93)と作品が続き、その他、カンヌ国際映画祭高等技術委員会グランプリ受賞の『タンゴ』(98)、『エクソシスト・ビギニング』(04)、オムニバス『それでも生きる子供たちへ』(05/ステファノ・ヴィネルッソ監督作「チロ」)など50本以上にも及ぶ。
映画における撮影監督の地位を高めた功績により、87年にはヴェネチア、91年にはカンヌで国際映画祭の審査員をつとめ、国内外の大学で名誉博士号を授与された他、最年少で米国撮影監督協会終身栄誉賞(スウェーデン人のスヴェン・ニクヴィスト以外唯一の外国人)を授与されている。
『カラヴァッジョ 天才画家の光と影』プレスより引用

 
『カラヴァッジョ 天才画家の光と影』
 
◆スタッフ◆
 
監督   アンジェロ・ロンゴーニ
Angelo Longoni
脚本 ジェームズ・キャリントン、アンドレア・プルガトーリ
James H. Carrington, Andrea Purgatori
撮影監督 ヴィットリオ・ストラーロ
Vittorio Storaro
編集 マウロ・ボナンニ
Mauro Bonanni
音楽 ルイス・バカロフ
Luis Bacalov
 
◆キャスト◆
 
カラヴァッジョ   アレッシオ・ボーニ
Alessio Boni
フィリデ・メランドローニ クレール・ケーム
Claire Keim
デル・モンテ枢機卿 ジョルディ・モリャ
Jordi Molla
マリオ・ミンニーティ パオロ・ブリグリア
Paolo Briguglia
オノリオ・ロンギ ベンジャミン・サドラー
Benjamin Sadler
コンスタンツァ・コロンナ エレナ・ソフィア・リッチ
Elena Sofia Ricci
レナ サラ・フェルバーバウム
Sarah Felberbaum
ファブリツィオ・コロンナ ルベン・リジッロ
Ruben Rigillo
ルチア・メリージ マルタ・ビファノ
Marta Bifano
ラヌッチョ・トマッソーニ マウリッツィオ・ドナドーニ
Maurizio Donadoni
ベアトリーチェ・チェンチ マリア・エレナ・ヴァンドーネ
Maria Elena Vandone
ズッカリ シモーネ・コロンバーリ
Simone Colombari
イッポリート・マラスピーナ マルチェッロ・カタラーノ
Marcello Catalano
ストロッツィ フランチェスコ・スィチリアーノ
Francesco Siciliano
ジョヴァンニ・デ・ポンテ パオロ・ジョヴァッヌッチ
Paolo Giovannucci
シピオーネ・ボルゲーゼ ルイージ・ディベルティ
Luigi Diberti
アロフ・ドゥ・ヴィニャクール フランソワ・モンタギュー
Francois Montagut
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(配給:東京テアトル)
 

「いや、直接的な影響というのはありません。私が間違いなく衝撃を受けた人々には、たとえばオーソン・ウェルズの『市民ケーン』を撮ったグレッグ・トーランドがいますが、彼のヴィジョンを絵画的なものに結びつけて考えたことはありません。それよりもずっと現実的な、ほとんどシュールレアルなものとして、照明のあらゆる側面を極限まで突き詰めたものとしてとらえています。
 それからG・R・アルドに感銘を受けました。彼はフランス在住のイタリア人監督で、ヴィスコンティと『揺れる大地』を撮り、『山猫』の一部を撮りました。彼の場合は基本的に写真家でしたから、写真的なテイストを持っていました。さらにイタリアの偉大な革新者といえば、ジャンニ・ディ・ヴェナンツォです。彼は光の使い方を、それまでは大部分が舞台照明を応用していた照明のスタイルを、50年代にモノクロで革新し、60年代にはカラーで革新しました。彼は新たな映画の照明を編み出したのです。そして彼と並べられるのが、ゴダールの映画を撮りながら、突如、町なかで自然光を使い始めたフランスのラウル・クタールでしょう。
 私がカラヴァッジョと出会い、自分が自分たちの先駆者たちが残した成果にほかならないと気づいたときから少しずつ、意識的に絵画というものを理解し、絵画を通して自分の知識を広げようとしてきました。ルネ・マグリットには間違いなく複数の作品で影響を受けましたし、ベルトルッチと撮った私の最初期の作品、『暗殺の森』に先立つ『暗殺のオペラ』では、古典的な作家ではなくプリミティヴ・アートの画家の影響を受けました。それは、農民画家、素朴派のナイーフ画家たちです」

■■カラヴァッジョを意識した独自のアプローチ■■

 そんなストラーロは、映画『カラヴァッジョ』のオファーに対して、どのような感慨を覚えたのだろうか。

「7年前にプロデューサーのイダ・ディ・ベネデットが私に連絡してきて、こう言ったのです。『ヴィットリオ、あなたの映画を観ていると、あなたはカラヴァッジョが絵のなかでやっていたのと同じように光を使って表現しているのがわかる。だからあなた以外にこの映画を撮れる人間はいないと思うの』。私は多くの映画で試みてきたことが理解された、と実感しました。それも、私が直接カラヴァッジョのことを意識していなかったときですら、それがうかがわれたわけですから。私の心の奥深くに、カラヴァッジョに由来する何かがあるということが表れていたのです」===> 2ページへ続く

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