レオポルド・ブルームへの手紙

2002年/イギリス=アメリカ/カラー/103分/シネスコ/ドルビーデジタル
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(初出:『レオポルド・ブルームへの手紙』劇場用パンフレット)
『ユリシーズ』とアメリカ南部の土壌から紡ぎ出される喪失と再生の物語

 メヒディ・ノロウジアン監督の『レオポルド・ブルームへの手紙』の世界は、非常に緻密な構成によって作り上げられている。この映画では、スティーヴンの物語とメアリーとレオポルドの母子の物語が交互に綴られていくが、その繋がりは決して単純ではない。

 スティーヴンとレオポルドの関係は最後まで明らかにされないし、過去と現在が複雑に入り組んでいる上に、具体的な出来事と内面世界が絡み合っているようにも見える。そのため、最初は特別なものに見えなかった細部が、映画に散りばめられた言葉やエピソードが結びついていくに従って意味を持ち、その積み重ねのなかで作品の世界が広がり、深くなっていくのだ。

 たとえば、映画が始まってからしばらくして、こんな場面がある。ヴィックの店で働くスティーヴンが、店の裏手でゴミを捨てていると、ウェイトレスのキャロラインが裏口から出てきて、ふたりは立ち話をする。話を終えて店に戻ろうとする彼女は、吸いかけの煙草をスティーヴンに渡し、彼は何かを思うように静かにその煙草を見つめ、やがて一服する。この場面はその時点では特に際立つものではないが、ドラマが展開していくに従って印象的な場面に変わっていく。

 メアリーは、レオポルドがまだ赤ん坊のときも、成長して学校に通うようになっても、いつも煙草を吸っている。そんな母親は、レオポルドが、身体に悪いから煙草をやめてほしいと頼むと、息子の気持ちを嘲るように妊娠中から吸っていたのだと語る。そういえば、レオポルドは生まれたときに、肺がちゃんとできていなかったという理由で、隔離されていた。これは、喫煙が実際に影響を及ぼしたということではなく、母親が背負ってしまったものが子供にまで引き継がれたことを象徴的に物語るエピソードといってよいだろう。

 18歳で殺人を犯し、15年間服役していたスティーヴンにとって、キャロラインが渡した煙草は、もしかすると初めての経験だったかもしれない。そして、彼のなかには母親の記憶が甦ってきたに違いない。

 さらに、この煙草とも関連して、次第に意味が膨らんでいくスティーヴンの言葉がある。彼は、レオポルドに送る手紙のなかで、このように語る。「救いたかった女性を思い出させる人がいる」。この言葉も、その時点ではそれほど意味を持ってはいない。もうひとつのドラマでは、メアリーが生まれた赤ん坊をレオポルドと命名したところで、母子の物語はまだ始まったばかりであり、文通はずっと先のことなのだ。しかし、この言葉はやがて大きな意味を持つことになる。

 メアリーとレオポルドのその後が明らかになっていくに従って、われわれは、この母子の状況とヴィックの店の状況が相似形をなしていることに気づく。メアリーとキャロラインは、そこに居たいわけではないが、他に行く場所がない。ライアンとホラスは、彼女たちの弱みにつけ込み、酷い仕打ちを加える。死んだベンと同じように、ホラスの言いなりになるヴィックは、不在の父親を象徴している。レオポルドとスティーヴンは、自分の力で彼女たちを守らなければならない。

 そうなると、スティーヴンがヴィックの店に導かれるのは、運命というべきものだったように思えてくる。彼は、運命と向き合い、答を出さなければならないのだ。この映画のインスピレーションの源であるジョイスの『ユリシーズ』は、ホメロスの『オデュッセイア』を下敷きにしているが、この映画も、スティーヴンが運命と向き合うことによって、神話的な物語になっていく。筆者の脳裏をよぎったのは、『オイディプス王』の物語だった。オイディプスは、アポロンの神託という運命から逃れることができず、父親を殺し、母親を妻にする。

 この映画は、メアリーとスティーヴンの視点を巧みに結びつけることによって、『オイディプス王』に通じる物語を演出する。われわれは、メアリーの視点を通してライアンを見ているので、彼はレオポルドの父親である。一方、スティーヴンは、ヴィックの店で避けられない運命に引き込まれていく。そんな視点が重なり合うことによって、この映画からは、父殺しという運命を背負い、それを乗り越えようとする人間の物語が浮かび上がる。

 彼は運命をどう乗り越えるのか。そこで注目しなければならないのが、"物語"だ。レオポルドの人生は、彼が生まれる前に始まった。それは具体的には、メアリーがライアンの関係を持ったときだ。しかしこの映画は、それを異なる次元からとらえてもいる。スティーヴンが「ここからが僕の物語」と語ったあとにつづくのは、夫の浮気を確信したメアリーが、書棚に並ぶ本を乱暴に投げ捨てる場面である。教壇に立つ夢を持ち、夫と物語を共有してきた彼女は、その瞬間に物語を失ってしまうのだ。


◆スタッフ◆

監督   メヒディ・ノロウジアン
Mehdi Norowzian
脚本 マッシー・ダジェディン、アミール・ダジェディン
Massy Tadjedin, Amir Tadjedin
製作 マッシー・ダジェディン、エリカ・オーガスト、サラ・ギルズ、ジョナサン・カールセン
Massy Tadjedin, Erica August, Sara Giles, Jonathan Karlsen
製作総指揮 ニック・パウエル、デレク・ロイ、サラ・ギルズ
Nik Powell, Derek Roy, Sara Giles
撮影 ズーヴィン・ミストリー
Zubin Mistry
編集 タリク・アンウォー
Tariq Anwar
音楽

マーク・アドラー
Mark Adler


◆キャスト◆

スティーヴン   ジョセフ・ファインズ
Joseph Fiennes
メアリー エリザベス・シュー
Elisabeth Shue
ライアン ジャスティン・チェンバース
Justine Chambers
キャロライン デボラ・カーラ・アンガー
Deborah Kara Unger
ブリン メアリー・スチュアート・マスターソン
Mary Stuart Masterson
ベン ジェイク・ウェーバー
Jake Weber
レオポルド デイヴィス・スウェット
Davis Sweatt
ホラス デニス・ホッパー
Dennis Hopper
ヴィック サム・シェパード
Sam Shepard

(配給:ギャガ・コミュニケーションズ)
 


 成長し、本に熱中するようになったレオポルドは、母親が密かにベンの日記を読んでいたことに気づく。しかし彼女は、その物語を息子と共有することができない。罪悪感に苛まれるからだ。それでも彼は、孤独に物語を育もうとするのだが、ふたりに起こる悲劇がとどめを刺す。法廷で18歳のスティーヴンは、「僕が彼(ライアン)を殺し、母親が僕を殺した」と語るが、母親が殺したのは、彼のなかの物語といってよいだろう。そしてこの映画は、スティーヴンが、運命を乗り越える力をもたらす物語を取り戻す過程を描いていく。彼の背後に浮かび上がる壁に貼られた原稿は、我が家の書棚に対応しているのだ。

 それでは、レオポルドは、単にスティーヴンの過去の姿なのだろうか。筆者はそうは思わない。『ユリシーズ』では、スティーヴンが若者で、レオポルドが父親的な存在であり、この映画では、彼らの立場が逆になっているように見える。しかし、スティーヴンとは、自分の名前が背負った運命を呪うがゆえに、スティーヴンになろうとするレオポルドという人間である。一方、レオポルド少年も、単に回想のなかに存在しているのではなく、スティーヴンになりたい人間が綴る物語のなかを生き、文通を通して父親的な存在を見出し、変わろうとしている。

 そして、映画の最後でそんなよじれた関係が鮮やかに修正される。キャロラインを救い、父殺しの運命を免れたスティーヴンは、ホラスに殺されかかるが、彼の物語に揺り動かされたヴィックに救われる。運命を乗り越え、ヴィックという父親を再生した彼は、過去の呪縛を解かれ、もはやスティーヴンである必要がなくなる。しかし、レオポルドという名前を受け入れるためには、もうひとつの儀式が必要となる。文通を通して物語を取り戻した彼は、今度は父親として、最後に見出した答を少年に伝えなければならない。かつて父親のベンが神と形容したミシシッピ川のほとりでふたりが出会い、ひとつになるとき、レオポルドは完全な再生を果たすのだ。


(upload:2007/02/17)
 
 
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