なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか――PKO司令官の手記 / ロメオ・ダレール
Shake Hands with the Devil: The Failure of Humanity in Rwanda / Romeo Dallaire (2003)


2012年/金田耕一訳/風行社
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(初出:)

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■国際社会の無関心と国連の限界

 さらに、ジャン・ピエールのエピソードは、ルワンダと国際社会の関係も明らかにしている。ダレールは彼がもたらした情報について、ベルギーとアメリカとフランスの大使や代理大使にも説明したが、誰一人として驚いているようには見えなかった。「そのことで私は、私たちの情報は単に彼らがすでに知っていたことを確認したにすぎなかったのだと結論づけた」。しかもこの3つの国はジャン・ピエールの保護を拒否した。

国際社会の認識や国連の存在は、以下のような記述に集約されているといえる。

私は国連安全保障理事会に与えられた杓子定規な指令における人命のコスト、この任務の財政支出の削減、国連の形式主義、政治的駆け引き、そして私自身の個人的限界を十分に承知している。しかしながら、その核心にあるものとして気づいたのは、国際社会が、世界の大国にとってなんの戦略的価値も資源としての価値もないちっぽけな国の、七、八〇〇万のアフリカ黒人の窮状には、根本的に無関心だということなのだ。人口過剰の小さな国が孤立主義に陥って自国民を殺している時、それを目にした世界は、それでも介入しようとする政治的意思をどこにも見出すことはできなかった

たとえ偽善に満ちた表向きの発言ではそうは言っていないとしても、巨大で、信頼性のある、強い、独立した国連など加盟国は望んでいない。望んでいるのは、弱く、加盟国に感謝を忘れず、恩義を感じてスケープゴートとなる組織であり、失敗すれば非難でき、成功すればその勝利を横どりすることができる、そんな組織なのである

■PRFを率いるポール・カガメはなにを考えていたのか

 フツ族強硬派が立てた計画ではすべてが織り込み済みだった。ジェノサイドが始まると、ベルギー兵が意図的に標的にされた。平和維持部隊は犠牲者が出れば逃げ出す。まずベルギー人を撤退させ、次に国連を撤退させる。ボスニアやソマリアで起こったことがヒントになっていた。実際、UNAMIRは踏みとどまったものの、国連本部や国際社会の支援もない状況ではほとんどなすすべがなかった。

 さらにもうひとつ、ダレールがジェノサイドを通じて関心を示しているのが、アフリカのナポレオンといわれたポール・カガメと彼が率いるRPFの動きだ。カガメは、虐殺がエスカレートし、市民に多くの犠牲者が出ているのを知っていたにもかかわらず、停戦を望もうとはしなかった。かといって、軍を早急に動かすわけでもなく、時間をかける戦略をとった。ダレールが、ジェノサイドを止めるために新たに立案したUNAMIR2に対しても積極的ではなかった。それはなぜなのか。

もちろん、後になって私は、RPFは公的にはフランスの介入に反対しながら、裏では、カガメが自分の作戦を完了する間はフランスの部隊展開に妥協していたのだということを知った。かつての敵同士が密接に調整して協力しており、私がどちらから得られるよりもまともな情報を得ていた。これはとんでもない権謀術数にほかならない。

 私はこれまで、完全な指令を与えられたUNAMIR2よりもターコイズ作戦を受け入れるほうがなぜカガメにとってはましだったのかを考えることに、長い時間を費やしてきた。私にはこうとしか思えない。UNAMIR2の意図はジェノサイドを止めさせ、RPFから逃れてきた数百万の強制移住者を守るため、保護地域を作ることであった。したがってUNAMIR2のために、私は間違いなくRPFの侵攻によって人道主義的危機を悪化させてはならないし、状況が安定するまでは保護を提供するために介入すると主張していただろう。彼は、私がその仕事を第一の目的とみなしていることを知っていた。しかし、カガメは全土の制圧を望んでいたのであり、一部が欲しかったのではなかった。彼は自分が完全に勝利するまでは事態を安定化させたくなかったのだ。私は今ではそう考えるようになっている


◆目次◆

    序章
第1章 父に教えられた三つのこと
第2章 「ルワンダ? それはアフリカですね」
第3章 「ルワンダを調査して、指揮をとれ」
第4章 敵同士が手を握る
第5章 時計の針が進む
第6章 最初の道標
第7章 影の軍隊
第8章 暗殺と待ち伏せ
第9章 希望の復活なき復活祭
第10章 キガリ空港での爆発
第11章 去るか残るか
第12章 決議なし
第13章 虐殺の報告
第14章 ターコイズの侵略
第15章 多すぎて、遅すぎる
  結論
   
  人名・地名・用語一覧
  読書案内
  訳者あとがき
 

 さらにダレールはこのようにも書いている。「この作戦とジェノサイドは、ルワンダが一九五九年以前の状態、ツチ族がすべてを牛耳っていた状態に戻る道ならしのために画策されたものではなかったのか?」。もしその推測が正しければ、多くのツチ族の犠牲を承知のうえで全土を掌握しようとしたことになる。

■拭い去ることができないジェノサイドの記憶

 最後に、ダレールの脳裏に焼きついたふたつの光景を対比しておきたい。ダレールはまず、国連平和維持部隊が入った場合の政治的、人道的、行政的、軍事的側面を評価するための派遣団の責任者としてルワンダを訪れた。そのとき彼の心を動かしたのは、難民キャンプで目の当たりにした悲惨な光景だった。

この場面には深く心をかき乱された。そして作り物のテレビのニュースのように意図的なものではない、これほどの苦難を目撃したのは初めてのことだった。何よりも衝撃的だったのは、老女が一人で横になって、静かに死を待っている光景である。彼女は十二キロもなかったはずだ。すでにそのテントも取り払われて、持ち物が一切合財持ち去られた自分のシェルターの廃墟の真ん中に横たわっており、顔のしわ一本一本に苦痛と絶望が刻み込まれていた。難民キャンプのぞっとするような現実のなかで、彼女はすでに死んだものとして諦められ、彼女のわずかな所有物ももう少し元気な隣人たちの間で山分けされたのだ。援助職員が、その老女は翌朝までもたないでしょうと囁いた。愛してくれる人も慰めてくれる人もいないままに、一人で死んでいく彼女のことを考えると、涙が出てきた。

 なんとか平静を保とうと努めていた私は、キャンプの子供たちの一団に取り囲まれた。彼らは真ん中にいるこの奇妙な白人を見てあからさまに笑うか、内気に微笑むかのいずれかだった。彼らは、乾燥させた小枝と蔓から作ったボールでサッカーをしており、私のズボンを引っ張って、熱心に私をゲームに加わらせようとした。私は彼らの活力に恐れ入った。老女には遅すぎるが、彼らには未来に対する権利がある。これが、私が個人的に国連平和維持部隊をルワンダに送ることに自分を捧げた瞬間だった。そうは言っても私はメロドラマにでてくるような人間ではない。それまでは、派遣団を送ることは興味深いチャレンジであり、野戦司令官になる可能性がある手段であった。私は車に乗り込みながら、今や第一の任務は、この子供たちのためにルワンダに平和を確立すること、この苦難を和らげるために全力を尽くすことだということが分かったのである

 しかし、フツ族強硬派の陰謀、国際社会の無関心や国連の限界、カガメの戦略などによって拡大していったジェノサイドのなかで、ダレールは無数の死者の姿を目にし、それが脳裏に焼きつき、拭い去れない記憶となる。

ジェノサイドの間、私たちは多くの死者の顔を見た。無垢な赤ん坊から当惑した様子の年配者まで、果敢な兵士から従順な眼差しの修道女まで。私はこれほど多くの死顔を見て、今もそれぞれの顔を思い出している。しかし早い段階で、なすべき仕事に集中することができるようにするために、自分とこの光景や音の間にスクリーンを張りめぐらせたようだ。長い間、レイプされ性器を切断された少女と女性の死顔を、私はまったく頭から消し去っていた。まるで、彼女たちが受けた仕打ちを考えると、気が狂いかねないかのように。

 しかし、一目見れば、白くなった骨の中にすらその証拠を見つけることができるだろう。曲げられてばらばらになった足。骨の間にある割れた瓶やごつごつした枝やナイフ。死体がまだ新しい場合には、死んだ女性や少女の上やそばに精液にまちがいないものが溜まっていた。そこには必ず多くの血が見られる。男性の死体のいくつかは性器を切り落とされているが、多くの女性と若い少女は胸をえぐられ、性器も無惨に切り裂かれている。彼らは背中を下にして、足を曲げられ膝を広く開かれて、まったく抵抗できない姿勢で死んでいた。私が一番胸を突かれたのは死顔の表情であり、そこにはショックと苦痛と屈辱が浮かんでいた。国に戻ってからも何年もの間、私は自分の心からこれらの顔の記憶を振り払ったが、しかし今でもあまりにもくっきりとその記憶が甦るのだ

※ 本書はロジャー・スポティスウッド監督によって2007年に映画化されている。タイトルは原題をそのまま使った『シェイク・ハンズ・ウィズ・ザ・デビル』、レビューをお読みになりたい方は下段の関連リンクからどうぞ。


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(upload:2014/08/04)
 
 
《関連リンク》
ロジャー・スポティスウッド
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