■■ビング・ウェスト『ファルージャ 栄光なき死闘』より■■
「思い出したような発砲や迫撃砲の打ち込み、RPG(ロケット推進擲弾)による攻撃などは、戦闘馴れした第三歩兵師団の兵士たちにとっては痛くも痒くもなかった。ただしIEDは別だった。ベトナム戦争では巧妙に仕掛けられた地雷が歩兵にとって最大の悩みで、歩兵の戦死者の二〇パーセントがこうした地雷によるものだった。士気にも大きく影響した。歩兵たちは、前進しながら、いつ地雷で吹き飛ばされるかという恐怖心に駆られていた。平坦な土地が続くイラクではハイウェーが問題だった。アメリカ兵の戦死者の六八パーセントがIEDによるものだった。道路を進むアメリカ兵は誰もがIEDを恐れていた。
IEDは簡単に作れる。榴散弾を作るために金属片をひとまとめにしたものに、ガレージのシャッターの開閉リモコンや携帯電話で遠隔操作する発火装置をつければよいのだ。スイッチを押す人間は、一ブロックほど離れた屋根の上にいればいい。
第三歩兵師団の兵士たちはIEDを見つける方法をいくつか見つけた。腹部が異常に膨れ上がった犬の死体、妙な方向に向けて置かれた樽、風に吹き飛ばされずに道路に置かれている重そうなダンボール箱、不審な場所に停められた車などは要注意だ。しかし、七月中旬には、ファルージャの西を走っていた車列が大砲の砲弾の爆破に遭い、兵士一人が死亡、三人が負傷した。爆発物の近くを何人もの土地の人間が往来していたが、アメリカ軍に警告する者はいなかった」
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