トッド・ヘインズは、常に斬新な視点と表現でアメリカ社会の深層に迫っていくが、彼の世界観を見極めるのは容易なことではない。彼が選ぶ題材の挑発的な要素や一作ごとにがらりと変わるスタイル、そして何よりもおそろしく緻密なディテールに目を奪われてしまうからだ。しかし、彼の作品には明らかな一貫性があり、それは映画のなかで掘り下げられる社会の深層を見極めるための入口ともなる。
ヘインズの長編デビュー作である91年の『ポイズン』は、それぞれ<ホモ><ヒーロー><ホラー>と題された、時代も映像表現も異なる三つの物語からなり、それがザッピングされ、繋がりを生みだしていく。
ジャン・ジュネの「薔薇の奇蹟」をベースに、44年に設定された<ホモ>では、感化院で少年時代を共に過ごした男たちが、刑務所で再会し、彼らの愛憎が、過剰に詩的なフラッシュバックを交えて描かれ、85年に設定された<ヒーロー>では、サバービアの自宅で父親を殺害し、空に消えた少年の事件が、ドキュメンタリー・タッチで描かれる。そして<ホラー>では、抽出したホルモンを誤って飲んでしまったために、伝染病を撒き散らす殺人鬼となってしまった科学者の姿が、50年代のB級ホラーのスタイルで描かれる。
この三つの物語は、時代背景が異なるにもかかわらず、ザッピングによってひとつの時代に集約されていく。<ホラー>の伝染病はエイズを連想させる。そのエイズは、現実の世界で当初ゲイと結びつけられ、差別的で排他的な空気が広がったため、<ホラー>と<ホモ>のドラマに繋がりが生まれ、そこに80年代の空気が漂うようになる。
そうなると最初から85年に設定された<ヒーロー>とも自然に繋がっていくことになる。保守化した社会のなかで、サバービアはいっそう閉塞的になり、孤立する家族は出口を失い、内部から崩壊していく。つまり、この映画は、80年代を巧妙かつ多面的にとらえているのだ。そこには、同じ題材を、80年代を背景にストレートに描くよりも、われわれの感覚の深いところに訴えかけてくるものが確かにある。
ヘインズの作品では、"ゲイ""病気""サバービア"が重要な要素になっているが、その源には80年代がある。それゆえ、80年代のアメリカに対する彼の深いこだわりに注目してみると、表面的なドラマから受ける印象とはまったく違った世界が浮かび上がってくる。
95年の『SAFE』の題材は、化学物質過敏症であり、ドラマではこの病気によって追い詰められていく主婦の姿が描きだされる。しかし、時代と舞台の設定からは、異なる狙いが見えてくる。ヘインズは、87年という時代、そしてアメリカのサバービアの象徴ともいえるロサンゼルスのサン・フェルナンド・ヴァレー、そのなかでもかなり奥まったアッパー・ミドルのエリアという舞台を、意識して選択している。そんな設定によって、ヒロインのなかには確実に不安が膨らんでいくのだ。
80年代にはレーガン政権の政策によって、貧富の差が大きく広がり、貧しいマイノリティが取り残されたインナーシティは荒廃し、犯罪が増加している。映画の舞台であるサン・フェルナンド・ヴァレーは、大戦後いち早く郊外化が進み、新しいアメリカン・ドリームの象徴となったが、80年代には最も離婚率が高く、ティーンのギャングが徘徊し、都心から流れ込むマイノリティのギャングとトラブルを巻き起こす場所となっていた。そこで富める者たちは、さらなる安全を求めてヴァレーの奥へと逃避し、豪華な屋敷と生活で防備を固めていく。ヒロインは、まさにそんな生活を送っている。
このドラマで、登場人物が具体的にインナーシティのことに言及するのはたった一度だけである。夕食の席でヒロインの息子が、学校の課題でインナーシティのギャングのことを書いたと話すのだ。すると彼女は怯えた表情を見せる。しかし、他の場面からもインナーシティのおぼろげな脅威を垣間見ることはできる。たとえば、眠れない彼女が庭に出て、夜風にあたっていると、見回りをしている警官から異常がないか声をかけられる。彼女はそのことによって、むしろ落ち着かない気持ちになる。
マイク・デイヴィスは、ロサンゼルスの過去、現在、未来を詳細に描いた著書『要塞都市LA』のなかで、このように書いている。「ロサンゼルス・サウスセントラルやワシントンDCのダウンタウンのように、実際に街での暴力事件が急増した場所であっても、死体の山が人種あるいは階級の境界を越えて積み上げられることは滅多にない。だがインナーシティの状況について直接肌で感じた知識を持ち合わせていない白人中産階級の想像力の中では、認識された脅威は悪魔学のレンズを通して拡大されるのだ」。
ヒロインが化学物質過敏症に襲われるドラマの背後には、そんな現実と不安がある。彼女は、貧富の差の拡大がインナーシティとサバービアの間で脅威と不安の悪循環を生みだしていることに気づくわけではないが、物に守られた生活の空虚さは感じる。だから発病するのだ。
ヘインズの世界では、病気をめぐってしばしば正常と異常の転倒が起こる。このヒロインの発病は正常な反応であり、それは自分を発見するための糸口ともなる。しかし、彼女がコミューンに逃げ込む道を選んだとき、その機会は失われる。彼女は、現実を直視するよりも、むしろ病気を受け入れて、現実から逃避することを選ぶ。そして、自分を見失い、病気の意味は転倒するのだ。
70年代のグラム・ロックを題材にした98年の『ベルベット・ゴールドマイン』もまた、80年代と無縁ではない。というよりも、重要な位置を占めている。この映画は80年代半ばのニューヨークから物語が始まり、記者の目を通して70年代が振り返られ、彼がグラム・ロック界のカリスマだったブライアンの行方をつき止めたとき、むしろ80年代という時代が浮き彫りにされることになる。
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