ゲーム
The Game  Game
(1997) on IMDb


1997年/アメリカ/カラー/128分/スコープサイズ
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(初出:「中央公論」1998年1月号、加筆)

 

 

消費社会が演出する超越的な体験

 

 『エイリアン3』と『セブン』のディテールには、『エイリアン』や『ブレードランナー』が垣間見えるように、デイヴィッド・フィンチャーは、映像的にはリドリー・スコットを引き継いでいる。しかし、ディテールではなく作品全体として見るなら、フィンチャーはスコットとは対照的ともいえる独自のヴィジョン、あるいは主題を確実に切り開きつつある。

 『エイリアン3』では、ヒロインの体内にエイリアンの幼生が埋め込まれることによって、『エイリアン』に描かれたヒロインとエイリアンの外的な闘争の物語が、内的な恐怖と葛藤、犠牲の物語へと大胆に書き換えられた。『セブン』でもキリスト教の七つの大罪をモチーフに、凶悪犯を追う刑事が、凶悪犯によって逆に内面に大罪という罠を埋め込まれ、追いつめられることになる。

 フィンチャーの映画において、このように宗教的なイメージや内的な葛藤が際立つのは、アメリカの80年代という時代と無関係ではないだろう。80年代のアメリカでは、キリスト教右翼勢力に支えられたレーガン政権が、エイズの脅威を煽り立て、同性愛者を弾圧しようとした。『エイリアン3』の設定やドラマには、そんな現実が象徴として埋め込まれているのだ。そして彼の新作『ゲーム』でも、現代における宗教が興味深い視点でとらえられている。


◆スタッフ◆

監督 デイヴィッド・フィンチャー
David Fincher
脚本 ジョン・ブランケート/ マイケル・フェリス
John Brancato/ Michael Ferris
撮影監督 ハリス・サヴィデス
Harris Savides
編集 ジェームズ・ヘイグッド
James Haygood
音楽 ハワード・ショア
Howard Shore

◆キャスト◆

ニコラス
マイケル・ダグラス
Michael Douglas
コンラッド ショーン・ペン
Sean Penn
クリスティーン デボラ・カーラ・アンガー
Deborah Kara Unger
ジム・ファインゴールド ジェームズ・レブホーン
James Rebhorn
サム・サザーランド弁護士 ピーター・ドナット
Peter Donat
 
(配給:ギャガ・ヒューマックス)


 主人公のニコラスは富と権力を手にした実業家で、仕事を除くと俗事には背を向け、人を寄せ付けない生活を送っている。48歳の誕生日を迎えた彼は、疎遠になっている弟から"CRS"の文字が印刷されたカードをプレゼントされる。そのCRS社は参加者各自に相応しい"ゲーム"を提供する企業であることがわかる。ニコラスは半信半疑で入会の手続きをするがそこから悪夢が始まる。彼は現実とゲームの境界線が消失する信じがたい世界のなかですべてを失い、大罪と死の瀬戸際へと追いつめられていく。

 このゲームとは一体何なのか? ニコラスに用意されたゲームが始まる前にそれを示唆する印象的な場面がある。彼は会員制のスポーツ・クラブでこのゲームの体験談を語り合う二人組を見かけ、彼らにそれがどんなものであったのかを尋ねる。するとひとりが「私は盲目であったが今は見える」とだけ答える。

 ヨハネの福音書のなかにあるこの言葉と映画の展開を対比してみると、ある意味で挑発的ともいえる問いかけが見えてくる。盲人の話では、パリサイ人たちがイエスによって癒された盲人に対して、彼が罪人によって癒されたこと咎める。するとこの盲人は、自分を癒した人が罪人かどうかはわからないが、以前は盲目であったものがいまは見えると答える。

 映画でこの言葉を引用する人物は、CRS社のゲームによって癒されたということになる。このCRSは映画のなかで、"消費者娯楽サービス"の略称という設定になっているが、三つの文字には別の意味が埋め込まれている。それはキリスト(CHRIST)である。そこでもう一度盲人の話を映画に当てはめてみるとどうなるか。消費者娯楽サービスなどという企業に癒されることは、罪人に癒されることに等しいといえるかもしれない。しかし、ゲームで超越的な瞬間を体験し、心の目が開いた盲人にとってそれは揺るぎない宗教になる。現代の宗教にそんな一面が隠れていることは誰も否定できないだろう。

 ちなみに、来日したフィンチャーに、CRSとキリストの繋がりについて尋ねてみると、こんな答が返ってきた。「それは偶然だよ。でも確かにアメリカのキリスト教保守派からは反発があった。しかも偶然だと説明したら、もっと馬鹿にしているということになって(笑)」。もちろん、これが本当は偶然ではなかったとしても、彼がすんなり認めるはずはない。ただ何といっても、『エイリアン3』に80年代アメリカの現実を埋め込んでしまう監督だけに、やはり確信犯と見るのが自然だろう。


(upload:2001/09/16)
 
 
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