先ほど筆者が三本の映画のタイトルをあげたのは、当時の農業の危機に注目するためだけではない。三本の映画ではいずれも女性の存在が印象に残る。『ザ・リバー』では、ひとりで重荷を背負う夫にとって、シシー・スペイセク扮する妻が大きな支えになる。『カントリー』では、自暴自棄になった夫の代わりにジェシカ・ラング扮する妻が家族の大黒柱となり、苦難に立ち向かう。80年代に通じる30年代の農場を舞台にした『プレイス・イン・ザ・ハート』では、サリー・フィールド扮する主婦が、夫を亡くしたことをきっかけに綿花の栽培に乗り出し、自立を遂げていく(ちなみに84年のアカデミー賞では、この三人の女優がそろって主演女優賞にノミネートされ、サリー・フィールドが受賞した)。
この小説でも、農業の危機という状況が、パティという女性を描くための重要な背景になっている。ただし、彼女は救いを見出すことはできず、終盤で苦しい選択を迫られることになる。
さらにこの物語には、著者フリンが80年代についてそれ以上にこだわっているものがある。それは、当時アメリカで注目を集めた回復記憶療法(Recovered Memory Therapy)や虚偽記憶症候群(False Memory Syndrome)と無関係ではない。回復記憶療法とは、主に女性に表れるある種の心身の障害の原因を、抑圧によって記憶から抹消されてしまった過去の体験(具体的には性的虐待)にあるとみなし、その記憶を再生しようとする療法で、真実に直面し克服することで、本来の自己を取り戻すという考え方に基づいていた。だが、実際には記憶を再生するのではなく、偽の記憶を植えつけているという批判が巻き起こり、社会問題になった。それが虚偽記憶症候群だ。
この事件については、「サタニズムと回復記憶療法――悪魔の虚像に操られる記憶」、「ブラック・ダリアと虚偽記憶シンドローム――事件の暗闇に囚われた人々の物語」、「サタニック・パニックの社会的背景――キリスト教保守派とフェミニズムの皮肉な繋がり」などで詳しく書いているので、そちらを参照していただければと思う。また、トマス・ヴィンターベア監督の『偽りなき者』も、この事件にインスパイアされた作品だった。
『冥闇』のヒロイン、リビーは、事件を振り返るうちに、当時、兄のベンがまだ幼い少女たちに性的ないたずらをしていたという疑いをかけられていたことを知る。そして、ベンの行為について証言したクリシーを探し出し、真相を確かめようとする。いまではストリッパーになっているクリシーは、児童精神科医らしき人物に誘導され、偽りの証言をしたことを認める。
「それで、なぜかわたし……ほら、子どもの頃って、大勢の大人に囲まれて事実はこうだと教えこまれたり、こう言えと言い聞かせられたりしたら……それが真実みたいに思えてきちゃうでしょ。だから実際にベンにいたずらをされたんだって思っちゃって」
また、この物語には、83年にカリフォルニア州で実際に起こったマクマーティン保育園事件のことも少し出てくる。「パティもおぼろげながら知ってはいた。カリフォルニア州の保育園で起きた事件で、教師たちが悪魔を崇拝し、園児に性的虐待を加えた罪で訴追されている最中だった」。ちなみに筆者は、「サタニック・パニックの社会的背景」で、この事件のことを書いている。
こうしたエピソードが重要なのは、それがリビー自身にはねかえってくるからだ。彼女はクリシーから話を聞いて、自分自身のことを思い出す。
「事件のあとでわたしを担当した精神科医のことを思いだした。ドクター・ブルーナーは、診察のときにはいつもわたしが好きな青い色の服を着ていて、わたしが求められたとおりの答えをするたびに、ご褒美をくれた。「ベンがショットガンでお母さんを撃ったときのことを話してくれないかい。つらいのはわかっているが、きみがそれを話せば、ちゃんと話してくれれば、お母さんやお姉さんたちのためになるし、きみ自身も楽になるんだよ。しまいこんでいちゃだめだよ、リビー、真実をしまいこんでいちゃだめだ。きみが協力してくれれば、ベンが家族にした仕打ちを償わせることができるんだよ」わたしは勇敢な少女になろうと、ベンが姉を斧で切り刻み、母を殺すところを見たと話した。すると、ドクター・ブルーナーは用意してあった好物のピーナッツバターとアプリコットジャムのサンドイッチをくれた。きっとドクター・ブルーナーも、それがわたしのためになると信じていたのだろう」
フリンの前作『KIZU―傷―』とこの『冥闇』のヒロインには共通点がある。物語のなかでどちらも過去と向き合うことを余儀なくされる。そして、自分がそう信じ込んでいたことと事実が違っていたときに、彼女たちの場合には、ただ誤りを認め、事実を受け入れるだけではすまない。『KIZU―傷―』のヒロインは、妹の死や母親との確執に起因する苦しみによって自傷行為を繰り返すようになり、過去が心と身体に深く刻み込まれている。
そして、リビーの場合は、自分の証言の責任という単純なことではなく、過去の闇に潜んでいた複雑な人間関係のなかにもう一度、自分を置いてみることで、過去に呪縛されてきた世界が激しく揺らぎ、命の危険に晒されることにもなる。著者のフリンは、80年代を独自の視点で切り取り、緻密な構成のなかに自己の世界と現実との溝やそこから生まれる軋みを描き出してみせる。 |