[ストーリー] 結婚5周年の記念日。誰もが羨むような幸せな結婚生活を送っていたニックとエイミーの夫妻の日常が突然破綻する。エイミーが突然姿を消したのだ。部屋は荒らされ、キッチンには争った跡が残る。警察は他殺と失踪の両方の可能性を探るが、当然のごとくニックにも捜査の手が及ぶ。暴走するメディアによって夫婦の隠された素性が暴かれ、ニックは窮地に立たされてしまう。エイミー失踪事件は、アメリカにおける家庭内犯罪を象徴する事件のように見えたが――。[プレスより]
ギリアン・フリンのベストセラー『ゴーン・ガール』を映画化したデヴィッド・フィンチャー監督の新作は、ミズーリ州の郊外で幸せな生活を送っているかに見えるニックとエイミーの夫妻に異変が起こるところから始まる。結婚5周年の記念日にエイミーが突然姿を消す。室内には争ったような形跡や血痕があり、ニックには確かなアリバイがない。しかも警察の捜査によって彼に不利な状況証拠が次々と見つかる。
フリンの原作にはフィンチャーの想像力を刺激する要素がふんだんに盛り込まれている。なかでも筆者が注目したいのが、ニックが社会に対して感じていることだ。現代人はみな世界の驚異といえるものをテレビや映画ですでに見尽くしている。しかも映像や音響の効果を駆使した間接的な体験の方が印象に残る。もはや本物の方が負けている。そしてテレビや映画やネットとともに育った自分たちも、もはや現実の人間なのかどうか定かではない。
ニックが感じる現実の揺らぎはフィンチャーのテーマでもある。『ゲーム』に登場する実業家は、死の瀬戸際まで追いつめられることでトラウマから解放される。だが、現実を超越するそのリアルな体験は、企業によって提供されたものだった。『ファイト・クラブ』の主人公はリアルな幻想にとらわれ、気づいたときには消費社会にテロを仕掛けようとしている。 |