なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか――PKO司令官の手記 / ロメオ・ダレール
Shake Hands with the Devil: The Failure of Humanity in Rwanda / Romeo Dallaire (2003)


2012年/金田耕一訳/風行社
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(初出:)

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フツ族強硬派の陰謀、国際社会の無関心、国連の限界、カガメの戦略
孤立無援のPKO司令官が浮き彫りにするジェノサイドの内実

 

 1994年にアフリカの小国ルワンダで起こったジェノサイドでは、同年の春から初夏に至る100日間に国民の10人に1人、少なくとも80万人が虐殺されたといわれる。本書の著者ロメオ・ダレールは、1993年10月、PKO部隊UNAMIR(国連ルワンダ支援団)の司令官として停戦下のルワンダに派遣された。

 UNAMIRの部隊や装備は、あくまで“平和維持”を任務とするものだった。その後、ジェノサイドが計画されていることを察知したダレールは、危険な状況を報告し、部隊の増強を訴えるが、ジェノサイドがはじまっても国連や有力国の動きはにぶかった。彼は限られた部隊と装備でジェノサイドを止めるために尽力するが、結局UNAMIRは失敗に終わる。

 ダレールは本書で、耐えがたく、恐ろしい記憶をたどりなおし、内部関係者の視点から、なぜ自由かつ民主的な多民族による選挙へと進むための行程が覆され、ジェノサイドへと進むことになったのか、そして、いかに国際社会が、無関心によって人間性に対する犯罪に手を貸すことになったのかを掘り下げていく。

 本書がその出版(2003年)までに時間を要したのには理由がある。ダレールは外傷後ストレス障害(PTSD)と診断され、数回の自殺未遂、軍の病気退役、数え切れないセラピー治療の繰り返しと大量投薬などを経て、苦しみながら本書をまとめあげた。日本語版では、2段組、500ページにもなる長大な手記である。

■植民地時代にさかのぼるジェノサイドの歴史的な背景

 94年のジェノサイドは、多数派のフツ族が少数派のツチ族を殺害するかたちで起こったが、それは単なる民族間の対立ではなく、植民地時代から引き継がれた歴史的な背景がある。筆者は、「隣人による殺戮の悲劇――94年にルワンダで起こった大量虐殺を読み直す」では、ファーガル・キーンの『Season of Blood』の記述を引用して、それを説明した。ここでは本文から引用しておく。長い引用になるが、これは頭に入れておくべきだろう。

最近の戦闘状態の原因は二〇世紀前半のベルギーによる植民地支配にまで遡ることができた。ベルギー人が一九一六年にドイツをこの国の領土から追い払った時、彼らは二つの民族集団がこの国を共有していることに気づいた。ツチ族は、背が高く肌の色が非常に薄く、家畜を飼って生活していた。それに比べて背が低く、肌の色も濃いフツ族は野菜畑を耕作して生活している。ベルギー人は少数派のツチ族をヨーロッパ人に人種的に近いと考え、彼らを多数派であるフツ族に対する支配者の地位に引き上げた。それは、農民としてのフツ族と領主としてのツチ族という封建的関係へと事態を悪化させることになる。ツチ族の支持を得ることによって、戦争する手間もなしに、また大量の植民地行政官を配置することなしに、ベルギー人はコーヒーと茶のプランテーションの広大なネットワークを育て上げ、そこから利益を絞りとることができたわけである。


◆目次◆

    序章
第1章 父に教えられた三つのこと
第2章 「ルワンダ? それはアフリカですね」
第3章 「ルワンダを調査して、指揮をとれ」
第4章 敵同士が手を握る
第5章 時計の針が進む
第6章 最初の道標
第7章 影の軍隊
第8章 暗殺と待ち伏せ
第9章 希望の復活なき復活祭
第10章 キガリ空港での爆発
第11章 去るか残るか
第12章 決議なし
第13章 虐殺の報告
第14章 ターコイズの侵略
第15章 多すぎて、遅すぎる
  結論
   
  人名・地名・用語一覧
  読書案内
  訳者あとがき
 

 民衆が蜂起してツチ族エリートを虐殺あるいは追放し、カリスマ的指導者グレゴワール・カイバンダによってフツ族支配の政府が樹立された後の一九六二年、ルワンダは独立を勝ちとった。つづく一〇年間、ルワンダのツチ族住民を標的にした虐殺がつづき、それまで以上に多くの人びとが隣国であるウガンダ、ブルンジ、ザイールに逃げ、国家なき難民として不安定な生活を送っていた。

一九七三年、フツ族のジュヴナル・ハビャリマナ少将がクーデターでカイバンダを打倒し、二〇年にわたる独裁がはじまった。この独裁によってある程度ルワンダは安定し、不安定な大湖地域ではうらやましがられた。しかし、この国におけるツチ族の追放と迫害は、永遠の不和の種を蒔いた。次第に、ツチ族の故郷を追われた人びとは無視できない勢力になっていった。ルワンダでつづく抑圧と、いやいやながら彼らを受け入れている国々での冷たい処遇に不満を募らせた故郷喪失者たちは、ついに連合してルワンダ愛国戦線を結成した。小規模ではあるが非常に能力の高い軍事的かつ政治運動体であるRPFは、フランスに支援されたルワンダ政府軍(RGF)と交戦し、打ち負かすだけの力があることが明らかになった。一九九一年には、ルワンダ政府は、ますます手強い相手になる反政府軍と、民主的改革をもとめる国際的圧力の板挟みになっていた。ハビャリマナ大統領は断続的に交渉をはじめ、それがタンザニアのアルーシャでおこなわれる和平会議の基礎となったのである

■ケベック出身のカナダ人ダレールのバックグラウンド

 ルワンダ・ジェノサイドについてはすでに多くの本が書かれている。そのなかで本書は必読の一冊といえるが、最初に読む本としては少しとっつきにくいかもしれない。物語はカナダ人であるダレールの両親の出会いや彼自身の生い立ちから始まる。ルワンダ・ジェノサイドについて知りたいと思って本書を手にした人は、そうした導入部に違和感を覚えることだろう。但し、この長大な手記を読み進めていければ、その後の物語に関連していることがわかるはずだ。

 ダレールの父親はケベック州出身のカナダ陸軍下士官で、母親はオランダからの戦争花嫁だった。ふたりは、第二次大戦で父親がヨーロッパに配属されたときに出会った。ダレールは子供の頃に母親からカナダ兵の話をいろいろ聞かされ、影響を受けた。

彼女は私に戦争の悲惨な被害を教えたが、そうしながらも、彼女のお話ではカナダの兵士は英雄だった。彼らは叙事詩的な救い主であり、戦争で破壊された土地に光と希望、生きる喜びをもたらしてくれたのだ。(中略)カナダ国民はこの戦争に脅かされていたわけではないにもかかわらず、ナチの暗い力から世界を救うために若者を犠牲にしたのだ。これらの物語は私に深い影響を与えた。同世代の多くの人びとは戦争を終わらせようと決意して熱心な平和活動家になったが、彼らとはちがって私は正反対の教訓を学んだ

 ダレールの軍人としての義務感は、ルワンダにおける姿勢や行動とも無関係ではないだろう。彼は、国連憲章に基づく平和維持の任務から一歩踏み出し、自己防衛のみならず人道に反する犯罪を防ぐための攻撃的行動の必要性を訴えたが、認められなかった。
===>2ページへ続く


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