なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか――PKO司令官の手記 / ロメオ・ダレール
Shake Hands with the Devil: The Failure of Humanity in Rwanda / Romeo Dallaire (2003)


2012年/金田耕一訳/風行社
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(初出:)

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 さらに、ダレールに影響を及ぼしているケベックの文化や歴史にも注目する必要がある。筆者が「“モザイク”と呼ばれるカナダの多文化主義の独自性と功罪」で書いたように、カナダは英語とフランス語の二言語併用主義と多文化主義を世界に先駆けて政策として導入した。ケベックでフランス語系として育ったロメールは、ずっとフランス語系と英語系というふたつの社会を往復してきた。

地域の住人は二つの教区に分かれており、一つはフランス語系のカトリック、もう一つは英語系あるいは英語を選択した移民のプロテスタントであり、それぞれ別の学校、教会、クラブに行った。人びとは自分たちのやり方にこだわりがちだった。私たちはフランス語系の教区に住んでカトリックを信仰していたが、母は英語が堪能であったためか、英語を話す人びとといるほうが寛ぐことができた――英語を話す人びととは彼女と同じように新しくやって来たカナダ人だったのである

学校で私は、教師たちが先頭にたつ大きな運動「正しいフランス語」に加わった。それはフランス語の尊重、さらには崇拝を強調するものであり、フランス語に忍び寄りつつある英語化に対する攻撃であった。私の世代は、カナダの内部でのフランス語系カナダ人少数派の権利に対する平等な承認を求めることに、自信をもつと同時に情熱を傾けた

 ダレールのそんな経験は、ルワンダにおける任務のなかで彼を特別な立場に立たせることになる。

言語は深刻な問題だった。RPF代表団の大部分は英語圏のウガンダで育ったルワンダ難民から構成されているのでほとんど英語を使い、ルワンダ政府の代表者たちはフランス語しか使わない

 その結果、ダレールは公式通訳のような役割も果たすことになる。そういう意味では、彼は、カナダから派遣された司令官として、ルワンダでも積極的な役割を果たそうとしたといえるし、そういう姿勢があったからこそ本書が非常に密度の濃いものになったともいえる。

■周到に準備されたフツ族強硬派の計画

 ルワンダでは、疲弊した国を再生させるために、以下のような行程が想定されていた。

基本的に協定は、てきぱきとした、二二ヶ月間にわたる行程表を設定しており、RPFと前の政権政党である「発展のための革命的国家運動」(MRND党)を含めたさまざまな党派が、まず広範な支持基盤をもつ移行政府(BBTG)を作ることになっていた。その後で、この国は何段階もへて自由かつ民主的な多民族による選挙へと進む。その過程で、移行政府はなんとか難民とRPFを統合し、双方の軍を解散して新しい国軍を作り出し、憲法を再起草し、文民警察を復活させ、破綻した経済を再建するために、世界中の財政機関と援助団体に支援を求める。それらは、世界のあらゆる国の複雑な問題に資金を投じるために必要があるのだ。この過程はすべて、協定の諸段階の実施を支援する、中立的な国際部隊を即座に配置できるかどうかにかかっている


◆目次◆

    序章
第1章 父に教えられた三つのこと
第2章 「ルワンダ? それはアフリカですね」
第3章 「ルワンダを調査して、指揮をとれ」
第4章 敵同士が手を握る
第5章 時計の針が進む
第6章 最初の道標
第7章 影の軍隊
第8章 暗殺と待ち伏せ
第9章 希望の復活なき復活祭
第10章 キガリ空港での爆発
第11章 去るか残るか
第12章 決議なし
第13章 虐殺の報告
第14章 ターコイズの侵略
第15章 多すぎて、遅すぎる
  結論
   
  人名・地名・用語一覧
  読書案内
  訳者あとがき
 

 しかし、任務についたUNAMIRに対して、フツ族強硬派と思われる勢力が様々な揺さぶりをかけてくる。たとえば、93年11月に起こる殺人事件だ。その犠牲者は、支配権を握るMRND政党に属する男女で、メディアはRPFが容疑者であると告発する。だが、UNAMIRによる調査は、悪辣な妨害にあって遅々として進まない。「一一月一七日と一八日の虐殺の容疑者を見つけられなかったことが、強硬論者にとっては、UNAMIRは政権に対して偏見を持っている、RPF支持者に近いということの証明となった

 インテラハムウェの動きも活発になる。「インテラハムウェは支配政党であるMRND党の青年組織に所属する若者のグループで、多くの政治集会に姿を現すようになっていた。彼らは、ルワンダの国旗の色である赤と緑と黒を異様にシンボル化した木綿の奇妙な作業服を着て、マチューテ(山刀)あるいは木を削ってカラシニコフ銃に似せた模造銃をもっていた

 ダレールたちは、ルワンダの国連大使ジャン=ダマスセネ・ビジマナが議会の強硬派であることも知らなかった。そのビジマナは、安全保障理事会に席を持っており、派遣団の内情に通じているだけでなく、情報がルワンダを仕切っている隠れた存在に流れていた。

 ラジオも大きな役割を果たす。「ルワンダでラジオは神の声に近いものであり、もしラジオが暴力を呼びかければ、多くのルワンダ人は呼応し、その行動を起こすことが是認されたのだと信じる」。強硬派のラジオ放送局RTLM[ミルコリン自由ラジオテレビ]は人種偏見を煽り、ジェノサイドが始まると、殺されるべき人間の名前と居場所さえ公表した。

そして、ルワンダとUNAMIRの運命を分けたのが、インテラハムウェの内部の人間で、ジャン・ピエールという暗号名で呼ばれた情報提供者の扱いだった。彼は、標的であるツチ族のリストが作られ、殺人の訓練が行われ、召集がかかるのを待っているという情報をUNAMIRにもたらした。ダレールの見解では、「ジャン・ピエールによってもたらされた内部情報は、ルワンダを困難から解放する本物の機会を意味していた」。しかし、国連本部から返ってきたのは、得られた情報をハビャリマナ大統領に提供すべきという指示だった。

 そこでダレールはこのように書いている。「私は大いに苛立ち逆上した。一一月の大虐殺、重装備した民兵の存在、ツチをゴキブリと叫び、ツチ族の血が流されることを求める狂信的な過激派の新聞、政治的な行き詰まり、そしてその結果生じる緊張――これらすべては、古典的な第六章平和維持活動の状況には私たちがもはやいないというサインだった
===>3ページへ続く


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