わが母なる暗黒 / ジェイムズ・エルロイ
My Dark Places / James Ellroy (1996)


佐々田雅子訳 / 文芸春秋 / 1997年
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(初出:「STUDIO VOICE」1999年10月号)

 

 

 ジェイムズ・エルロイが10歳のときに、彼の母親が何者かに殺害され、この事件が彼の人生と小説に尋常ではない影響を及ぼしてきたことはよく知られている。94年、46歳となったエルロイは、母親の死を直視する決意をし、 犯人を探し、母親の秘密を暴くために独自の捜査を開始する。『わが母なる暗黒』は、そんな母親への回帰がきっかけとなって、生みだされた作品だ。

 その物語は四部からなる。まず一部の「赤毛の女」で、58年に起こった母親の事件と捜査の顛末が明らかにされ、つづく「写真の少年」では、母親の死に囚われた少年が、犯罪や薬物に溺れ、精神的、肉体的に狂気と死の崖っぷちまで追いつめられながら、 地獄から生還し、小説を書くことに目覚めるまでが描かれる。

 三部の「ストーナー」では、エルロイの独自の捜査に協力する元殺人課刑事の物語が綴られ、四部の「ジニーヴァ・ヒリカー」からは、捜査を通して、エルロイのなかで変化する母親像が浮かび上がる。 本書は、この捜査の記録であり、彼の自伝であり、母親の物語でもあるが、彼はそうした要素を再構築し、エルロイ流のノンフィクション・ノヴェルともいうべき物語を作りあげている。

 本書でまず注目すべきなのは、エルロイの露出狂的な煽動家としての側面だろう。たとえば、『ブラック・ダリア』を書き上げたエルロイが演出するマスコミ向けのパフォーマンスはそれをよく物語っている。彼は、 「ジーン・エルロイ―ダリアの話を何十回となく繰り返し」、「二人の殺された女によって形づくられた男、今はそういう事実を超えた次元で生きている男として自分を描いてみせ」る。

 さらに彼はこうも語る「一方、母を冒涜するかたちで利用したことで、 母の記憶を手の届くところまで引き下ろすことになった」。煽動家であることは、エルロイという存在にとって、単に商売上のパフォーマンスではなく、不可欠なものとなっている。

 エルロイを呪縛するのは、タブロイド的な欲望、想像力、感性であり、それは彼を常に分裂させ、作家として成長させていく。彼は一方で、母親を冒涜し、通俗化しながら、同時にそんなタブロイド的想像力を突き抜ける激しい妄念に駆り立てられ、 独自の世界を切り開いていく。それは、母親に近づこうとしながら、それを怖れ、逃れるために彼が無意識のうちに作りあげたシステムだといえる。


◆目次◆

T   赤毛の女
U 写真の少年
V ストーナー
W ジニーヴァ・ヒリカー
  訳者あとがき
  解説―池上冬樹

◆著者プロフィール◆

ジェイムズ・エルロイ
1948年、ロサンジェルス生まれ。『ホワイト・ジャズ』『アメリカン・デス・トリップ』など多数の傑作を放った現代ノワールの名匠。十歳のときに母親を何者かに殺害され、以降、作家となるまで犯罪者同然の生活を送る。本書はあまりに異様なその前半生を赤裸々に描いた自伝であり、現在もなお未解決である実母殺害事件に自ら挑んだ執念の再捜査の記録である。

 



 少年エルロイにとって、母親に対する大きな謎は、なぜ彼女がホワイト・トラッシュの掃き溜めのような町に転居したのかということだが、彼はこう回想する「わたしは答を知りたかった――といって、 そのために母をよみがえらせるという代償は払いたくなかった」。そこで彼は、母親の身代わりとしてブラック・ダリアを見出し、彼女に溺れ、タブロイド的な想像力に磨きをかけていく。

 その後、地獄の体験を経て作家となったエルロイは、小説を通して同じことを繰り返す。彼は『秘密捜査』が母親と対決する最初の一撃だったという。この小説は、本書で明らかにされる事実を踏まえて振り返ってみると、非常に興味深い。 というのも、彼は自分と母親をそれぞれに、この小説のふたりの登場人物に投影し、自分が母親を抱き、しかも、32歳の自分が少年の自分を救済するという悲痛な物語を埋め込んでいるからだ。

 しかしエルロイは本書でそんなことには言及せず、 この小説をこんな言葉で突き放す。「わたしは冷やかなディテールを積み重ねてわたしの母を描き、そうすることで母を追放できると思っていた」。そして彼は再びブラック・ダリアに溺れ、彼女の名前を題名にした小説を書き、母親から遠ざかっていく。

 そんな流れを踏まえるてみると、46歳にして再び母親と対峙しようとするエルロイの物語は異様な緊迫感をはらみだす。なぜなら、彼が母親に近づこうとすればまたシステムが作動し、それに抵抗できないことを十分に承知しながら、自分を投げだすからだ。 彼は積極的にマスコミの取材に応じ、母親の事件を再現するテレビ・ドラマにまで出演し、冒涜的な煽動家ぶりを遺憾無く発揮する。

 もちろんそれは母親に関する情報の提供を呼びかけるためだが、 彼の姿勢には押し寄せるタブロイド的な欲望の波に飲み込まれたいという願望を垣間見ることができる。そしてもし彼がひとりで捜査をしていれば、母親の存在はタブロイド的な想像力で再び封印されることになっただろう。

 しかしこの物語では、彼の捜査に協力する元殺人課刑事ストーナーが、それを抑止する。彼もまた刑事として殺された女たちに接してきたが、エルロイは彼と女たちの関係をこう表現する「死んだ女たちはストーナーの想像力を燃え上がらせた。 (中略)だが、女たちに自分の人生を操らせるような真似はしなかった」。エルロイは、作家の想像力でこのストーナーという人物を掘り下げ、彼との関係を通してタブロイドの呪縛を解き、初めて生身の母親の存在を自分のものにするのである。

 
 
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