徹底した合理化が生み出す不条理
――『OUT』と『ジョンQ―最後の決断―』をめぐって


OUT/OUT―――――――――――― 2002年/日本/カラー/119分/ヴィスタ/ドルビーデジタル
ジョンQ―最後の決断―/John Q――― 2002年/アメリカ/カラー/116分/ヴィスタ/ドルビーデジタルDTS・SDDS
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(初出:「Cut」2002年9月号、映画の境界線14、若干の加筆)

 

 

 社会学者ジョージ・リッツアの著書『マクドナルド化する社会』では、ファストフード・レストランの諸原理に代表される徹底した合理化=マクドナルド化が世界に広がる状況について、細かく検証されている。効率性、計算可能性、予測可能性、制御を特徴とするマクドナルド化は、確かに生活を便利にし、人々を引きつけ、多大な利益を生み出した。しかし同時に、消費者と従業員の脱人間化、コミュニケーションや個人の創造性の排除、均質化といった多くの非合理的な結果も生み出している。

 平山秀幸監督の『OUT』とニック・カサヴェテス監督の『ジョンQ―最後の決断―』は、そのマクドナルド化、あるいは徹底した合理化が鍵を握る映画だ。

 『OUT』の主人公である4人の女たちは、弁当工場でパートとして働いている。彼女たちは、深夜から朝までベルトコンベアと向き合い、分業化された弁当作りの単調な作業をひたすら繰り返す。『マクドナルド化する社会』によれば、こうした作業ラインは自動車産業のなかで開拓され、マクドナルド化の先駆けとなったという。そこに非合理性があることは容易に察せられるが、リッツアはこのように説明している。「人間的な作業能力を発揮するかわりに、人びとは人間性を否定し、ロボットのように振る舞うことを強制される。人びとは作業のなかで自分自身を表現することができない

 それは主人公たちにとって辛い作業であるはずだ。しかし、仕事を離れた日常とどちらが辛いかは微妙なところだ。彼女たちの日常には、リストラや引きこもりによる家族の崩壊、痴呆症の義母の介護や生活苦、カード破産、ギャンブルによる浪費や家庭内暴力などが待っているからだ。人間性を否定していられる時間は、ある種の救いになっているようにすら見える。人間としてそんな日常の現実とずっと向き合っていれば、どこかで爆発しかねない。実際、主人公のひとりは衝動的に夫を殺害してしまい、それが、彼女たちが一線を越えるきっかけとなる。

 彼女たちが何らかのかたちで解放されるということは、普通に考えるなら辛い日常と仕事から逃れることを意味する。確かに彼女たちも最後には逃避行に出る。しかしこの映画で最も興味深いのは、解放の糸口が作業ラインを日常に持ち込むことから見えてくるところだ。平凡な家庭の風呂場が突如、作業場に変貌し、彼女たちは、白い作業着と帽子のかわりに水着やゴミ袋、水中メガネなどを身につけ、脱人間化された作業に励む。それは最初はあくまで金のためだが、やがて奇妙な解放感と絆が生まれる。そこには、合理化をあっさりと飲み込み、逆襲に出たかのような逞しさと清々しさがある。

 一方、『ジョンQ』の背景にあるのは、医療制度のマクドナルド化だといえる。ほとんどの先進諸国には国民皆保険かそれに近い医療保障制度があるのに対して、いまのところアメリカにはそれがない。アメリカの医療の根本には、まず何よりも医学の進歩、向上に力を注ぎ、その結果である高い水準の恩恵にあずかれるかどうかは個人の自助努力次第という考え方がある。

 しかしもちろん、そうした医師や病院主導の体制では、医療費がどこまでも高騰し、医療サービスに対する消費者の不信や企業雇用主の不満が広がるため、保険会社のような第三者機関がその間に入り、医療サービスをチェックし、医療費を抑えるような制度が導入された。それは消費者を守る制度になるはずだったが、現実には消費者に自由があるとはいえない。保険会社は企業と契約を結び、利益が見込めない個人は振り落とされていく。だから、4千万とも5千万ともいわれる無保険者が存在することになる。

 『マクドナルド化する社会』には、アメリカの医療についてこんな記述がある。「外部機関はうなぎのぼりの医療経費に関心を強めている。支払い対象と支払い額を制限することでこの問題に対処することにした第三者支払機関は、ある種の治療や入院に支払いを拒絶したり、定額しか支払わなかったりする。金額や時間などの数量に関心が集中すると、危険なことだが、医療関係者が患者のケアの質を重視しなくなるかもしれない


―OUT―

 Out
(2002) on IMDb


◆スタッフ◆
 
監督   平山秀幸
脚本 鄭義信
原作 桐野夏生
撮影 柴崎幸三
編集 川島章正
音楽 安川午朗

◆キャスト◆

香取雅子   原田美枝子
吾妻ヨシエ 倍賞美津子
城之内邦子 室井滋
山本弥生 西田尚美
山本健司 大森南朋
十文字彬 香川照之
佐竹光義 間寛平
(配給:20世紀フォックス)
 

―ジョンQ 最後の決断―

 John Q
(2002) on IMDb


◆スタッフ◆
 
監督   ニック・カサヴェテス
Nick Cassavetes
脚本 ジェームズ・カーンズ
James Kearns
撮影 ロジェ・ストファーズ
Rogier Stoffers
編集 デデ・アレン
Dede Allen
音楽 アーロン・ジグマン
Aaron Zigman

◆キャスト◆

ジョンQ   デンゼル・ワシントン
Denzel Washington
グリムズ ロバート・デュヴァル
Robert Duvall
ドクター・ターナー ジェームズ・ウッズ
James Woods
レベッカ・ペイン アン・ヘッシュ
Anne Heche
レスター エディ・グリフィン
Eddie Griffin
デニス・アーチボルド キンバリー・エリス
Kimberly Elise
ミッチー ショーン・ハトシー
Shawn Hatosy
モンロー レイ・リオッタ
Ray Liotta
マイク・アーチボルド ダニエル・E・スミス
Daniel E. Smith
(配給:ギャガ=ヒューマックス)
 


 『ジョンQ』では、主人公ジョンQの息子マイクがある日突然、昏睡状態に陥り、重い心臓病を患っていることが明らかになる。残された道は心臓移植しかないが、手術費は約25万ドルで、移植待機者名簿に名前を登録するだけでも手術費の30%にあたる7万5千ドルを前払いしなければならない。

 ジョンQは医療保険でまかなえると思うが、実は彼が長年勤めた工場で半日勤務のパートへとリストラされた際に、通告もないまま保険のランクが引き下げられていた。だから移植手術には適用されない。彼は八方手を尽くして払えるだけのものを払うが、金額と時間にしか関心のない医療関係者は患者の退院を勧告する。そこで彼は一線を越え、銃を手に救急病棟を占拠する。

 この映画でも、徹底した合理化の非合理性というべき奇妙なドラマが繰り広げられようとする。ジョンQは最後の手段として自ら命を絶つことで、息子に心臓を提供しようとする。心臓外科医は彼の固い決意を受け入れ、自分のキャリアを棒に振ってでも手術を断行しようとする。

 しかし、この映画が訴えかけるのは、医療制度の問題だけではない。アメリカはカナダ、メキシコと交わしたNAFTA(北米自由貿易協定)によって市場の統合を進めた。ジョンQがパートにリストラされるのは、工場の拠点がメキシコに移ったからだ。さらに、ストーリーとは直接関係がないが、舞台がシカゴに設定されたこの映画の一部がカナダのトロントで撮影されていることにも注目すべきだろう。カナダはNAFTA以前からアメリカの多大な影響下にあったが、最近ではコストが安くつくカナダで撮影されるアメリカ映画の数が確実に増加し、ロスを拠点とする組合がそうしたプロダクションを批判している。合理化の問題を掘り下げる作品そのものがこの問題と無縁ではない。そんなところに、この問題の根の深さを垣間見ることができる。

《参照/引用文献》
『マクドナルド化する社会』ジョージ・リッツア ●
正岡寛司監訳(早稲田大学出版部、1999年)

(upload:2009/07/19)
 
 
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