アメリカはメキシコ、カナダと国境を接しているが、映画のなかでは、この境界がアメリカを映し出す興味深い鏡の役割を果たすことがある。『スリング・ブレイド』で注目を浴びたビリー・ボブ・ソーントン監督の『すべての美しい馬』とカナダ映画界から現れた新鋭ドゥニ・ヴィルヌーブの『渦』は、前者には南、後者には北の境界が埋め込まれ、対照的なアメリカを映し出している。それは過去と未来のアメリカといってもよいだろう。
『すべての美しい馬』の時代は第二次大戦後の1949年。母親が石油会社への売却を決めたために、生まれ育った牧場を失ったカウボーイの若者ジョンは、友人とともに牧場を求めてメキシコに行く。彼が国境の向こうに追い求めるのは、石油会社に象徴される大量消費時代のなかで失われていくアメリカだ。
コーマック・マッカーシーの同名原作は、『越境』『平原の町』へと続く"国境三部作"の第一部にあたる。この三部作の主人公たちはメキシコに失われたアメリカを見ている。『越境』では、もはや狼を見かけなくなったアメリカで、メキシコから紛れ込んだ狼を捕らえたビリーが、その狼を故郷の山に帰すために越境することが物語の発端となる。
『平原の町』では、再び登場したジョンが、彼と死闘を演じるメキシコ人からこんな痛烈な言葉を浴びせられる、「おまえらは死病にかかった者の楽園から自分たちの処ではもう死滅したものを求めてやってくる」。
マッカーシーは戦後のアメリカが失ったものを描くことで、現代社会を見直そうとする。しかしその失ったものとは、単純に西部の世界だけを意味するのではない。失われたアメリカは決してメキシコではない。だからそこには当然、軋轢が生まれ、主人公はメキシコで厳しい試練にさらされる。その試練を通して見えてくる人間の在り方こそが、本当に失われたものなのだ。
ソーントン監督がこのような試練を通した人間洞察に惹かれるのはよくわかる。『スリング・ブレイド』では、善悪の基準やキリスト教の教義、皮相的なヒューマニズムでは割り切ることができない試練を通して、人間の威厳が描き出されていたからだ。
『すべての美しい馬』のジョンは、草原を駆け回る馬のように自由に生きようとし、厳しい試練にさらされ、忘れようのない挫折を味わう。人の命まで奪った罪悪感は重くのしかかるが、それも含めて、彼が愛する馬との絆を貫き通して帰還するまでの軌跡には、成長だけではない、人間としての尊厳を垣間見ることができる。
一方、ヴィルヌーブ監督の『渦』には、越境のドラマがあるわけでもなければ、アメリカとカナダの具体的な対比があるわけでもない。しかしそれ以前に、カナダ映画そのものがアメリカとの境界線上にあることを認識しておく必要がある。
アメリカとカナダの文化的な土壌や関係について考えてみるとき、筆者がまず思い出すのは、トロント出身の気鋭の作家ダグラス・クーパーが書いた『Delirium』(98)のことだ。この小説には、キャリアの集大成となる巨大なタワーをトロントに建てた著名な建築家が登場する。
独創的な建築物を作る野心を抱いていた彼は、カナダが理想的な場所だと考えた。パリやニューヨークといった大都市では、すでに多くの物語が生み出され、都市自体が意識を持っていたが、カナダの都市はまだ歴史が浅く、物語すらなかったからだ。彼が作ったタワーは、自然の要素を排除し、人間性を否定し、標本であるかのように人々を封じ込め、支配する。
このエピソードはカナダの土壌や立場を端的に物語っている。アメリカが物質主義の中心だとしても、そこにはまだそれに反発する歴史や伝統があるのに対して、アメリカの多大な影響下にあるカナダは、容易に支配される危険性がある。
カナダ出身のダグラス・クープランドが、加速する消費社会を生きるX世代やデジタル世代のジレンマにいち早く注目したのも、デイヴィッド・クローネンバーグがウィリアム・バロウズやJ・G・バラードに通じるヴィジョンをいち早く視覚化したのも、決して偶然ではない。また、謎の構築物に閉じ込められた人々が、その目的もわからないままサバイバルを強いられる『CUBE』なども、決してゲーム感覚ではなく、現実に根ざしたきわめてカナダ的な映画なのだ。
『渦』はいま紹介した建築家のエピソードに即して考えてみるなら、物語すらないカナダの都市に暮らすヒロインが、自分の支えとなる物語を獲得するまでを、ユニークな映像表現で描く作品といえる。この映画には、現実的なドラマとともに、寓話的な物語の世界がある。25歳のビビアンは企業家として成功を収めているかに見えるが、実際は経営に行き詰まり、私生活でも中絶手術を受けたばかりで、不安定になっている。そんな時に彼女は、轢き逃げをしてしまい、被害者が死亡したことを知って、罪悪感に苛まれる。その一方で、場所も定かでない空間に、いままさに解体されようとする醜い魚が登場し、ヒロインの物語の語り手となる。 |