デイヴィッド・フィンチャー監督の新作『セブン』では、世紀末を象徴する大都会を舞台に、キリスト教における七つの大罪をモチーフにしたグロテスクな殺人を繰り返す凶悪犯とそれを追うふたりの刑事たちの姿が描かれる。
この映画は、切れのある演出とショッキングな映像が際立つサイコスリラーであるばかりでなく、監督フィンチャーの作家性が鮮明に浮かび上がり、実に見応えのある作品になっている。
筆者がまず注目したいのは、フィンチャーが作り上げる都市とそのなかで犯人を追う刑事のイメージだ。舞台となる都市は、具体的な場所が明示されない世紀末の象徴的な世界で、降りしきる雨に完全に光を奪われ、暗く頽廃的な雰囲気に支配されている。
そして、そんな世界のなかで、ブラッド・ピット扮する駆けだしの刑事が、犯人を追って信号待ちの車の上を飛び越えていったり、あるいは、薄暗い路地で犯人の逆襲にあい、ゴミ袋と清掃車のあいだの水たまりにうずくまる。
となれば、思い出されるのは、リドリー・スコットの『ブレードランナー』だ。実際、2本の映画の舞台が、ロケについてはロサンゼルスの街をそれぞれの設定にあわせて巧みに老朽化させることからできているということを考えるなら、ダブって見えるのも不思議なことではない。
しかしもちろん、舞台の造形やアクションに関して『ブレードランナー』を意識しているというだけなら、ことさら大騒ぎするほどのこともない。
この作品がユニークなのは、『ブレードランナー』との接点を頭の片隅に置きながら物語をたどっていくと、さらにリドリー・スコットが、『エイリアン』に続いて『ブレードランナー』を監督し、フィンチャーが『エイリアン3 』に続いてこの『セブン』を監督したことが非常に興味深く思えてくるところにある。それぞれの監督のこの2本の映画の流れを対比してみると、『セブン』の魅力がはっきり見えてくる。 |