<サタニズムと回復記憶療法>では、サタニズムと回復記憶療法と呼ばれるセラピーに注目し、実体がまったく定かではないにもかかわらず、サタニストが存在するという先入観を持っているセラピストとトラウマを持つ患者が協力し合うことで、サタニズムの儀式による虐待を受けたという偽の記憶を再生してしまう恐ろしい話について書いた。
サタニズムについては、動物や人間の子供を生け贄にする儀式を行うとか、背後でドラッグやポルノの密売と結びついているといったことが頻繁に囁かれるが、そのほとんどは噂の類で、動かぬ証拠が見つかったという話は聞かない。にもかかわらず、多くの人々がそれを信じ込み、"サタニック・パニック"と言われるような大騒ぎが起こる。ここでは3冊の本を参考に、そんなサタニズムをめぐる様々な現象の背景を探ってみたい。
ジェフリー・S・ヴィクターの『Satanic Panic』は、サタニズムをめぐる現象を検証し、現代の伝説がどのように構築されていくのかを明らかにしようとする。本書で紹介される出来事をたどっていくと、サタニズムが80年代に入る頃から大きな関心を集めるようになり、現代に至っていることがわかる。
まず80年、マイケル・スミスという患者がセラピーによって、儀式による虐待の生々しい体験の記憶を取り戻した事例を紹介する『Michael Remembers』という本が出版され、大きな話題になる。同じ年、プロクター&ギャンブル社の会社のロゴには悪魔のシンボルが刻み込まれているという噂が流れだす。そして、2年後には毎日500通もの抗議の手紙が会社に送りつけられるようになり、不買運動にまで発展する。83年にはカリフォルニア州マンハッタン・ビーチにあるマクマーティン保育園で、サタニズム集団による幼児虐待が行われていたとして、管理者や教師が逮捕され、長期の裁判に発展する有名な事件が起こった。
著者は、こうした出来事を背景にしてサタニック・パニックがどのように発生するのかを具体的に分析する。88年の5月、ニューヨーク州西部、ペンシルヴェニア州北西部、オハイオ州北東部などで同時多発的にパニック現象が起こった。本書ではこのパニックが起こった町のひとつであるニューヨーク州ジェームズタウンに注目し、噂が事実に変わり、パニックに至る過程を克明にたどっている。
そのきっかけは、前の年の10月末にパンク系のティーンがとある工場の倉庫で開いたハロウィン・パーティだった。それはサタニズムとは無縁のパーティだったが、その後テレビでサタニズムの被害者を取りあげる番組が放送されたり、悪魔に操られて母親を惨殺した後自殺したトミー・サリヴァンの猟奇的な事件が全国的な話題になると、町の父兄のあいだで工場の倉庫で儀式が行われているという噂が広まる。警察には儀式が行われているという電話が殺到し、
キリスト教保守派の牧師が教会新聞に深刻な問題としてサタニズムを取りあげる。そんなふうにメディアや教会、さらには警察が敏感に反応することによって、パニックに発展していくのだ。
本書では、こうしたパニックや先述したプロクター&ギャンブル社のエピソードなども含めて、保守派のキリスト教勢力が大きな役割を果たしていることがひとつのポイントになっているのだが、そこに話を進める前に、サタニズム現象を別な視点でとらえる本に少しだけ触れておきたい。
デイヴィッド・K・サクハイムとスーザン・E・ディヴァインの共著『Out of Darkness』の内容は、<サタニズムと回復記憶療法>で書いたことを踏まえて読むと、かなり微妙な主張をしていることがわかる。本書では、サタニズム集団が本当に存在するかどうかは定かではないとしながらも、そうした儀式による虐待を受けたとする患者たちが実在する現実を出発点とし、彼らをどう受け入れ、トラウマと対峙させていくべきなのかを様々な角度から考察しているのだ。
仮に彼らの体験が、噂やホラー映画の世界から構築されたものであったとしても、そのトラウマを明らかにするためには、サタニズムに関する基礎知識を備え、身近な立場で心を開いていく必要があるということだ。たとえば、相手が幼い子供である場合には特にそうした体験について固く口を閉ざそうとするため、虐待を象徴するようなオモチャや人形を使ってその体験を明らかにしていくテクニックなども紹介されている。
そして、そのような視点もあることを念頭に置いて読むと非常に興味深いのが、デビー・ネイサンとマイケル・スネデカーの共著『Satan's Silence』だ。本書では、60年代から現代に至る政治や社会の変化を踏まえたうえで、サタニズム現象が現代の魔女狩りであることを明らかにしようとする。
アメリカでは60年代以降の性革命や中絶の合法化によって、小さな子供を持つ母親が仕事を持ち、離婚や10代の未婚の母親が急増し、その結果として託児所もまた増加した。そんな急激な変化がアメリカ人を揺るがしたときに、社会の悪の象徴としてサタニストによる幼児虐待が浮上してきた。家族の価値を重んじる保守派のキリスト教勢力にとって、サタニストが託児所に潜り込んでいるという噂話には大きな利用価値があった。これは最初に取り上げた『Satanic Panic』の内容とも通じるが、実際に噂を広めたのは、キリスト教ネットワークや治安当局の保守層だったという。 |