悪魔を題材にした研究書はいろいろあるが、筆者が読んだもののなかで特に印象に残っているのが、ニール・フォーサイスという学者が書いた『古代悪魔学 サタンと闘争神話』だ。
悪魔は、その歴史や概念を掘り下げる研究書のなかで、宗教や神学の複雑な体系を通して、難解な存在と化していく。だが、フォーサイスの視点は違う。本書の序章には、以下のような記述がある。
「しかしながらわたし自身の立場からいえば、サタンは第一に物語の登場人物であり、ある意味ではいつも登場人物であり続ける。なぜなら、サタンとは、人々が絶えずかれにまつわる物語を語りたいという誘惑に駆られる登場人物だからである。サタンについて理解を深めるためには、何か精巧だが根拠のない形而上学的体系にもとづいて、その特質を調査したり、その本質に関する諸信念を検証したりするよりも、むしろサタンを歴史の流れの中にもどし、物語の文脈――サタン誕生の場であり、かれがけっして退場することのない場――の中で捉え直すことにこそ意味があろう。つまり、われわれはサタンを役者とみなさなくてはならない」
それでは、サタンは、物語のなかでどのような役を演じるのか。それは、サタンという名詞が物語っている。ヘブライ語のサタンは、「対立する」、「妨げる」、「非難する」を意味する語根に由来する。サタンという言葉が表わすのは「敵対者」であり、その役割は「敵対すること」であり、そこから紡ぎ出されるのは必然的に闘争の物語となる。
フォーサイスによれば、サタンは、ユダヤ‐キリスト教の世界から生まれたのではなく、古代の神話伝承のなかから浮上してきた。そうした神話伝承のなかの敵対者が、やがてユダヤ‐キリスト教の世界にも取り込まれ、さらなる発展を遂げていく。
なぜなら、全能にして慈悲深き創造主と、幸福や平和が終わりのない様々な対立によって打ち砕かれていく現実との矛盾を乗り越えるためには、敵対者としてのサタンの存在が不可欠になっていったからだ。
オリジナルの『オーメン』、あるいは『オーメン』3部作に登場する悪魔の子ダミアンは、ヨハネの黙示録の引用が物語るように、キリスト教の世界から現れた敵対者である。この3部作においてダミアンは、霊的な力を使い、自分の正体を知った者たちを次々に抹殺していく。しかし、ダミアンとの闘争は、必ずしもキリスト教の世界のなかで完結しているわけではない。
筆者が注目したいのは、ダミアンを倒すための7本の短剣だ。『オーメン』のロバートは、メギドの遺跡で、エクソシストを継承するブーゲンハーゲンからそれを託される。そして、ダミアンと短剣は、続く2作品に引き継がれていく。
この短剣は、エクソシストや聖職者だけでなく、一般の人間が使っても力を発揮する。それは、突き詰めれば、神が現れないことを意味する(完結篇の『オーメン 最後の闘争』には、神の子が現れるが、それはダミアンとの闘争に決着がついてからだ)。
そうした設定からは、キリスト教の世界における闘争とは異なるもうひとつの闘争が浮かび上がってくる。『オーメン』のロバート、『オーメン2 ダミアン』のリチャード、『最後の闘争』の女性キャスター、ケイトは、それぞれに短剣でダミアンに挑もうとする。この三人には共通点がある。いずれも、自分の子供の命を奪われるのだ。そして、ダミアンとの闘争を余儀なくされる。
彼らは、善人ではあるが、信仰に厚いというわけではない。そんな彼らにとってダミアンは、悪魔の子であるよりも、もっと直接的に自分の幸福を破壊する敵対者であるように思える。ダミアンと彼らの闘争は、現代という神なき時代の闘争であり、また、これまで歴史のなかで繰り返されてきた根源的で古典的な闘争でもある。それゆえに、『オーメン』三部作には、キリスト教的な恐怖と同時に、より身近で生々しい恐怖がある。
この三部作には、キリスト教の枠組みにとらわれない普遍性と社会状況を反映する同時代性がある。オリジナルの『オーメン』の背景となっていたのは石油危機の時代。デヴィッド・セルツァーによるノベライズでは、ロバートの立場が、以下のように表現されている。
「ソーン自身の仕事は、ひどく心労の多いもので、ロンドンでの任務は、石油危機に関連してきわめて困難な立場に立たされていた。合衆国大統領は、サウジ・アラビアの石油を握っている首長たちとの非公式の会合からもたらされる成果にますます頼るようになっていた」
ダミアンは、アメリカとアラブ諸国の亀裂が深まる不穏な情勢のなかに出現し、大統領への道を歩むロバートの息子になりすます。『オーメン2』では、13歳のダミアンが、陸軍学校やソーン・コーポレーションに潜り込んだ協力者に支えられ、地盤を固めていく。
『最後の闘争』では、32歳のダミアンが、大統領を巧妙に操り、かつてのロバートと同じ地位につく。周りでいかに凄惨な悲劇が繰り返されても、ダミアン自身は、常に優等生であり、確実に権力の中枢に迫っていく。『最後の闘争』では、彼を殺そうとする神父たちの方が狂信者に見えかねないほどだ。
そして、現在では、9・11やイラク戦争に象徴されるように、アメリカとアラブの亀裂が深まっている。環境破壊は、大規模な災害をもたらしている。グローバリゼーションによって、大企業が市場や資本を独占し、格差が確実に広がっている。不平等は、不信を生み、反社会的な行動に繋がっていく。伝統的な共同体や家族は崩壊し、人々は孤立していく。
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