トルコ系ドイツ人のファティ・アキンの新作『クロッシング・ザ・ブリッジ』は、ノイバウテンのアレキサンダー・ハッケが、イスタンブールの音楽シーンの魅力に迫っていくドキュメンタリーだ。アキンの『愛より強く』 の音楽制作を通してイスタンブールの音楽と出会い、魅了されたハッケは、録音機材と楽器を抱えて現地のミュージシャンたちを訪ね歩き、場合によっては自らもセッションに参加し、エレクトロニカ、ロック、ヒップホップ、民謡など、多様なジャンルやスタイルがひしめく世界を旅していく。
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この映画の冒頭には、「音楽は訪れた土地の文化の奥深さを語る」という儒教の言葉が引用されている。だが、イスタンブールの多様な音楽は、文化以上に政治の影響を物語っている。この映画のなかで、伝統的な楽器や歌謡とエレクトロニックなサウンドの融合を押し進めるオリエント・エクスプレッションズのメンバーは、“文明の衝突”をあっさりと否定してみせるが、この映画に登場するほとんどのミュージシャンは、そうしたヴィジョンと決して無縁ではない。
ハンチントンの『文明の衝突』には、トルコ共和国建国の父ケマルの改革について、以下のような記述がある。「1920年代と1930年代に、ムスタファ・ケマル・アタチュルクは一連の改革を慎重に計画してすすめ、オスマンとイスラムの過去から人びとを引き離そうとした」。西洋化に邁進するその改革は、音楽にも多大な影響を及ぼした。ジェム・ベハールは、『トルコ音楽にみる伝統と近代』のなかで、それを端的に物語っている。
「他のいかなる芸術分野でも考えられなかったような一つの抑圧政策が、「音楽革命」の名の下で推進されたのである。既に根付き、定着している一つの文化的伝統が、強制的に取り除かれようとし、そして、音楽の世界に、これまでとは全く異なる方向を与えるための特別な政策、一連の措置が取られたのである。トルコの音楽界は、1920年代、および30年代に受けたこのショックからいまだに立ち直り切れてはいない」
これが書かれたのは87年のことだが、冷戦の終結によって状況は変わる。「トルコでは、他の多くの国と同じく、冷戦の終結と社会的、経済的な発展から生じた立場の変化により、「国家のアイデンティティと民衆のアイデンティティの規定」という大きな問題がもちあがり、宗教がその答をだすことになった。アタチュルクとトルコのエリート層によるおよそ70年間の世俗的な遺産が、ますます非難されるようになった」 (『文明の衝突』)
この映画に登場する新旧のミュージシャンたちは、それぞれにこうした政治の流れと向き合っている。ケマルと共演したこともあるという86歳のミュゼィイェン・セナールのステージは、改革が急激に進む時代のサロン・ミュージックを再現する。オルハン・ゲンジェバイは、アラブ音楽(特にエジプト)の影響を受けたハイブリッドな大衆音楽アラベスクの先駆者だが、その起源には、トルコ音楽のラジオ放送を禁じた政策がある。
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聴衆と親密な関係を築き上げるジプシーのクラリネット奏者セリム・セスレルは、トルコ音楽では聴衆が静かに鑑賞していることに異議を唱えるが、「(西洋化によって)聴衆が受動的になって演奏へ参加することが少なくなり」 というベハールの記述を踏まえるなら、彼の言葉は改革以後の音楽を意味していることになる。そして、トルコの国民的歌手セゼン・アクスは、共和国以前のイスタンブールについて歌うことによって、トルコ音楽の深い溝を埋めようとするのだ。
一方、ロバート・アルトマンの遺作『今宵、フィッツジェラルド劇場で』では、音楽を通して冷戦以後のアメリカ社会が見えてくる。映画のベースになっているのは、作家ギャリソン・キーラーが生み出し、自ら司会も務める公開生放送の人気ラジオ番組“A Prairie Home Companion”。映画では、ゲストのミュージシャンに架空のキャラクターが盛り込まれ、ラジオ局が大企業に買収され、最後の放送をするという設定に変えられている。
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この映画の音楽は、保守的な印象を与えるカントリーが中心だが、キーラーは、18歳で民主党支持者になった生粋のリベラルで、コラムやインタビューではその姿勢を明確にしている。たとえば、95年には、共和党をこのように厳しく批判した。「これは犯罪的な党だ。彼らの政策は悪以外の何ものでもない。私は共和党を支持している信心深い人々のことを心から恥じている。それはまさしく彼ら自身の信仰に対する裏切りだからだ」。つまり、彼にとっては、カントリーもキリスト教も保守派とイコールではないのだ。
そんなキーラーの番組の変遷は実に興味深い。ミネソタ州セントポールを拠点に74年に始まった番組は、全国的な人気を獲得したが、87年に一度終了している。充電を終えた彼が復帰するのは89年、ニューヨークを拠点に、番組名も音楽の傾向も変えて再出発した。しかし、92年に拠点をミネソタに戻す決意をし、その翌年には、“A Prairie Home Companion”の名前と構成を復活させたのだ。
この冷戦以後に復活した番組は、以前の番組と構成は同じでも、異なる意味を持っている。トッド・ギトリンが『アメリカの文化戦争』で書いているように、これまで伝統に固執してきた保守派が、グローバルな自由を喧伝するようになり、立場が逆転することになったからだ。
アルトマンとキーラーは、この映画にそんな状況を反映している。ラジオ局を買収したテキサスの大企業の重役は、地方巡業を生業とする成功とは無縁のミュージシャンたちを見下し、彼らを記録して博物館の見世物にすればいいと思っている。しかし、そのミュージシャンや裏方は、この重役には感知しがたい時間のなかにいる。彷徨うブロンドの天使、昇天する老シンガー、歌詞に込められた追想や望郷。生と死、過去と現在が交錯する劇場のなかで、土地に根ざした信仰や音楽に支えられた彼らは、飄々と現実を受け入れ、伝統を生きつづけるのだ。