チベット問題をめぐる米中の駆け引き
――『セブン・イヤーズ・イン・チベット』『クンドゥン』『北京のふたり』をめぐって


セブン・イヤーズ・イン・チベット――1997年/アメリカ/カラー/136分/スコープサイズ/ドルビーSR・SDDS
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(初出:「骰子/DICE」No.23、1998年1月)


 

 日本ではいまのところジャン=ジャック・アノー監督の『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(97年)が正月第一弾として公開されただけで、他の2作品の公開が少し先のことになるので散発的な話題にとどまっているが、 海外では特にアメリカと中国を中心として、ダライ・ラマとチベットを題材にしたこの「セブン・イヤーズ〜」とマーティン・スコセッシ監督の新作『Kundun(邦題:クンドゥン)』(97年)、そして中国の司法制度を批判するジョン・アヴネット監督、 リチャード・ギア主演のスリラー『Red Corner(邦題:北京のふたり)』(97年)の3作品が物議を醸している。

 これはチベットと中国の関係を踏まえてみるなら当然のことといえる。チベットは古来より中国の一部とする中国は、50年にチベットに侵攻し、次第に支配権を強化していった。そして59年、 そんな中国の支配に対してチベットで大規模な暴動が起こり、チベットの精神的な支柱であるダライ・ラマ14世はインドに亡命し、多くの難民とともに亡命政府を築き上げていく。しかし、亡命政府と中国との交渉は停滞し、そのあいだに、 チベットでは、殺戮が行われ僧侶が投獄され、中国人の入植が進み、文化が破壊されるなど、困難な状況がつづき、緊張が増しつつある。

 そんな状況を背景に3本の映画をめぐってハリウッドと中国のあいだでは、映画の公開前から様々な駆け引きが展開されてきた。たとえば一昨年の秋、中国は若き日のダライ・ラマを描くスコセッシの『Kundun』を配給するディズニーに対して、 その映画によってディズニーが中国市場を失うおそれがあると釘をさしたが、ディズニーの方針は変わらなかった。一方、オーストリア人の登山家ハインリヒ・ハラーが実体験を綴った原作をもとに、 若き日のダライ・ラマとハラーの交流を描く『セブン・イヤーズ〜』には、若き日のハラーがナチの信奉者だったことを暴露する横槍が入った。

 この他にも3本の映画には、政治的な絡みがいくらでも浮かび上がってくる。香港の返還によって中国と台湾及びチベットの関係がいっそう注目されることは返還前から明らかだったが、その返還を前にダライ・ラマは台湾とアメリカを訪問し双方で歓待された。返還後の香港では、 配給会社の自主規制によって3本の映画の配給が見合わされた。アメリカやオーストラリアでは、「セブン・イヤーズ〜」の公開にあわせてチベットをアピールするキャンペーンが展開された。

 『Red Corner』は、昨年の江沢民国家主席のアメリカ訪問と歩調を合わせるように公開され、注目を浴びた。その『Red Corner』に主演しているリチャード・ギアが、ダライ・ラマと親交があり、チベットの独立を強力に支持していることはよく知られているが、昨年の春、彼は、 クリントンの中国政策を批判するメッセージを発表してもいる。そのなかで彼は、実際にチベットを訪れて目にした弾圧を告発し、ハリウッドが『セブン・イヤーズ〜』と『Kundun』という2本の映画を通して中国の圧力に屈することなくこの問題に正面から取り組んでいるにもかかわらず、 クリントン政権が弱腰であることを非難した。

 というように、ハリウッド自体も積極的にこれらの映画を政治の舞台に引きだそうとしている。一方これに対して、中国もダライ・ラマの映画を製作するという。そこで気になってくるのが、物議を醸すこれら3本の映画の内容である。

 『セブン・イヤーズ〜』についてはすでに公開されているのであまり説明の必要はないだろう。39年にヒマラヤ登頂に挑戦した登山家ハラーは、第二次大戦に巻き込まれイギリス軍の捕虜となるが、脱走してチベットに逃れ、そこで若きダライ・ラマの家庭教師となり親交を深めていくことになる。

 スコセッシの新作『Kundun』では、ダライ・ラマ13世の転生として見出される2歳半から中国の侵攻によってチベットが修羅場と化していく17歳までのダライ・ラマ14世の姿が、大きく四つの時期にわかれるエピソードに集約されて描かれる。この映画は、 アメリカでは昨年のクリスマスから先行ロードショーが始まり、この1月からアカデミー賞を視野に入れて拡大公開されるということで、この原稿を書いている時点では映画の評価に関する情報はまだほとんどない。


―セブン・イヤーズ・イン・チベット―
Seven Years in Tibet

◆スタッフ◆

監督/製作   ジャン=ジャック・アノー
Jean-Jacques Annaud
脚本 ベッキー・ジョンストン
Becky Johnston
製作 ジョン・H・ウィリアムズ/イアイン・スミス
John H.Williams/Iain Smith
製作総指揮 リチャード・グッドウィン/マイケル・ベスマン/デイヴィッド・ニコルズ
Richard Goodwin/Michael Besman/David Nichols
原作 ハインリヒ・ハラー
Heinrich Harrer
撮影 ロバート・フレイズ
Robert Fraisse
編集 ノエル・ボアソン
Noelle Boisson
音楽 ジョン・ウィリアムズ
John Williams

◆キャスト◆

ハインリヒ・ハラー   ブラッド・ピット
Brad Pitt
ペーター・アウフシュナイター デイヴィッド・シューリス
David Thewlis
ンガワン・ジグメ B・D・ウォン
B.D.Wong
クンゴ・ツァロン マコ
Mako
摂政 ダニー・デンゾンパ
Danny Denzongpa
中国の代表部 ヴィクター・ウォン
Victor Wong
イングリッド・ハラー インゲボルガ・ダプクナイテ
Ingeborge Dapkunaite
ダライ・ラマ(14歳) ジャムヤン・ジャムツォ・ワンジュク
Jamyang Jamtsho Wangchuk
ペマ・ラキ ラクパ・ツァムチョエ
Lhakpa Tsamchoe
ダライ・ラマの母 ジェツン・ペマ
Jetsun Pema
(配給:松竹富士、日本ヘラルド映画)
 
 
 
 


 オンラインで見つけたあるレビューによれば、 人間ダライ・ラマよりも生仏としてのスピリチュアルなイメージが際立つ作品になっているという。これは、ハラーとの親交を通してきわめて人間的なダライ・ラマの姿が描かれる『セブン・イヤーズ〜』とは対照的といえるかもしれない。ちなみに、スコセッシはオンラインのインタビューで、 仏教からひもとかれた非暴力の姿勢を貫くことができるダライ・ラマという存在に強く惹かれたと語っている。

 これに対して『Red Corner』は現代の中国が舞台になる。リチャード・ギア扮するのは、北京で衛星放送の番組を売り込もうとしているショウビズ関係の弁護士。彼は中国人のモデルと一夜を過ごすが、彼女が死体で発見されその容疑者として逮捕される。殺害された娘は中国の高官の娘であることがわかる。 彼は、官憲から容疑をすんなりと認めればいくらかの減刑もあり得るが、無実を主張するようなことがあれば命取りになるといわれ、処刑のビデオまで見せられる。しかしもちろん彼は無実を主張し、その運命はシェンという女性の国選弁護人に委ねられ、彼女は危険にさらされながらも事件の真相を究明し、自由を守るために奮闘していく。

 この女性弁護人に扮するベイ・リンは、中国で女優をしていたが、数年前に演技の勉強をするためにニューヨークに渡った。そしてこの『Red Corner』で大きな注目を浴びることになった。しかし、オンラインの記事によれば、香港や中国で映画の公開が禁止されたばかりか、 すでに出演が決まっていた2本の中国人監督による作品がキャンセルされた。さらにパスポートも無効にされ、許可がないかぎり中国に戻ることもできなくなり、中国に暮らす家族にその影響が及ぶことを危惧しているという。

 またこれら3本の映画が微妙な状況を背景に作られたことはそのロケ地にもあらわれている。チベットが舞台の2本はチベットに近いインドで撮影することが計画されていたが、インドも軍事防衛上、中国と微妙な立場にあり、おいそれと撮影許可を出すわけにいかない。そこで、『セブン・イヤーズ〜』と『Kundun』は、 それぞれ景観がチベットと非常に似ている場所があるアルゼンチンとモロッコで撮影されている。『Red Corner』も、チベット独立とダライ・ラマを支持するギアが中国への入国を許されないため、中国では撮影されていない。

 3本の映画は言うまでもなくそれぞれ独立した作品ではあるが、すでに触れたように国際的なキャンペーンなどを通して結びつけられている。そうなると筆者が気になってくるのは、3本の映画に描かれる世界が作るコントラストである。

 『セブン・イヤーズ〜』や『Kundun』は、ダライ・ラマの即位や新しいダライ・ラマの発見といったところから物語が始まるが、この時代はある意味でチベットにとって特別な時代ともいえる。それ以前にもチベットは英国や清朝など外部からの様々な脅威にさらされ、ダライ・ラマ13世はチベット軍の近代化に着手していた。 しかし、中国が軍閥、そして国民党と共産党の争いで混乱におちいると、チベットでは外部の脅威という問題は忘れられ、世界に背を向け、孤立した状況のなかで平和を享受するようになる。ダライ・ラマ14世はこのたなぼたともいえる平和な時期に幼年時代を送った。そして中華人民共和国の成立とともに侵攻が始まるのだ。

 そこで映画からは、ダライ・ラマの人間的側面が描かれるにしろ、生仏としての存在が描かれるにしろ、平和を求める宗教の世界と共産主義体制の対立という構図が浮かび上がってくる。また『Red Corner』はその構図をさらに強調するともいえる。

 この言葉はその構図とも関係すると思うが、後にダライ・ラマはこんなことも語っている「一般に、私たちチベット人はたいそう信心深く、すぐれた修行者も数多く存在する。しかし、人間の努力もなしで、ただ祈ることによって一国が救われると思い込んだりしたのも、限られた知識しか持っていなかったためだ。 この観点から言えば、宗教感情は実際のところ障害となる」(ジョン・F・アベドン著『雪の国からの亡命』より引用)

 それゆえに亡命の身であるダライ・ラマは、チベットのために祈るだけではなく奔走しているに違いない。しかしその努力のひとつの成果がこれらの映画であるとするならば、それは皮肉なことではなかろうか。

 というのも、中華人民共和国が成立したとき中国の目前の関心事は台湾とチベットになり、チベットについては宗教と共産主義体制の対立の構図が生まれた。そしていま、香港が返還されるという大きな節目を経てあらためて中国の目が台湾とチベットに向くとき、映画の世界を通してこの対立の構図が再現されているように見えるからだ。

 もちろんこうした映画を通してチベットの問題に対して国際的な世論が盛り上がることは間違いない。しかし、映画と政治はイコールではないだけに、この40年間のダライ・ラマと亡命政府が具体的に進めようとしてきた平和的な解決のための努力の積み重ねが、一気に単純化して逆戻りしてしまうような危うさもはらんでいるように思えるのだ。

《参照/引用文献》
『雪の国からの亡命 チベットとダライ・ラマ 半世紀の証言』
ジョン・F・アベドン●

三浦順子・小林秀英・梅野泉訳(地湧社、1991年)
 
 
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