原作には非常に多くの人物が登場し、出来事や刻一刻と変化する局面が事細かに綴られている。それをすべて映画に盛りこむのは不可能だ。しかも、筆者が『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか――PKO司令官の手記』レビューで書いたように、手記はケベック州出身のダレールの生い立ちから始まる。もちろん、彼の軍人としての考え方や、フランス語と英語の両方が話せるという資質は、大きな意味を持っているが、読者にはとっつきにくいところもある。そうした要素が整理された映画は、この悲劇の全体像を把握するための入口になる。
ルワンダに着任したダレールとUNAMIRの前に、次々に危険な兆候が現われる。フツ族の民間人が無惨に殺害され、ツチ族主体の反政府軍であるRPF(ルワンダ解放戦線)の仕業であるかのような噂が流れる。ダレールが対面した暫定政府首相アガート夫人は穏健派で、彼女を敵視するフツ族強硬派の動向を危惧している。ジャン・ピエールという暗号名で呼ばれる情報提供者から、インテラハムウェがツチ族のリストを作り、武器を蓄えて、殺人の訓練を行なっているという情報がもたらされる。それは、もはや平和維持活動の状況にはないことを意味するが、国連本部からは、得られた情報をこれまで一党支配を続けてきたハビャリマナ大統領に提供するようにという、的外れな指示が返ってくる。
そして、ハビャリマナ大統領を乗せた飛行機が撃墜されたのを合図に、計画的な虐殺が開始される。インテラハムウェは意図的にキャンプ・キガリに駐留するベルギー兵を標的にした。そこには、犠牲者が出ればベルギー兵が撤退し、次に国連も撤退するという目論見がある。ダレールは、病院の裏に乱雑に積み上げられたベルギー兵の死体を目の当たりにする。アガート夫人の屋敷を警護していた兵士たちは、規則によって抵抗することができず、彼女も命を奪われる。ダレールの部下は、救いを求めて教会に集まった住人たちがすべて殺害されているのを発見する。
ダレールは国連本部やアメリカ大使に支援や協力を要請するが、その反応はにぶい。原作に書かれた国連というものの現実が思い出される。
「たとえ偽善に満ちた表向きの発言ではそうは言っていないとしても、巨大で、信頼性のある、強い、独立した国連など加盟国は望んでいない。望んでいるのは、弱く、加盟国に感謝を忘れず、恩義を感じてスケープゴートとなる組織であり、失敗すれば非難でき、成功すればその勝利を横どりすることができる、そんな組織なのである」
ちなみに、この映画は、軍服ではなく、スーツを身につけ、やつれた表情のダレールが、過去を回想するというかたちで物語が描かれていく。また、帰国してからPTSDに苦しむ彼が、ナイフで太ももに何本もの傷をつける自傷行為や大量の薬を飲んで公園のベンチで横たわっているのを発見される様子なども盛り込まれている。
フランスの俳優ジャン=ユーグ・アングラードが、元フランス厚生大臣で、国境なき医師団の創設者であるベルナール・クシュネルを演じているが、出番は少なく、あまり印象に残らない。これに対して、カナダの女優デボラ・カーラ・アンガー(『ゲーム』『レオポルド・ブルームへの手紙』)が、アメリカ人のレポーター役で、ダレールの発言を引き出す役割を果たしている。彼女は架空のキャラクターかもしれない。
勢力の関係も含めたジェノサイドがリアルに再現され、主要な登場人物たちの演技も真に迫るものがあり、この映画を観れば、きっと原作も読みたくなるに違いない。(※もう1本、『Shake Hands with the Devil: The Journey of Romeo Dallaire(原題)』という映像作品があるが、こちらは2004年にルワンダを再訪したダレールのドキュメンタリーである。) |