9・11同時多発テロやイラク戦争、リーマン・ショック、オバマ大統領の誕生など、アメリカのゼロ年代(2000年〜09年)は激動の時代だった。そんな事件や社会情勢の変化は同時代のアメリカ映画にも大きな影響を及ぼした。
なかでも特に映画人の想像力を刺激したのが「テロとの戦い」だったのではないだろうか。このテーマを斬新な視点と表現で掘り下げ、アメリカが抱える矛盾を浮き彫りにした作品が強い印象を残しているからだ。
「バットマン」シリーズの一本であるクリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』(08)では、ヒーローの矛盾を通してアメリカの矛盾が描き出される。バットマンという法に縛られないヒーローが必要とされるのは、悪がはびこり、法の番人では歯が立たないからだ。しかしこの映画では、ヒーローと悪の関係がねじれていく。
ジョーカーという悪人がのさばるから、バットマンが必要とされるのではない。バットマンがいるから、ジョーカーが彼に挑戦して卑劣なテロを次々と企てる。その結果、バットマンが守るはずの市民が、彼がいることで逆に犠牲になっていく。そんな展開からは、アメリカの一国中心主義とテロとの皮肉な関係が見えてくるはずだ。
一方、テロとの戦いの実態を暴いてみせるのが、元CIA工作員が書いたノンフィクションに着想を得たスティーブン・ギャガン監督の『シリアナ』(04)だ。争いの源は中東の石油であり、アメリカはそれを獲得するために手段を選ばない。この映画は、アメリカの巨大石油資本、CIA、中東産油国の王族、イスラム原理主義組織が、どう結びついているのかを驚くほど緻密な構成で明らかにしていく。
それだけでも十分に見応えがあるが、登場人物の配置にも工夫が凝らされている。実は主人公は権力者ではなく、彼らに利用され、操られるパキスタン人の労働者、CIAの諜報員、原油市場のアナリスト、大企業の顧問弁護士なのだ。彼らは権力者とは違い、それぞれに現実に矛盾を感じ、変貌を遂げていく。この映画は、アメリカを中心とした政治や経済を俯瞰するだけではなく、優れた人間ドラマにもなっている。
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