■■ジェームズの存在はイラク戦争の内実を象徴している■■
そうしたことがらを、漠然と事実として受け入れてしまうことはできない。極端な表現になるが、この映画では、イラク戦争の立案からジェームズが中毒になるまでの時間と本編で描かれる任務明けに至るまでの時間が対置されているように思える。映画の背景となる2004年夏には、イラク戦争の問題点が様々なかたちで露呈していた。
中心的な役割を果たした国防総省の関心は戦争の遂行だけにあり、復興計画を亡命イラク人に任せて、おざなりにしていた。イラクに侵攻したアメリカ軍は国を制圧したものの、根本的に治安を維持するだけの兵力を備えていなかった。イラクを統治する連合暫定施政当局は、何の受け皿も用意することなく、バース党の主要構成員を公職追放し、イラク軍を解隊してしまった。
そんな半端な関与や無知によって、各地で暴動が発生するようになった。そして、その暴動の進化したかたちが、IEDと呼ばれる手製爆弾だった。ジョージ・パッカーの『イラク戦争のアメリカ』では、以下のように説明されている。「もっとも殺傷効果が高いのがIED、つまり迫撃砲の砲弾の殻や弾薬(各地にある無防備な工場や弾薬の集積場で入手できた)を利用して作る手製爆弾であり、それを道端の穴に埋めたり、ゴミや瓦礫、路上の轢死動物に隠したりした。また、ワイヤーを引いたり、ガレージのシャッターのリモコンや携帯電話などを改造した遠隔起爆装置を使用して、IEDを爆発させた」
ところが、国防総省は、ゲリラ戦をまったく想定していなかった。彼らのなかでは、ゲリラ戦は起こらないことになっていた。その結果、現地のイラクでは、装甲車や防弾チョッキの供給が数ヶ月、あるいは数年も遅れるという重大で悲惨な事態を招いた。しかも、いずれアメリカ軍が撤退するためには、イラク人の治安部隊を組織し、訓練するしかなかったが、アメリカは1年近くも、イラク人を対暴動作戦のパートナーとみなしていなかった。
暴動が発生し、IEDが使用されるようになってから、2004年夏までの短期間に、873個の爆弾を処理し、爆弾がドラッグに等しいものになったジェームズの存在は、こうした戦争の内実を象徴している。そんな彼は、任務明けに至る時間のなかで変化していく。
■■呪縛から解き放たれたジェームズが爆弾の向こうに見出すものとは■■
ジェームズが行う爆弾処理の作業には、チームワークも他者も介在していなかった。現場にタクシーが猛スピードで突っ込んできたときには、運転手を銃で威嚇し、有無を言わせずに追い返す。従わなければ、運転手を傷つけることも辞さなかっただろう。ジェームズはただ爆弾と向き合う。そこには、爆弾と自分しかない。
しかし、サンボーンやエルドリッジと行動をともにすることで、その閉じた世界が徐々に開かれていく。砂漠地帯で爆弾を処分した3人は、基地に戻る途中で爆弾ではなく人間を相手にした戦闘に巻き込まれる。そのときジェームズは、すばやくふたりのサポートにまわり、チームワークの要となる。それは爆弾に囚われた彼が忘れていた感覚だろう。
一週間後、ジェームズは不発弾の回収という任務の遂行中に、廃墟と化したビルの一室で、“人間爆弾”になり損ねた少年の死体を発見する。その少年が顔見知りのベッカムに見えた彼は動揺を隠すことができない。その晩、緩衝地帯で大規模な爆破事件が起こったときには、任務を逸脱して犯人を追跡し、エルドリッジに重傷を負わせてしまう。そして、任務明けの直前には、大量の爆弾を身体に巻きつけられた男の命を救おうとする。
ジェームズは死と戯れるのではなく、爆弾の向こうに人間を見るようになる。そして、アメリカの半端な関与や無知によって泥沼と化したイラク戦争の呪縛から解き放たれた彼は、自分の使命のために再び戦場に向かうのだ。 |