■国際社会の無関心と国連の限界
さらに、ジャン・ピエールのエピソードは、ルワンダと国際社会の関係も明らかにしている。ダレールは彼がもたらした情報について、ベルギーとアメリカとフランスの大使や代理大使にも説明したが、誰一人として驚いているようには見えなかった。「そのことで私は、私たちの情報は単に彼らがすでに知っていたことを確認したにすぎなかったのだと結論づけた」。しかもこの3つの国はジャン・ピエールの保護を拒否した。
国際社会の認識や国連の存在は、以下のような記述に集約されているといえる。
「私は国連安全保障理事会に与えられた杓子定規な指令における人命のコスト、この任務の財政支出の削減、国連の形式主義、政治的駆け引き、そして私自身の個人的限界を十分に承知している。しかしながら、その核心にあるものとして気づいたのは、国際社会が、世界の大国にとってなんの戦略的価値も資源としての価値もないちっぽけな国の、七、八〇〇万のアフリカ黒人の窮状には、根本的に無関心だということなのだ。人口過剰の小さな国が孤立主義に陥って自国民を殺している時、それを目にした世界は、それでも介入しようとする政治的意思をどこにも見出すことはできなかった」
「たとえ偽善に満ちた表向きの発言ではそうは言っていないとしても、巨大で、信頼性のある、強い、独立した国連など加盟国は望んでいない。望んでいるのは、弱く、加盟国に感謝を忘れず、恩義を感じてスケープゴートとなる組織であり、失敗すれば非難でき、成功すればその勝利を横どりすることができる、そんな組織なのである」
■PRFを率いるポール・カガメはなにを考えていたのか
フツ族強硬派が立てた計画ではすべてが織り込み済みだった。ジェノサイドが始まると、ベルギー兵が意図的に標的にされた。平和維持部隊は犠牲者が出れば逃げ出す。まずベルギー人を撤退させ、次に国連を撤退させる。ボスニアやソマリアで起こったことがヒントになっていた。実際、UNAMIRは踏みとどまったものの、国連本部や国際社会の支援もない状況ではほとんどなすすべがなかった。
さらにもうひとつ、ダレールがジェノサイドを通じて関心を示しているのが、アフリカのナポレオンといわれたポール・カガメと彼が率いるRPFの動きだ。カガメは、虐殺がエスカレートし、市民に多くの犠牲者が出ているのを知っていたにもかかわらず、停戦を望もうとはしなかった。かといって、軍を早急に動かすわけでもなく、時間をかける戦略をとった。ダレールが、ジェノサイドを止めるために新たに立案したUNAMIR2に対しても積極的ではなかった。それはなぜなのか。
「もちろん、後になって私は、RPFは公的にはフランスの介入に反対しながら、裏では、カガメが自分の作戦を完了する間はフランスの部隊展開に妥協していたのだということを知った。かつての敵同士が密接に調整して協力しており、私がどちらから得られるよりもまともな情報を得ていた。これはとんでもない権謀術数にほかならない。
私はこれまで、完全な指令を与えられたUNAMIR2よりもターコイズ作戦を受け入れるほうがなぜカガメにとってはましだったのかを考えることに、長い時間を費やしてきた。私にはこうとしか思えない。UNAMIR2の意図はジェノサイドを止めさせ、RPFから逃れてきた数百万の強制移住者を守るため、保護地域を作ることであった。したがってUNAMIR2のために、私は間違いなくRPFの侵攻によって人道主義的危機を悪化させてはならないし、状況が安定するまでは保護を提供するために介入すると主張していただろう。彼は、私がその仕事を第一の目的とみなしていることを知っていた。しかし、カガメは全土の制圧を望んでいたのであり、一部が欲しかったのではなかった。彼は自分が完全に勝利するまでは事態を安定化させたくなかったのだ。私は今ではそう考えるようになっている」 |