1947年にロサンジェルスを震撼させた ”ブラック・ダリア事件” をご存じだろうか。
この年の1月15日、ロス市内の空き地で、若い女の全裸死体が発見された。その死体は、腰のところで真っ二つに切断され、顔は痣だらけのうえに口が両端から耳まで切り裂かれ、乳房には煙草の火を押しつけられた跡や切り傷があるなど、身体中に残酷な仕打ちが加えられていた。また、死体はすっかり血抜き、
洗浄され、遠目にはまるでマネキン人形のように見えた。
被害者は、22歳のエリザベス・ショート。スターに憧れてハリウッドにやって来たものの、娼婦まがいの生活を送っていたことがわかった。彼女は漆黒の髪で、いつも黒い服を身につけていたことから、"ブラック・ダリア"と呼ばれることもあった。それを知ったマスコミはこの愛称に飛びつき、彼女は、
本名よりもブラック・ダリアとして有名になることになった。警察は、大々的な捜査を繰り広げたが、事件は未解決のまま現在に至っている。というのがそのあらましである。
ジョン・ギルモアの『Severed』とジャニス・ノールトン / マイケル・ニュートンの『Daddy Was the Black Dahlia Killer』は、このブラック・ダリア事件を題材にしたノンフィクションで、それぞれ昨年と今年の夏に相次いでペーパーバックで出た新しい作品である。読者のなかには、
そんな昔の事件がなぜ今頃になって取り沙汰されるのか不思議に思う人がいるかもしれないが、この事件はまだまだ決して忘れられてはいない。
たとえば、ケネス・アンガーの「ハリウッド・バビロン II 」では、この事件が取り上げられ、一度見たら忘れることができないようなダリアの無惨な姿が見られる。小説でも力作が生まれている。この事件を下敷きにしたジョン・グレゴリー・ダンの77年の作品「エンジェルズ・シティ」やジェイムズ・エルロイの87年の作品「ブラック・ダリア」は、
いずれもベストセラーになっているし、「エンジェルズ・シティ」を映画化した81年の「告白」もアメリカでは話題になった。その他にも、テレビ・ドラマや難事件を集めた実録物など、事件は様々なかたちで語り継がれている。
ということで、2冊のノンフィクションは、そんなふうにいまだに人々の脳裏を去りがたい事件の真相に迫っているのだが、その内容はいろいろな意味で実に対照的である。
『Severed(邦題:切断)』では、被害者エリザベスの生い立ちから事件に至る足跡、そして捜査の顛末が、多くの証言をもとに丹念に綴られ、最後に、当時犯人に最も近いと思われた男(故人)に焦点があてられる。その男は、証拠不十分で逮捕されることはなかったが、本書では、
ある情報屋に対して間接的に非常に説得力のあるダリア殺しの告白をしていたことが明らかにされている。
一方、『Daddy Was 〜』では、最初に犯人に関するひとつの結論が提示される。父親(62年没)から受けつづけた性的虐待によって長いあいだ記憶を失っていた著者ジャニスは、回復記憶療法によって過去を取り戻す。その結果、驚くべき事実が明らかになる。彼女は、10歳のときに、父親がダリアを殺害するのを目撃し、
彼はそれ以外に何人も人を殺しているというのだ。
もちろん、そんな証言だけなら真に受けるは難しいところだが、本書で実際に文章を書いているのは、共著のかたちで名前を連ねている犯罪ジャーナリスト、マイクル・ニュートンで、彼はジャニスの証言と事件を照合しながら物語を綴っていく。
すると確かに、この親子が引っ越す先々では、いまだ未解決の殺人事件があり、殺害の状況にある程度の類似点を見ることもできるのである。しかも彼はロス市警に対して、これまでの捜査資料の公開と事件の再捜査を強く要求してもいるのだ。
この2冊からはまったく違う犯人像が浮かんでくるわけだが、ここで筆者が注目したいのは、犯人や真相よりも、それぞれにダリアの存在がどのようにとらえられているかということだ。というのも、彼女については、数多くの証言が寄せられているが、それが一向に焦点を結ばず、追えば追うほど実体が曖昧になっていくのである。
だから、小説であれノンフィクションであれ、この事件について書くということは、"ブラック・ダリアとは何者だったのか?"という問いに答えるに等しく、それぞれの作家が、ダリア像を見極めたときに、おのずと真相が決まるといっても過言ではない。 |