映画『ブロウ』には、ドラッグで巨万の富を手にした実在の人物ジョージ・ユングの人生が描かれる。東海岸の郊外の町で育ったジョージは、60年代にカリフォルニアに移り、マリファナの売人を振り出しに起業家としての頭角を現す。刑務所でメデジン・カルテルとのコネをつかんだ彼は、コカイン取引で頂点に登りつめる。しかし、厳しくなる取締や仲間の裏切りによって、転げ落ちていくことになる。
この映画を、ただアメリカの夢とその崩壊を描いた物語と見るなら、ひどく退屈に感じられることだろう。やろうと思えば、ジョージのカリスマをもっと際立たせることも、ドラッグ・カルチャーという背景を強調することも、密輸のエピソードを異色のアクションにすることもできたはずだ。原作にはそのための素材がたっぷりと詰め込まれている。しかしこの映画には、原作とは異質な魅力がある。
まず注目したいのは、ジョージと両親の関係だ。彼らのキャラクターや関係は、時代背景と密接に結びついている。ジョージの物語は、50年代の少年時代から始まる。一家は郊外に暮らし、父親は勤勉な人間だったが、仕事がうまくいかず、生活は苦しい。だからジョージが金銭的な成功を求めるようになると見るのは容易いが、この親子の関係にはもっと複雑で微妙なドラマがある。母親はうだつが上がらない父親をなじり、家出を繰り返し、ジョージ少年はそんな母親に反発を示す。やがてこの母親と息子の立場が逆転する。家を出てディーラーとなったジョージは、保護観察や指名手配の身で何度となく両親のもとに戻ってくる。寛容な父親は息子を受け入れるが、母親は激しく拒絶するようになるのだ。
この親子の関係を見ながら筆者は、「ニューヨーク・タイムズ」の記者だったJ・アンソニー・ルーカスが68年に発表した『ぼくらを撃つな!』のことを思いだした。これは、ヒッピーやラディカルなどの新世代とその両親の世代の関係、50年代と60年代の関係を掘り下げたノンフィクションだ。
世代の断絶というと一般的には、価値観がまったく相容れない関係を意味するように思われる。しかしルーカスはこの本で、具体的な家族の例を挙げながら、断絶とは古い世代に内在する価値観が、新しい世代において顕在化することだという結論を導きだしていく。50年代のアメリカは大量消費時代に突入し、人々は真新しい郊外住宅地で、"アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ"、手の届くところにある"アメリカの夢"としての消費を満喫した。そんな生活に内在し、そこで育った新しい世代において顕在化するのが、ドラッグを消費することなのだ。本質的な消費に変わりはないが、新しい世代は、これまでと違うものを求めて、ドラッグを見出したということだ。
ジョージの母親は、労働から消費へと価値観が急速に移行する時代に、欲望が満たされないために家出を繰り返す。ジョージは身勝手な母親に激しく反発するが、彼のなかにも新しい時代の欲望が芽生えつつある。そして60年代に家を離れた彼は、ドラッグ・カルチャーに身を投じ、マリファナやコカインを売りさばくだけでなく、自らも徹底的に消費する。一方母親は、犯罪者となった息子を軽蔑していながらも、彼がドラッグで手に入れた豪邸に招待されると、豪華な家具に思わず目を輝かせるのである。
この映画でもうひとつ注目したいのが結末の部分だ。原作のジョージは、80年代末に最後に保釈された後、堅気の仕事につくが、映画は違う。彼は、永久に閉ざされた象徴的な牢獄のなかで、成長した娘の幻影を見るのだ。50年代を出発点とする親子の関係とこの結末の違いは、冷戦と冷戦以後という時代の流れと照らし合わせてみると、非常に興味深く思えてくる。
50年代に始まる大量消費時代の背後には冷戦があった。アメリカに共産主義が広がるのを防ぐ最も手っ取り早い方法は、所有や消費の楽しみを国民に植え付けることだった。社会学者トッド・ギトリンの『アメリカの文化戦争』には、59年のこんなエピソードが紹介されている。「モスクワのアメリカ博覧会で、当時副大統領だったニクソンがフルシチョフに向かって、大抵のアメリカの家庭はここに展示してあるキッチン用具を買い整えることができると言った。フルシチョフはニクソンの面前で指を振り立て、信じようとしなかった。もちろん、アメリカでこの場面を観ていた者はどちらが正しいかを知っていた。共産主義を否定する気持ちと郊外住まいを楽しむ気持ちの間に違和感はなかった。アメリカ人は自由を満喫していた」。
この自由は消費という言葉に置き換えてもよいだろう。50年代に政治的な誘導のもとにアメリカの夢は消費と同義となった。ドラッグで巨万の富を築くだけではなく、ドラッグを徹底的に消費するジョージのアメリカの夢の種はそこで蒔かれていたのだ。そして原作と映画の結末の違いも、冷戦と照らし合わせてみると、大きな意味を持つ。もし原作のように、ジョージが80年代末に保釈されて、堅気の仕事につけば、彼の夢はほぼ冷戦の終結とともに終わりを告げたことになる。しかし映画の彼は永久に閉ざされた牢獄のなかにある。
ギトリンは同じ本のなかで、冷戦の終結についてこのように書いている、「それはあたかも、この半世紀の間アメリカは綱引きのゲームに夢中になっていたのが、その相手がいきなり綱を離して居なくなってしまったので、今まで自分たちを支えていたのが、相手の引っ張る力だったと気がついたようなものだった」。そう気がついたからこそ、この本で分析されるようにアメリカの多文化社会のなかで文化戦争が始まる。しかし、アメリカの夢としての消費に関していえば、冷戦がそれを作り、支えてきたことなど忘れ去られ、消費社会は何の展望もなく広がりつづける。『ブロウ』の結末は、そんな現実を象徴している。消費は何も変わらず、アメリカの夢が気づかぬうちに終わりなき悪夢に変わるだけなのだ。
ドキュメンタリー映画『My Generation』にもそんな時代の流れと消費の関係を見ることができる。これは、69年のウッドストックと、その25周年と30周年を記念して開かれた94年と99年のウッドストックを対比し、イベントの意味や世代の意識の違いを探るドキュメンタリーである。
先述した『ぼくらを撃つな!』には、「ヒッピーのほとんどは郊外に住む中産階級の子弟」という表現が出てくるが、69年のウッドストック(その頃『ブロウ』のモデルとなった本物のジョージはマリファナ密輸のピークを迎えていた)が、伝説といわれる"愛と平和"の祭典となった背景には、新旧世代間での価値観の劇的な転移が大きく作用している。50年代の大量消費から、この予想もしない価値観の転移が起こり、強烈なパワーを発揮し、当時の若者のイデオロギーやムーヴメントを拡大するかに見えた。しかし結局、消費そのものが何かを生みだすことはなかった。一方、冷戦が終結し、もはや消費が希望と結びつかず、商業化された90年代のウッドストックには、当然のことながら虚しさと苛立ちが際立つことになるのだ。
そしてもう1本、アメリカの夢としての消費というテーマで見逃せないのが、ダーレン・アロノフスキーの『レクイエム・フォー・ドリーム』だ。アロノフスキーのデビュー作『π』は、主人公が天才型の人間だったため、われわれはその強烈な妄想世界を傍観することが許された。だが、ヒューバート・セルビーJr.の『夢へのレクイエム』を映画化したこの第2作では、そうはいかない。ハリーとマリオンというカップルの物語だけなら、この作品はドラッグ映画の枠を出ることがなかっただろう。しかし、ハリーの母親サラの物語が絡むことによって、アメリカの夢としての消費の実態がより日常的な土俵に引き出されることになるのだ。
夢を叶えるためにいくつかの手段があるとすれば、この登場人物たちはそれぞれに一番の近道を選ぶ。ハリーやマリオンにとってそれはヘロインであり、TVに出演するためにダイエットに挑戦するサラにとっては、医者が処方してくれたダイエット用の薬だ。サラは最初はカロリーを押さえた食事療法を試みるが、我慢ができず、薬という近道を選んでしまう。ところが近道というのはそれ自体が心地よい。だから手段が気づかぬうちに目的そのものとなってしまう。アロノフスキーは、高速で反復される映像や分割スクリーンなどを駆使して、手段が目的に変わる過程、常習性や強迫観念を鮮烈に描きだす。こうして心の飢えは肉体の飢えにすりかわり、彼らはそれぞれに肉体という檻のなかでもがき苦しむ。アメリカの夢は、気づいたときには終わりなき悪夢に変わっているのである。 |