アメリカの無垢な時代の終焉
――50年代最大の醜聞を描いた『クイズ・ショウ』とその背景


クイズ・ショウ/Quiz Show――1994年/アメリカ/カラー/133分/ドルビーSR
line
(初出:日本版「Esquire」1995年、若干の加筆)
【PAGE-1】

 

 

 ロバート・レッドフォード監督の新作『クイズ・ショウ』には、50年代のアメリカに関する非常に興味深い題材が取り上げられている。この映画に描かれるのは、50年代後半に実際に起こったあるクイズ番組のスキャンダルの顛末である。簡単にいえば、"やらせ"ということだが、その事件に"全米を震撼させた"というような形容がそえられていたら、 読者は一体どんな事件を想像するだろうか。もしかしたら、映画の宣伝のための大げさなコピーだと思うかもしれない。

 ところが、たとえばデイヴィッド・ハルバースタムが93年に発表した『The Fifties』では、この事件が大きくクローズアップされている。その記述によれば、不正が発覚したとき、当時の批評家たちは、この事件を"アメリカの無垢な時代の終焉"と表現し、ジョン・スタインベックは政治家アドレイ・スティーヴンスンに怒りの手紙を送りつけたという。 しかも、ハルバースタムは、このクイズ番組でスターになったチャーリー・ヴァン・ドーレンについて、不正のために失墜した彼に取って代わったのが、ジョン・F・ケネディだったと考えることもできるといった意見も書いているのである。

 こうなると、この映画に一体何が描かれているのか、俄然、興味をそそられることだろう。描かれているのは、あくまでクイズ番組のスキャンダルである。しかし、そのスキャンダルからは50年代のすべてが見えてくるといっても過言ではないのだ。

■■50年代に普及したテレビとその影響■■

 レッドフォードは、映画の冒頭から、目のさめるような素晴らしいテンポで、観客をクイズ番組"21( トゥエンティ・ワン) "の生放送の現場へと引き込んでいく。番組では、ハービー・ステンペルという風采のあがらないユダヤ系のチャンピオンが連勝を続けている。

 ところが、番組のスポンサーは、視聴率が伸び悩みだしたことから、ハービーが飽きられたと判断し、もっとテレビ向きの人間をチャンピオンにするよう番組に圧力をかける。 そこで、番組のプロデューサーは、ハービーとは対照的な名家の子息で、コロンビア大学の講師をしているチャーリー・ヴァン・ドーレンに白羽の矢をたて、裏取り引きでチャンピオン交代劇を演出し、チャーリーをスターに仕立てあげようと画策する。

 映画は、観客を不正の目撃者、さらには共犯者であるかのように、そんな展開に巻き込む。しかし、この緊迫感あふれるドラマのディテールに話を進める前に、ここではまず、テレビや番組をめぐる当時の背景を少し掘り下げてみたい。いくらかでも背景が見えてくると、このドラマはさらに緊迫感が増すことと思う。

 ご存じのように戦後のアメリカでは、テレビが、急速に普及していった。1946年にテレビを持っていたのは、わずか8000軒に過ぎなかったのに、このクイズ・スキャンダルが最終的な決着をみる1959年には、4400万軒に達している。それだけに、50年代には、テレビがどんな力を備えているかなどということは、番組を作っている人間ですら、まったく予測できなかったともいえる。


―クイズ・ショウ―

 Quiz Show
(1994) on IMDb


◆スタッフ◆

監督/製作
ロバート・レッドフォード
Robert Redford
脚本 ポール・アタナシオ
Paul Attanasio
原作 リチャード・N・グッドウィン
Richard N. Goodwin
撮影監督 ミハエル・バウハウス
Michael Ballhaus
編集 ストゥ・リンダー
Stu Linder
音楽 マーク・アイシャム
Mark Isham

◆キャスト◆

ハービー・ステンペル
ジョン・タトゥーロ
John Turturro
ディック・グッドウィン ロブ・モロー
Rob Morrow
チャールズ・ヴァン・ドーレン レイフ・ファインズ
Ralph Fiennes
マーク・ヴァン・ドーレン ポール・スコフィールド
Paul Scofield
ジャック・バリー クリストファー・マクドナルド
Christopher McDonald
(配給:ブエナ・ビスタ・インターナショナル)
 
 


 たとえば、先述した『The Fifties』には、テレビが生んだ最初のスターとして、ミルトン・バールの名前があげられているが、彼の運命はそのことをよく物語っている。ヴォードヴィルのコメディアンだったバールは、48年にテレビに登場し、「タイム」と「ニューズウィーク」の表紙を同時に飾るほどのスターになった。そして、このスターをライバル局にとられることを恐れたNBCは、51年にバールとの間に、なんと年収20万ドルの30年契約を結んだという。

 ところが、テレビは当初、都市部から普及し、その都市部にはバールのファンがたくさんいたが、テレビがサバービアやスモールタウンに広がっていくと、バールはスターの座から急降下していくことになる。そこで、55年には、NBCは、バールと大幅減俸の新しい契約を結び、他局への出演も許可するのである。また余談ながら、『クイズ・ショウ』のなかで、人気番組"21"を制作していたプロダクションを途中で買収し、後に不正隠蔽のためにチャーリーに圧力をかけるのもNBCである。

 それでは、今度は『クイズ・ショウ』の周辺へと話を進めることにしよう。アメリカでは、50年代後半に入って、クイズ番組が爆発的なブームになり、最盛期には一週間に47本も放映されていたという。そして、この先陣をきったのは、55年に放映が始まった"$64,000 Question"という番組である。これは、一回の番組で、解答者が最高8000ドルの賞金を手に入れられ、勝ちつづければ64000ドルの大金に手が届くが、負ければこれまでの獲得賞金をすべて失うというような趣向の番組だった。

 視聴者からすれば、こうしたクイズ番組は、誰でも機会が与えられ、リッチになることができるというアメリカン・ドリームを体現していた。しかも、ただ金に群がるのではなく、勝者は豊かな知識の持ち主として尊敬されることになり、もう少し掘り下げるなら、競争のなかで、アメリカ人のアイデンティティを見いだしたり、確認する場ともなっていたといえる。さらに、大金を手にするか無一文になるかという勝負は、勤勉を美徳とするようなかつての価値観から消費を楽しむ時代への変化にマッチしていた。

 一方、スポンサーの方も目の色が変わりつつあった。というのも、"The $64、000 Question"のスポンサーとなったレヴロンは、この番組の効果で、売上げが1年で70パーセント増え、株価はたった3か月で12ドルから30ドルに跳ね上がり、化粧品産業の歴史上空前の成功をおさめ、市場を支配することになったからである。

 そして、この成功に続けとばかりに登場したのが、『クイズ・ショウ』に描かれる番組"21"なのだ。つまり、この番組には、一般大衆の欲望や期待とスポンサーの貪欲な思惑が満ち満ちていたということになる。

■■時代が求めたインテリのヒーローの真実■■

 それでは、こうした背景をふまえて、最初に書いた『クイズ・ショウ』のチャンピオンの交代劇を思いだしていただきたい。映画の観客は、ハービーとチャーリーというふたりの解答者たちが、胸のうちに何を秘めているのか知っていて、彼らとともに圧迫感のある狭苦しいブースに押し込まれたような気分で、やらせに立ち会わされる。観客は、自然に彼らの視点や立場に引きつけられることになる。映画はその後、チャーリーを中心に、 ハービー、そして、不正疑惑の真相解明に乗りだす立法管理委員会の新人調査官リチャード・グッドウィンの3人を中心に展開していく。

 当時のクイズ番組には、多かれ少なかれやらせがあったことが後に発覚し、一気に衰退する原因になる。しかし、この"21"の場合には、そのやらせが、たいへんなスターを生みだしてしまった。但し、スター誕生のドラマを仕組んだのは番組だが、それを盛り上げ、チャーリーをスターにしてしまったのは視聴者だといえる。

 視聴者が、なぜそれほどまでに熱狂してしまったかといえば、ひとつには、何でも自由に手に入れられる時代に、チャーリーは、彼らが手に入れられないものを持っていたからだ。ヴァン・ドーレン家は、18世紀から続く家柄で、チャーリーの両親、叔父、叔母などはみな著名人だった。しかし、もっと大きかったのは、チャーリーが、コロンビア大学の講師である上に、家族もただ著名なのではなく、詩人、作家、歴史家などの教養人だったことだ。 当時の人々には、マッカーシズムのために知識人が弾圧された暗い記憶があり、スポーツ選手や芸能人よりも、何よりも、インテリのヒーローを求めていた。一方、チャーリー自身も、裏取り引きを求めるプロデューサーから、教育の効果という言葉をだされたとき、弱みを露呈し、不正に加担してしまうのだ。 →2ページへ続く

 
【PAGE-1】
NEXT
 
 
 


copyright