トルコ系ドイツ人のファティ・アキンは、ベルリン国際映画祭グランプリを受賞した『愛より強く』やカンヌ国際映画祭脚本賞を獲得した『そして、私たちは愛に帰る』によって、世界的な注目を集める監督になった。
その2作品では、アキンのトルコ系ドイツ人というバックグラウンドと結びつくテーマがシリアスに掘り下げられていたが、ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞・ヤングシネマ賞をW受賞した新作『ソウル・キッチン』には、様々な意味で異なる方向性が見られる。
この映画は、ハンブルクにあるレストラン“ソウル・キッチン”を中心に展開していくコメディだ。店のオーナー兼シェフは、ギリシャ系のジノス。彼が倉庫を買い取り、自分で配管までした店のメニューは、誰でも料理できる冷凍食品ばかりであり、常連客はいるものの、繁盛しているとはいいがたい。
ところが、そんなジノスに次々と予想外の出来事がふりかかり、店が変貌を遂げていく。まず(これはすでにわかっていたことだが)彼の恋人のナディーンが、特派員として上海に行ってしまう。窃盗で服役中のジノスの兄イリアスが、弟の店を就職先とすることで仮出所を認められ、頻繁に出入するようになる。高級レストランで客と喧嘩して首になった一匹狼のシェフ、シェインや、ジノスの大学時代の同級生で、不動産業を営むノイマンと偶然出会う。そして、ジノス自身が食器洗浄機を動かそうとしてぎっくり腰になる。
この新作に表われている方向性でまず注目したいのはキャラクターだ。イリアスとジノスの兄弟はギリシャ系で、その他にもアラブ系やトルコ系など様々なバックグラウンドを持つ人々が登場してくる。だから、『愛より強く』や『そして、私たちは愛に帰る』のように、ドイツとトルコというふたつの国家や文化のあいだで引き裂かれていくような物語にはならない。
あるいはここで、ファティ・アキンを、黒人監督として頭角を現してきた頃のスパイク・リーと比較してみてもいいだろう。スパイクは黒人のスポークスマンとして積極的な発言をする一方で、『ドゥ・ザ・ライト・シング』では、黒人やイタリア系や韓国系の人物たちの現実を距離を置いた冷静な眼差しで見つめ、描き出していた。ところが、スポークスマンとしての発言が挑発的で過激になるに従って、監督としての視点や表現がそれに引きずられるようになり、バランスを失っていた時期があった。ファティ・アキンの場合は、この映画を観る限り、そういう部分でつまずくことなく、自分の世界を広げているという印象を受ける。
次に、アキンが生まれ育ったハンブルクにも注目しておくべきだろう。ハンブルクでは、長らく「自由港」として使用されてきた港湾地区の敷地が不要となり、都市再開発用地となったため、建設ラッシュが続いている。その結果、港湾地域に限らず、敷地が金儲けだけを優先する不動産投機の対象となり、歴史や生活感のない真新しいだけの場所に変わってしまう可能性も生まれる。
アキンは明らかにそんなハンブルクの再開発の波を意識してこの映画を作っている。ジノスが偶然出会った不動産業者のノイマンはその象徴だ。彼はなんとか店を乗っ取ろうと画策し、衛生局や税務署も店に押しかけてくる。彼らの標的となる店には、歴史に対するアキンの愛着が表われている。
店の片隅には“ソクラテス”と呼ばれる老人が居候していて、小型の船の手入れをしている。店の前には線路と運河があり、かつて老人はその運河で船を操っていたのだろう。またジノスは、店が倉庫だった時代の写真を大切に飾り、窮地に陥ったときにはその写真を持ち出そうとする。そして、店を廃業に追い込もうとする連中に対抗しようとすることが、店が変貌するひとつの要因となる。 |