冥闇(めいあん) / ギリアン・フリン
Dark Places / Gillian Flynn (2009)


2012年/中谷友紀子訳/小学館文庫
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(初出:)

 

 

過去に呪縛され、歪んでしまった自己の世界と
隠された真実との深い溝が生み出す激しい軋み

 

 『KIZU―傷―』につづくギリアン・フリンの第二作『冥闇』のヒロインは、心がひねくれ自堕落な生活を送る31歳のリビー・デイだ。彼女がそんな人間になったのにはわけがある。

 リビーが7歳のときに母親とふたりの姉が惨殺された。事件は1985年、カンザス州の田舎町キナキーで起こり、家の壁には悪魔崇拝を示唆する血文字が残されていた。犯人として逮捕されたのは15歳の長男ベン。ただひとり生き残ったリビーが、兄の犯行を目撃したと証言したためだった。ベンは終身刑を宣告された。

 事件後、リビーは親戚の家々を転々とし、いつしか自嘲的で、無気力な人間になっていた。それでもこれまでは善意の人々からの寄付金でなんとか暮らしてこられたが、31歳になったいまその貯えも底をつき、生活費を稼ぐ必要に迫られている。

 そんなとき彼女は、有名事件の真相を語り合う“殺人クラブ”の集まりに招かれる。事件について語れば謝礼をもらえることを知った彼女は、あくまでお金のために事件を振り返ることになる。

 この物語にはふたつの時間の流がある。ひとつはもちろん、リビーの視点で綴られる現在(2009年)の物語だが、それと並行するように、リビーの母親パティ、兄のベンの視点で事件の前日から当日にかけて起こる出来事を描き出す1985年の断片的な物語が交互に挿入される。その過去の物語は、7歳のリビーには見えなかった、あるいは見えていても理解できなかった世界だといえる。

 現在と過去を交錯させつつ明らかにされていく事件は、80年代の社会状況と関わりを持っている。リビーの一家は農場を営んでいたが、80年代の半ばに、マーク・ライデル監督の『ザ・リバー』(84)、リチャード・ピアース監督の『カントリー』(84)、ロバート・ベントン監督の『プレイス・イン・ザ・ハート』(84)など、農家の苦境や苦闘を描く映画が次々と公開されたのは偶然ではない。ファームベルト(farm belt=農場地帯)は、地価の急激な下落などによって激しい打撃を受けていた。

 ピュリツァー賞にも輝いたジャーナリスト、ヘインズ・ジョンソンが80年代を総括した『崩壊帝国アメリカ』では、ファームベルトの苦境が以下のように説明されている。

「七〇年代には、中西部の農地の平均価格はエーカー当たり一九三ドルから七二五ドルに値上がりし、八〇年代もこの状態が続くと予想された。若い農場主たちには不況時代のきびしい生活の記憶はなく、父や祖父がそのとき学んだ「借金は絶対するな」という教訓も彼らには通用しなかった。だが事態は突如、一変した。悲観論者たちでさえ予想もしなかったほどに。農産物価格も地価も同時に下がりはじめた。だが、実質金利はその異常な高さを維持していた。ファームベルト一帯の状況は三〇年代のような様相を呈しはじめた。相次ぐ倒産、強制競売、抵当流れ、地価の下落、商品価格の低下、金詰まり、生産過剰など」

 リビーの両親のラナーとパティもその罠にはまってしまう。彼らが1974年にパティの両親から農場を受け継いだときには、大きな夢があったが、社会は急激に変化し、一家を追い詰める。フリンはその変化をかなり細かく描いている。

「失敗はすぐにやってきた。それをラナーだけのせいにするのは酷かもしれない。当時は、地価はロケット花火のように高騰をつづけると言われていて――「この先国土が増える見込みはない!」――誰もがどんどん土地を買い増しておくべきだと思いこんでいた。「隅から隅まで作付けしろ」が合言葉だった。もっと積極的に、もっと果敢に。夢ばかり大きく、知識のかけらもないラナーは、キルトのように分厚いライム・シャーベット色のネクタイを締めて、パティを連れて銀行へ出かけていき、おずおずと借金の申し込みをした。結局、希望の倍の額の融資を受けることになった。そんなに借りるべきではなかったのだろうが、融資担当者は、好景気だから心配することはないと言った。
  「あいつら、ホイホイ金を出したな!」とラナーは高笑いし、さっそく新しいトラクターを購入した。播種機も四列式から六列式のものに買い換えた。一年もたたないうちに、ぴかぴかの赤いクラウス社製の耕耘機と、ジョン・ディア社製の新型コンバインが仲間入りした。近所に五百エーカーの堂々たる農場を所有するヴァーン・イーヴリーは、パティの農地に新しい機械を見つけるたびに、眉をぴくりとさせながらちくりと嫌味を言った。ラナーは土地を買い足し、釣り船を買い、パティが「だいじょうぶなの、だいじょうぶなの」と尋ねるたびに不機嫌になり、信用されないことがどれだけつらいかとわめきたてた。やがて、まるで冗談のように、すべてが崩壊した。カーターがロシアへの穀物輸出を禁止し(「共産主義と戦え、農民は見捨てろ」)、利率は十八%に達し、燃料費は最初のうちはゆっくりと、やがて急激にはねあがり、銀行が倒産し、それまであまり耳にすることもなかったアルゼンチンなどの国々と市場で競合しなければならなくなった。カンザスの片田舎のキナキーにいるパティでさえもその競争に呑みこまれた。苦しい時期がニ、三年つづいたあと、ラナーは出ていった。最後までカーターの与えた打撃から立ちなおることができず、そのことばかり口にしていた」


 
 
◆おもな登場人物◆
 
<2009年>
リビー・デイ   31歳の女性
ライル・ワース 殺人クラブの会員
マグダ クラブの会員
バーブ・アイケル 元記者
 
<1985年>
パティ・デイ   リビーの母
ラナー・デイ リビーの父
ベン・デイ リビーの兄
ミシェル・デイ リビーの姉
デビー・デイ リビーの姉
ダイアン・クラウス パティの姉
エド&ジム・ミューラー ベンの幼なじみ
ディオンドラ・ワーツナー 女子高校生
トレイ・ティーパノ 19歳の若者
クリシー・ケイツ 11歳の少女
ルー・ケイツ クリシーの父
レン・ワーナー 銀行の融資担当者

◆著者プロフィール◆

ギリアン・フリン
米国ミズーリ州カンザスシティ生まれ。現在はシカゴに在住。カンザス大学卒業後、ノースウェスタン大学でジャーナリズムの修士号取得。前作の『KIZU―傷―』(SHARP OBJECTS)で作家デビュー、2007年度のCWA賞最優秀新人賞、最優秀スパイ・冒険・スリラー賞を受賞する。第三作目の『ゴーン・ガール』が全米でベストセラーに。

 
 

 先ほど筆者が三本の映画のタイトルをあげたのは、当時の農業の危機に注目するためだけではない。三本の映画ではいずれも女性の存在が印象に残る。『ザ・リバー』では、ひとりで重荷を背負う夫にとって、シシー・スペイセク扮する妻が大きな支えになる。『カントリー』では、自暴自棄になった夫の代わりにジェシカ・ラング扮する妻が家族の大黒柱となり、苦難に立ち向かう。80年代に通じる30年代の農場を舞台にした『プレイス・イン・ザ・ハート』では、サリー・フィールド扮する主婦が、夫を亡くしたことをきっかけに綿花の栽培に乗り出し、自立を遂げていく(ちなみに84年のアカデミー賞では、この三人の女優がそろって主演女優賞にノミネートされ、サリー・フィールドが受賞した)。

 この小説でも、農業の危機という状況が、パティという女性を描くための重要な背景になっている。ただし、彼女は救いを見出すことはできず、終盤で苦しい選択を迫られることになる。

 さらにこの物語には、著者フリンが80年代についてそれ以上にこだわっているものがある。それは、当時アメリカで注目を集めた回復記憶療法(Recovered Memory Therapy)や虚偽記憶症候群(False Memory Syndrome)と無関係ではない。回復記憶療法とは、主に女性に表れるある種の心身の障害の原因を、抑圧によって記憶から抹消されてしまった過去の体験(具体的には性的虐待)にあるとみなし、その記憶を再生しようとする療法で、真実に直面し克服することで、本来の自己を取り戻すという考え方に基づいていた。だが、実際には記憶を再生するのではなく、偽の記憶を植えつけているという批判が巻き起こり、社会問題になった。それが虚偽記憶症候群だ。

 この事件については、「サタニズムと回復記憶療法――悪魔の虚像に操られる記憶」「ブラック・ダリアと虚偽記憶シンドローム――事件の暗闇に囚われた人々の物語」「サタニック・パニックの社会的背景――キリスト教保守派とフェミニズムの皮肉な繋がり」などで詳しく書いているので、そちらを参照していただければと思う。また、トマス・ヴィンターベア監督の『偽りなき者』も、この事件にインスパイアされた作品だった。

 『冥闇』のヒロイン、リビーは、事件を振り返るうちに、当時、兄のベンがまだ幼い少女たちに性的ないたずらをしていたという疑いをかけられていたことを知る。そして、ベンの行為について証言したクリシーを探し出し、真相を確かめようとする。いまではストリッパーになっているクリシーは、児童精神科医らしき人物に誘導され、偽りの証言をしたことを認める。

「それで、なぜかわたし……ほら、子どもの頃って、大勢の大人に囲まれて事実はこうだと教えこまれたり、こう言えと言い聞かせられたりしたら……それが真実みたいに思えてきちゃうでしょ。だから実際にベンにいたずらをされたんだって思っちゃって」

 また、この物語には、83年にカリフォルニア州で実際に起こったマクマーティン保育園事件のことも少し出てくる。「パティもおぼろげながら知ってはいた。カリフォルニア州の保育園で起きた事件で、教師たちが悪魔を崇拝し、園児に性的虐待を加えた罪で訴追されている最中だった」。ちなみに筆者は、「サタニック・パニックの社会的背景」で、この事件のことを書いている。

 こうしたエピソードが重要なのは、それがリビー自身にはねかえってくるからだ。彼女はクリシーから話を聞いて、自分自身のことを思い出す。

「事件のあとでわたしを担当した精神科医のことを思いだした。ドクター・ブルーナーは、診察のときにはいつもわたしが好きな青い色の服を着ていて、わたしが求められたとおりの答えをするたびに、ご褒美をくれた。「ベンがショットガンでお母さんを撃ったときのことを話してくれないかい。つらいのはわかっているが、きみがそれを話せば、ちゃんと話してくれれば、お母さんやお姉さんたちのためになるし、きみ自身も楽になるんだよ。しまいこんでいちゃだめだよ、リビー、真実をしまいこんでいちゃだめだ。きみが協力してくれれば、ベンが家族にした仕打ちを償わせることができるんだよ」わたしは勇敢な少女になろうと、ベンが姉を斧で切り刻み、母を殺すところを見たと話した。すると、ドクター・ブルーナーは用意してあった好物のピーナッツバターとアプリコットジャムのサンドイッチをくれた。きっとドクター・ブルーナーも、それがわたしのためになると信じていたのだろう」

 フリンの前作『KIZU―傷―』とこの『冥闇』のヒロインには共通点がある。物語のなかでどちらも過去と向き合うことを余儀なくされる。そして、自分がそう信じ込んでいたことと事実が違っていたときに、彼女たちの場合には、ただ誤りを認め、事実を受け入れるだけではすまない。『KIZU―傷―』のヒロインは、妹の死や母親との確執に起因する苦しみによって自傷行為を繰り返すようになり、過去が心と身体に深く刻み込まれている。

 そして、リビーの場合は、自分の証言の責任という単純なことではなく、過去の闇に潜んでいた複雑な人間関係のなかにもう一度、自分を置いてみることで、過去に呪縛されてきた世界が激しく揺らぎ、命の危険に晒されることにもなる。著者のフリンは、80年代を独自の視点で切り取り、緻密な構成のなかに自己の世界と現実との溝やそこから生まれる軋みを描き出してみせる。

《参照/引用文献》
『崩壊帝国アメリカ――「幻想と貪欲」のレーガン政権の内幕』(上・下)ヘインズ・ジョンソン●
山口正康監修、岡達子・小泉摩耶・野中千恵子訳(徳間書店、1991年)

(upload:2013/11/27)
 
 
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