民衆が蜂起してツチ族エリートを虐殺あるいは追放し、カリスマ的指導者グレゴワール・カイバンダによってフツ族支配の政府が樹立された後の一九六二年、ルワンダは独立を勝ちとった。つづく一〇年間、ルワンダのツチ族住民を標的にした虐殺がつづき、それまで以上に多くの人びとが隣国であるウガンダ、ブルンジ、ザイールに逃げ、国家なき難民として不安定な生活を送っていた。
一九七三年、フツ族のジュヴナル・ハビャリマナ少将がクーデターでカイバンダを打倒し、二〇年にわたる独裁がはじまった。この独裁によってある程度ルワンダは安定し、不安定な大湖地域ではうらやましがられた。しかし、この国におけるツチ族の追放と迫害は、永遠の不和の種を蒔いた。次第に、ツチ族の故郷を追われた人びとは無視できない勢力になっていった。ルワンダでつづく抑圧と、いやいやながら彼らを受け入れている国々での冷たい処遇に不満を募らせた故郷喪失者たちは、ついに連合してルワンダ愛国戦線を結成した。小規模ではあるが非常に能力の高い軍事的かつ政治運動体であるRPFは、フランスに支援されたルワンダ政府軍(RGF)と交戦し、打ち負かすだけの力があることが明らかになった。一九九一年には、ルワンダ政府は、ますます手強い相手になる反政府軍と、民主的改革をもとめる国際的圧力の板挟みになっていた。ハビャリマナ大統領は断続的に交渉をはじめ、それがタンザニアのアルーシャでおこなわれる和平会議の基礎となったのである」
■ケベック出身のカナダ人ダレールのバックグラウンド
ルワンダ・ジェノサイドについてはすでに多くの本が書かれている。そのなかで本書は必読の一冊といえるが、最初に読む本としては少しとっつきにくいかもしれない。物語はカナダ人であるダレールの両親の出会いや彼自身の生い立ちから始まる。ルワンダ・ジェノサイドについて知りたいと思って本書を手にした人は、そうした導入部に違和感を覚えることだろう。但し、この長大な手記を読み進めていければ、その後の物語に関連していることがわかるはずだ。
ダレールの父親はケベック州出身のカナダ陸軍下士官で、母親はオランダからの戦争花嫁だった。ふたりは、第二次大戦で父親がヨーロッパに配属されたときに出会った。ダレールは子供の頃に母親からカナダ兵の話をいろいろ聞かされ、影響を受けた。
「彼女は私に戦争の悲惨な被害を教えたが、そうしながらも、彼女のお話ではカナダの兵士は英雄だった。彼らは叙事詩的な救い主であり、戦争で破壊された土地に光と希望、生きる喜びをもたらしてくれたのだ。(中略)カナダ国民はこの戦争に脅かされていたわけではないにもかかわらず、ナチの暗い力から世界を救うために若者を犠牲にしたのだ。これらの物語は私に深い影響を与えた。同世代の多くの人びとは戦争を終わらせようと決意して熱心な平和活動家になったが、彼らとはちがって私は正反対の教訓を学んだ」
ダレールの軍人としての義務感は、ルワンダにおける姿勢や行動とも無関係ではないだろう。彼は、国連憲章に基づく平和維持の任務から一歩踏み出し、自己防衛のみならず人道に反する犯罪を防ぐための攻撃的行動の必要性を訴えたが、認められなかった。
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