ロサンゼルス郊外にあり、丘陵に囲まれたサンフェルナンド・バレー(以下「バレー」と略す)は、アメリカのサバービアの代名詞になっている。バレーでは、第二次大戦後にいち早く郊外化が進み、緑の芝生にスプリンクラー、自家用プール、バーベキュー、スーパーマーケットやショッピングセンターという豊かなサバーバン・ライフの先駆けとなった。だが、戦後の楽天的な時代を彩った幸福のイメージと現実にはギャップがあった。生活が単調で娯楽に乏しいサバービアは、閉塞感を生み出し、荒廃していく。バレーは、80年代の半ばには全米で最も離婚率が高く、犯罪が横行する地域となっていた。
その一方でバレーは、アメリカのサバービアのなかで特異な空間でもある。この地域は、マルホランド・ドライブが走る丘陵を隔ててハリウッドと隣接するばかりではなく、バレーウッド(Valleywood)と呼ばれるほどに映画産業が栄えた場所でもあった。郊外化の背景には、セレブの社交場への憧れもあった。しかしそうした基盤からはやがてポルノ産業が生まれ、バレーはいつしか世界のポルノ産業の中心地となっていた。バレー出身のポール・トーマス・アンダーソンの『ブギーナイツ』では、高校を中退し、家出した若者がポルノスターの幻想に溺れていくが、この映画は、サバービアの荒廃とポルノ産業が交わるバレーならではの物語になっているのだ。
そして、同じくバレー出身のデイヴィッド・ジェイコブソンが監督した『ダウン・イン・ザ・バレー』からは、さらにディープなバレーならではのドラマが浮かび上がってくる。テキサス訛りでカウボーイを自称する風変わりな男ハーレンとサバービアという取り合わせは、一見ひどく奇異なものに見える。だがこのドラマは、『ブギーナイツ』とはまた違った意味で、バレーの特異性と深く結びついているのだ。
郊外化が進む遥か以前、バレーには、牧場や農場が広がっていた。そこに20世紀初頭から次第に映画産業が進出するようになり、バレーウッドが形成されていく。その初期の時代、この土地には、本物のカウボーイや農場の労働者がたくさんいて、エキストラとして働くこともあったという。さらに、チャッツワースのような西部を描くのに格好のロケーションがあり、最盛期には、カウボーイものの映画の9割がそこで撮影されていたという証言もある。そうしたロケ現場は、フリーウェイの建造によってその役割を終え、今度はサバービアが広がっていく。現在では、平地の部分は住宅で埋め尽くされ、周囲の丘陵地帯には、トッド・ヘインズの『SAFE』に描かれているようなセキュリティを重視した高級住宅地が今も増殖しつつある。
そうした郊外化には当然、抵抗もあった。元カウボーイ俳優のロバート・M・パーセルは、郊外化によって伝統が破壊されることに危機感を覚え、チャッツワースの土地を、自動車や近代的な設備のない、本物の西部の町として保存することを提案した。「現代の産業の発展は、カウボーイと馬と牧場をロサンゼルスの片隅に追いやっている。サンフェルナンド・バレーの西端は、今やわれわれの最後の避難所なのだ」というのが彼の言葉だ。しかしその夢は、すぐに忘れ去られていく。 |