ビルマVJ 消された革命
Burma VJ: Reporting from a Closed Country


2008年/デンマーク/カラー/85分/HD/ヴィスタ
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(初出:「キネマ旬報」2010年5月下旬号、若干の加筆)

VJの記録は、ビルマの消された過去
=真実を取り戻し、未来を切り拓く

■■なぜ彼らは危険に身を晒すことができるのか■■

 2007年9月にビルマ(ミャンマー)で起こった大規模な反政府デモと軍事政権による武力鎮圧は記憶に新しい。当時、世界中のメディアがこの事件を報道することができたのは、投獄や拷問の危険を顧みずに情報を発信し続けた「ビルマ民主の声」のVJたちの存在があったからだ。デンマーク人のアンダース・オステルガルドが監督した『ビルマVJ 消された革命』は、そのVJたちの活動に迫るドキュメンタリーだ。

 監督とスタッフは、“ジョシュア”と名乗る若きVJを語り手にして、VJたちが撮影した断片的な映像と再現映像を緻密に構成し、事件とVJの活動を浮き彫りにする。この映画は、その発端から悲劇的な結末に至る一連の出来事として反政府デモを目撃するだけでも衝撃を覚える。だが、作り手の最大の関心はあくまでVJの活動にある。

 オステルガルド監督は以下のように語っている。「なぜ彼らがあれほどの危険に身を晒すことができるのか」「彼らの活動が実際に政治に対してどのような影響を及ぼすのかという思考回路よりも先に、とにかく現場を記録するという、“ジョシュア”にとっては本能的とも言える強い欲求に私は惹きつけられました」(プレスより引用)

 そんな関心に対して、この映画からはふたつの答えを見出すことができる。

■■恐怖に対するアウンサンスーチーの姿勢■■

 まず注目しなければならないのは、「恐怖」に対する視点だ。ジョシュアのモノローグには、この言葉が何度も出てくる。映像からも、どこに諜報員や内通者が潜んでいるかわからない社会のなかで生活する市民の恐怖、いつ発見されるかわからない状況で撮影を試みるVJの恐怖を感じ取ることができる。しかしこの語り手は、単に自分や市民が感じていることを表現するためだけにこの言葉を使っているわけではない。


◆スタッフ◆
 
監督   アンダース・オステルガルド
Anders Ostergaard
原案/脚本/助監督 ヤン・クログスガード
Jan Krogsgaard
編集 ヤヌス・ビレスコフ=ヤンセン
Janus Billeskov-Jansen
プロデューサー リーゼ=レンゼー・ミュラー
Lise-Lense Moller
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(配給:東風)
 

 VJの活動で当局に目を付けられたジョシュアは、反政府デモが拡大する前にビルマからタイに逃れ、他のVJたちの連絡係になる。チェンマイにスペースを確保した彼は、壁にアウンサンスーチーの写真を掲げる。彼女は著書やインタビューのなかで、恐怖から解放されることが自由であり、恐怖に屈服している限り人間らしく生きられないということを繰り返し語ってきた。ジョシュアと他のVJたちは、恐怖を明確に意識し、向き合っている。だから簡単にはぶれない。反政府デモのなかで久しぶりに姿を現したアウンサンスーチーの映像を目にしたジョシュアはこう語る。「彼女のおかげで国民は恐怖を忘れた」

 そしてもうひとつは、「真実」に対する視点である。この映画に描き出されるのは2007年の反政府デモだけではない。ジョシュアは冒頭で彼がまだ子供だった1988年に起こった民主化運動と武力鎮圧の映像を見つめ、「彼らは勇敢だった。しかしその死は無意味だったと感じる」と語る。次に、2007年の反政府デモが起こる前の町の様子をとらえた映像を見つめ、「デモの名残りは何もない、すべて忘れ去られたかのように」と語る。このプロローグは、2007年の反政府デモという事件だけではなく、その後に私たちの関心を振り向ける。

■■事件を消し去る軍事政権と真実を取り戻すVJ■■

 では、「その後」は真実にどのような影響を及ぼすのか。女性ジャーナリスト、エマ・ラーキンが書いたノンフィクション『ミャンマーという国への旅』では、1988年の民主化運動の後で、軍事政権が事件をどのように処理したかが明らかにされている。

 彼らはまず、事件の実態を消しにかかった。「軍隊が出動して、町から事件の痕跡を拭いさり、公共のビルを塗りかえた。文字通りの歴史刷新という名目で、民衆は自分の家屋を自費で塗りかえることを強要された」。さらに、ビルマ中の通り、町、市街の名前を変えた。「軍政府は歴史の書き換えをやっていたのだ。地名が新しくなれば、旧名は地図上から消えてなくなる。そして最終的には、人の記憶からも消え失せてしまう。こういったことが可能であれば、過去の出来事を消し去ることが可能なはずだ」。そして、体制側のスポークスマンは、事件についてこのようなコメントを発表した。「真実はある一定の期限のなかでのみ真実と言えるのだ。かつて真実であったことも、数多くの年月を経た後ではもはや真実とは言えない

 こうした事実を踏まえてみると、映画のプロローグがより意味深いものになるはずだ。そして、VJがどんな危険に身を晒しても真実を記録しようとする理由も明確になる。

 ジャーナリストのラーキンは、ビルマ時代のジョージ・オーウェルの足跡をたどるためにこの国を訪れ、そこに『一九八四年』の世界を見出した。この小説には、「過去を支配する者は未来まで支配する。現在を支配する者は過去まで支配する」という党のスローガンが出てくる。それはまさにビルマの軍事政権の姿であり、VJたちは、映像の力で現在を取り戻し、消し去られた過去を再生し、未来を切り拓こうとするのだ。

《参照/引用文献》
『ミャンマーという国への旅』エマ・ラーキン●
大石健太郎訳(晶文社、2005年)
『一九八四年』ジョージ・オーウェル●
新庄哲夫訳(ハヤカワ文庫、1972年)

(upload:2010/06/19)
 
 
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