ファティ・アキン・インタビュー
Interview with Fatih Akin


2010年11月20日 銀座
ソウル・キッチン/Soul Kitchen――2009年/ドイツ=スランス=イタリア/カラー/99分/ヴィスタ/ドルビーSRD
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(初出:「キネマ旬報」2011年1月下旬号)
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反骨精神あふれる異才ファティ・アキン

彼が生み出す映画は世界と共鳴する
――『ソウル・キッチン』(2009)

■■“ホーム”としてのハンブルクをどう描くか■■

 『愛より強く』(04)、『そして、私たちは愛に帰る』(07)、新作『ソウル・キッチン』(09)の三作品で、36歳にしてベルリン、カンヌ、ヴェネチアの三大映画祭での受賞を果たしたファティ・アキン監督。これまでの彼の作品では、トルコ系ドイツ人というバックグラウンドに結びつくテーマがシリアスに掘り下げられてきた。ところが新作はハンブルクにあるレストランを舞台にしたコメディであり、登場人物もギリシャ系のオーナー、ジノスを筆頭に、アラブ系やトルコ系などバラエティに富んでいる。

「これは“ホーム”についての映画なんだ。以前の作品の主人公たちはみんな旅をしていた。たとえばドイツから約束の地だと思ってトルコに行くけど、実際にはそうではないというように。彼らに共通しているのは、ホームを、あるいは自由を探し求めているということだ。作品が扱うその問題が僕自身の問題だと解釈されて、ホームはどこなのかといつも自問しているように思われているけど、それは違う。僕のなかではすでに解決しているので、探求する必要がないんだ。『ソウル・キッチン』は僕の作品のなかでは例外的に、最初からホームが明確にされている。レストランがホームで、それを船に見立てることもできる。ジノスが船長で、ジャック・スパロウのように船を守らなければならないんだ」

 この映画では、アキン監督が生まれ育ったハンブルクという街やレストランになる以前に倉庫だった建物などへの愛着が感じられる。

「建築物というのは、時代や社会、人間を表現していると思うんだ。ハンブルクを舞台にした映画で僕が好きなのは、デニス・ホッパーが出ているヴィム・ヴェンダースの『アメリカの友人』だ。おそらく74年か75年頃だと思うけど、当時のハンブルクはもう存在していない。だから『アメリカの友人』(77)はタイムマシンのようなもので、あの時代の街を訪れることができるのを僕はとても感謝している。それからハーク・ボーム監督の78年の作品『Moritz, lieber Moritz』は、時代を超えて愛される“ザ・ハンブルク・フィルム”であり、ユニークな街がセルロイドに永久に保存されている。だから自分がホームタウンを舞台にした映画を撮るなら、なにか新しい見方が必要だと思った。決して観光客的な視点ではなく、個人的なハンブルクを描けないかと模索した結果がこの映画なんだ」

 ハンブルクでは長らく自由港として使用されてきた港湾地区の敷地が不要となり、都市再開発用地となったため、建設ラッシュが続いている。この映画では、そんな街の急激な変化も意識されているように思える。

「僕が生まれ育ったのは、労働者階級が暮らす地域で、芸術家や学生もいた。ところが今ではヤッピーが暮らすヒップな高級住宅地になってしまった。映画で成功したおかげで僕はそこに住んでいられるけど、他のトルコ系の人たちや芸術家は、もっと家賃の安い地域に引っ越すしかなかった。街の変化ということについては僕は伝統を重んじる保守派なので、一人だけでも抵抗して、守らなければという思いがある。そういう個人的な体験が、ホームタウンを魅力的に描くためのヒントになっている」


◆profile◆

ファティ・アキン
1973年8月25日、工場労働者の父と教師の母のもとハンブルクに生まれる。俳優を志し、93年から舞台やテレビドラマに出演していたが、在ドイツのトルコ移民役などステレオタイプの役柄ばかりであることに嫌気がさし、ハンブルク造形芸術大学へ進学。95年、監督デビュー作となる「SENSIN…YOU ‘RE THE ONE !」を発表し、ハンブルク国際短編映画祭で観客賞を受賞。初の長編映画「SHORT SHARP SHOCK」(98)はマスコミ・観客ともに熱狂的に受け入れられ、ロカルノ映画祭の銅豹賞、アドルフ・グリメ賞、パヴァリア映画賞など9つの賞を獲得した。ユーモアあふれるロードムービー『太陽に恋して』(00)、ドキュメンタリー「WIR HABEN VERGESSSENZURUCKZUKEHREN」(00)、「SOLINO」(02)を発表したのち、偽装結婚から生まれる愛を情熱的に描いた『愛より強く』で、04年ベルリン国際映画祭金熊賞(グランプリ)をはじめ、04年ヨーロッパ映画賞最優秀作品賞など数々の賞に輝き、一躍その名を世界に轟かせた。監督6作目の『クロッシング・ザ・ブリッジ〜サウンド・オブ・イスタンブール〜』(05)では、トルコ版『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』とも言うべき音楽ドキュメンタリーに挑み、高い評価を得た。『そして、私たちは愛に帰る』では07年カンヌ国際映画祭最優秀脚本賞と全キリスト協会賞を受賞。そして、最新作『ソウル・キッチン』で、09年ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞・ヤングシネマ賞をW受賞し、36歳にしてベルリン、カンヌ、ヴェネチアの世界三大映画祭で受賞を果たす。まだ30代にして、2作がアカデミー賞外国語映画賞のドイツ代表に選ばれるなど、その才能は世界中に注目され、2010年には参加したオムニバス映画『ニューヨーク、アイラブユー』が日本でも公開されている。
『ソウル・キッチン』プレスより引用

 

 


■■不動産業者との駆け引きは映画産業にも当てはまる■■

 ジノスのレストランは、狡猾な不動産業者や税務署、衛生局の標的となり、何度も廃業の危機に陥る。だが、ジノスと仮出所中の兄や頑固なシェフ、クールなウェイトレスといった仲間たちが、衝突しつつも店に活力を与えていく。そんなレストランは、アジール(解放区)に近い空間へと変化している。

「これは西欧だけではなく世界的な傾向だと思うけど、ホームや家族という観念が失われつつある。以前は家族会議といえばたくさんの人が集まったものだけど、社会が変化して、いまでは家族が小さくなり、ばらばらになっている。でも人間は本来集団で行動するものであり、そういう習慣を捨てられないから別の集団や家族を探そうとする。この映画の登場人物たちはある種の家族になっている。それはジプシー・キャンプのようでもある。彼らは、不動産業者から集団を守ろうとする。数年前の世界同時不況はサブプライムローンという不動産の問題から始まった。この登場人物たちはみんな労働者だから、そういう現実に対して一矢報いるわけだ」

 このレストランを守ろうとする仲間たちと不動産業者の駆け引きは、そのまま映画産業にも当てはまるように思えるのだが。

「その通りだ。ドイツではメディアがジャンクなテイストを好む。テレビのランキング番組は、セックスや暴力、オバカのような表面的なことばかりを取り上げる。アート系の劇場は絶滅寸前とまではいわないけど青息吐息の状態だ。そして、この映画に出てくる不動産業者のような連中がアート系の作品までどんどんシネコンにブッキングし、公開第一週で結果を出さなければアウトで、もう日の目を見ることもない。問題なのは、いい作品を発見し、他の人とそれについて語り合い、映画に精通していくための時間も余裕もないことだ。僕はこの映画産業の状況については民主的になることはできない。『ソウル・キッチン』に当てはめるなら、レストランのお客は、ジノスが振る舞うジャンクフードに満足している。そこにシェインというシェフ、映画にたとえればフェリーニのような存在が現れる。彼は美味しい料理を出すけど、お客は見たこともない料理を拒み、ジャンクフードを求める。だから彼らはフェリーニの味を再発見するために教育されなければならないんだ」=====>2ページに続く

 
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