正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官
Crossing Over


2008年/アメリカ/カラー/113分/シネマスコープ/ドルビーSRD・SDDS・DTS
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(初出:『正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官』劇場用パンフレット)

 

 

これは防衛か、それとも“疑いの文化”の台頭か

 

 9・11以後をテーマにした映画には、多様な視点を見出すことができる。『ワールド・トレード・センター』や『ユナイテッド93』のように、その瞬間に何が起こっていたのかを見つめなおそうとする作品。『華氏911』のように、ブッシュ政権とイラク戦争の実態を明らかにしようとする作品。

 『グアンタナモ、僕達が見た真実』『マイティ・ハート/愛と絆』のように、9・11以後に激化した対立に巻き込まれた人々の実話に基づく作品。『愛をつづる詩』や『ランド・オブ・プレンティ』のように、文化や宗教、世代や価値観が異なるふたりの人物たちの触れ合いを通して、9・11が生んだ亀裂を乗り越えていこうとする作品。『サーチャーズ2.0』のように、復讐と石油をめぐってアメリカを痛烈に風刺する作品などがすぐに思い浮かぶ。

 このテーマは様々な角度から掘り下げられてきたが、アメリカの今後を長い目で見たときに、ますます重要になってくるのが、移民に対する視点だろう。

 たとえば、今年の6月に公開されたばかりの『扉をたたく人』は、そんな視点が際立つ作品だった。妻を亡くしてから心を閉ざし、惰性で生きてきた初老の大学教授は、シリア出身のジャンベ奏者の若者と偶然に出会い、音楽を通して友情を育んでいく。だがその若者は不法滞在者として拘束されてしまう。

 この映画では、フェリーからの展望を通して、自由の女神とかつてワールドトレードセンターが建っていた空間がさり気なく対置されている。それは、これまで移民を受け入れることによって発展を遂げてきたアメリカが、移民希望者や不法滞在者に対して厳しい措置をとるようになったことを示唆している。

 筆者はこのフェリーのシーンを観ながら、デイヴィッド・ライアンの『9・11以後の監視』のなかの以下のような記述を思い出した。

9・11以後、公正な社会ではあらゆる人々に平等な機会が開かれているという、尊重されるべき信条でさえ、雲行きが怪しくなっている。もう一つのニューヨークの名高いシンボルである自由の女神も、そこで嘆いているに違いない。なるほど、確かにアメリカ合衆国はこれまで一度も平等な社会を求める気高い要求に応じることはなかった。だが、2001年の事件以来、すでにあった不平等と不均衡が拡大してきている。戦時中は、他国や敵に対する敵意に満ちた防衛が高まり、疑いの文化が台頭し、誰もそれを免れることはできない。今回の「戦争」も例外ではない。相互信頼という社会の基盤はこうして損なわれつつある

 そして、現代のロサンゼルスを舞台にした『正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官』にも、そんな問題意識が反映されている。この映画で最初に私たちの関心を引くのは、世界各国からやって来た様々な移民ではなく、ICE(移民・関税執行局)の存在だ。この組織は、9・11以後に新たに設置された国土安全保障省の傘下にある。ライアンの『9・11以後の監視』では、国土安全保障省のことが以下のように説明されている。「国土安全保障省の任務は、予防、防衛、アメリカ国内のテロリズム対策といった前代未聞のものである


◆スタッフ◆
 
監督/脚本/製作   ウェイン・クラマー
Wayne Kramer
撮影 ジェームズ・ウィテカー
James Whitaker
編集 アーサー・コバーン
Arthur Coburn
音楽 マーク・アイシャム
Mark Isham
 
◆キャスト◆
 
マックス・ブローガン   ハリソン・フォード
Harrison Ford
コール・フランケル レイ・リオッタ
Ray Liotta
デニス・フランケル アシュレイ・ジャッド
Ashley Judd
ギャビン・コセフ ジム・スタージェス
Jim Sturgess
ハミード・バラエリ クリフ・カーティス
Cliff Curtis
ミレヤ・サンチェス アリシー・ブラガ
Alice Braga
クレア・シェパード アリス・イヴ
Alice Eve
ヨン・キム ジャスティン・チョン
Justin Chon
タズリマ・ジャハンギル サマー・ビシル
Summer Bishil
-
(配給:ショウゲート)
 

 映画はICEが市内の縫製工場に踏み込み、不法就労者たちを一斉検挙するところから始まる。ベテラン捜査官のマックスは、彼が検挙した女性が子供を残したままメキシコに強制退去させられたのを知り、子供をメキシコの実家まで送り届ける。彼はICEの活動に疑問を持っているように見える。そして、もうひとつのエピソードと繋げてみると、その疑問がより明確になるのではないだろうか。

 バングラデシュ出身でイスラム教徒の少女がICEとFBIの強制捜査を受ける。学校の授業で9・11の実行犯を人間扱いすべきという意見を述べた彼女は、危険分子とみなされ、不法滞在者として拘束されてしまう。このエピソードは、「テロリストに反対しない者はテロリストの一員である」というブッシュ前大統領の言葉を思い出させる。

 不法就労者に対する人権を無視したような摘発や処分も、イスラム教徒に対する偏見が見え隠れする強制捜査も、もとをただせばそれらをICEという同じ組織が行っていることに問題がある。それはとても恐ろしいことだ。なぜなら、先述したような国土安全保障省の任務を遂行する目的で厳しい捜査・摘発を行うことは、“疑いの文化”を助長し、不法滞在者をテロ集団と重ねてしまう危険をはらんでいるからだ。

 しかしこの映画は、ICEと不法滞在者の問題だけを扱っているわけではない。他にも、南アフリカ出身でミュージシャン志望のギャビンやオーストラリア出身で女優志望のクレア、韓国出身の高校生ヨンなど、それぞれに事情を抱える移民が登場する。そんな移民のなかでも筆者が特に興味を覚えるのが、マックスの同僚で、イラン出身のハミードの一家のドラマだ。ハミードや弟のファリードは、ICE捜査官や弁護士として新しい世界に溶け込んでいるように見える。しかし、父権制の伝統が根強く残る世界からやって来た彼らは、もう一方で父親の価値観を受け継ぎ、家族や民族の誇りを守らなければならない。

 この映画では、そんな事情がサスペンスに繋がり、ICEの問題とも絡むことによって、終盤の展開を印象深いものにする。まずハミードの妹と勤務先の店長が殺害される事件が起こる。それから間もなくハミードは、立ち寄ったリカーショップで、ヨンを含む武装した強盗に遭遇する。それは強盗全員を射殺することもやむを得ない緊迫した状況だが、妹の事件に関わったことが彼に異なる行動をとらせる。ハミードとヨンは、ICE捜査官と強盗ではなく、かつて市民権取得式典に出席した移民と、同じ式典への出席を目前に控えた移民として向き合う。そこにはささやかな希望を垣間見ることができる。

《参照/引用文献》
『9・11以後の監視 <監視社会>と<自由>』デイヴィッド・ライアン●
田島泰彦監修 清水知子訳(明石書店、2004年)

(upload:2010/01/25)
 
 
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