ロサンゼルス郊外にあり、丘陵に囲まれたサンフェルナンド・バレーは、アメリカのサバービアのなかでも特異な地域だといえる。たとえば、バレー育ちのポール・トーマス・アンダーソンが監督し、70年代後半から80年代初頭にかけてのバレーを舞台にした『ブギーナイツ』からは、この地域ならではのドラマが浮かび上がってくる。高校を中退し、家族との絆も失われているエディは、ポルノ映画の監督にスカウトされ、立派なイチモツの力によってスターになっていく。
サンフェルナンド・バレー(以下バレーと略す)は、戦後いち早く郊外化が進み、緑の芝生にスプリンクラー、専用プールにスーパーマーケットという豊かなサバーバン・ライフの先駆けとなった。しかしそれだけに荒廃が進むのも早く、80年代半ばには離婚率が最も高く、犯罪が横行する地域となっていた。
一方でバレーは、山を隔ててHollywoodと隣りあうばかりでなく、Valleywoodと呼ばれるほどに、映画産業が栄えた地域でもあった。しかしやがてそうした基盤からポルノ産業が生まれ、いつしか世界のポルノ産業の中心地となっていた。『ブギーナイツ』のエディは、そんなふたつの流れが交差する場所で成功を収めたかに見えるが、自分がスターの幻想に溺れていたことを思い知らされ、擬似的な家族の絆に目覚めていくのだ。
そして、アンダーソンと同じようにバレーで育ったデヴィッド・ジェイコブソンが監督した『ダウン・イン・ザ・バレー』からは、さらにディープなバレーならではのドラマが浮かび上がってくる。17歳の娘トーブは、厳しい刑務官の父親と自分の殻に閉じこもる13歳の弟ロニーとバレーに暮らし、窮屈で変化のない毎日にうんざりしている。ある日、そんな彼女の前に、テキサス訛りでカウボーイを自称する風変わりな男ハーレンが現れる。彼女は、何ものにも縛られることなく自分の道を行く彼に惹かれていく。さらにロニーも、父親と違って自分を一人前の人間として扱い、銃の撃ち方を教えてくれる彼に憧れるようになる。
だが、そのカウボーイのイメージは、次第に揺らぎだす。ハーレンは知人の牧場に彼女を案内するが、牧場主は彼に見覚えがなく、勝手に馬を乗り回す彼を迷わず警察に突き出そうとする。ひとりで部屋にこもっているときの彼は、本物のカウボーイというよりは西部劇のヒーローを演じているように見える。実は彼もまたバレー育ちで、不毛な現実から幻想に逃避し、バランスを失いかけているのだ。そんな彼は、自分の思い通りにならないトーブを反射的に撃ってしまい、ロニーを騙して連れ出し、逃亡を開始する。
このドラマは、『ブギーナイツ』とはまた違った意味で、バレーの歴史と深い結びつきを持っている。かつてバレーには、牧場や農場が広がっていた。そこに20世紀初頭から次第に映画産業が進出を始め、Valleywoodが形成される。その初期の時代には、本物のカウボーイや牧場の労働者がたくさんいて、エキストラとして働くこともあったという。また、この地域には西部を描くのに格好のロケーションがあり、最盛期には、カウボーイものの映画の9割がここで撮影されていたという証言もある。そうしたロケ現場は、フリーウェイが建造されることによって役割を終え、今度はサバービアが広がっていく。そして、トッド・ヘインズの『SAFE』に描かれるように、今では丘陵地帯に高級住宅地が建造されていく。
逃亡するハーレンとそれを追う父親のドラマは、そんな歴史を踏まえてみると、興味深く思えてくることだろう。彼らを取り巻く世界は、本物の西部、西部劇、サバービアをめぐって、そのリアリティが変化していく。最初に、闇に包まれた丘陵で、ハーレンがロニーに肝試しを行う場面は、西部を生きるための儀式のようにも見える。その翌日、忍び込んだ空き家で目覚めた彼らの前に出現するのは、現代に甦ったかのような西部劇の世界だ。しかし、逃亡者が放つ実弾はその幻想を撃ち砕いていく。そして、最後の決闘の場となる丘の上は、建築中の高級住宅に占領されている。彼らを取り巻く世界のそんな変化は、ユーモアや風刺のレベルを越えて現実を異化し、ハーレンと父親を奇妙な宙吊り状態に追いやるのだ。 |