少年エルロイにとって、母親に対する大きな謎は、なぜ彼女がホワイト・トラッシュの掃き溜めのような町に転居したのかということだが、彼はこう回想する「わたしは答を知りたかった――といって、
そのために母をよみがえらせるという代償は払いたくなかった」。そこで彼は、母親の身代わりとしてブラック・ダリアを見出し、彼女に溺れ、タブロイド的な想像力に磨きをかけていく。
その後、地獄の体験を経て作家となったエルロイは、小説を通して同じことを繰り返す。彼は『秘密捜査』が母親と対決する最初の一撃だったという。この小説は、本書で明らかにされる事実を踏まえて振り返ってみると、非常に興味深い。
というのも、彼は自分と母親をそれぞれに、この小説のふたりの登場人物に投影し、自分が母親を抱き、しかも、32歳の自分が少年の自分を救済するという悲痛な物語を埋め込んでいるからだ。
しかしエルロイは本書でそんなことには言及せず、
この小説をこんな言葉で突き放す。「わたしは冷やかなディテールを積み重ねてわたしの母を描き、そうすることで母を追放できると思っていた」。そして彼は再びブラック・ダリアに溺れ、彼女の名前を題名にした小説を書き、母親から遠ざかっていく。
そんな流れを踏まえるてみると、46歳にして再び母親と対峙しようとするエルロイの物語は異様な緊迫感をはらみだす。なぜなら、彼が母親に近づこうとすればまたシステムが作動し、それに抵抗できないことを十分に承知しながら、自分を投げだすからだ。
彼は積極的にマスコミの取材に応じ、母親の事件を再現するテレビ・ドラマにまで出演し、冒涜的な煽動家ぶりを遺憾無く発揮する。
もちろんそれは母親に関する情報の提供を呼びかけるためだが、
彼の姿勢には押し寄せるタブロイド的な欲望の波に飲み込まれたいという願望を垣間見ることができる。そしてもし彼がひとりで捜査をしていれば、母親の存在はタブロイド的な想像力で再び封印されることになっただろう。
しかしこの物語では、彼の捜査に協力する元殺人課刑事ストーナーが、それを抑止する。彼もまた刑事として殺された女たちに接してきたが、エルロイは彼と女たちの関係をこう表現する「死んだ女たちはストーナーの想像力を燃え上がらせた。
(中略)だが、女たちに自分の人生を操らせるような真似はしなかった」。エルロイは、作家の想像力でこのストーナーという人物を掘り下げ、彼との関係を通してタブロイドの呪縛を解き、初めて生身の母親の存在を自分のものにするのである。 |