そんなトラウマは、ディックの作品にも表れている。核戦争後のアメリカを舞台にした『ドクター・ブラッドマネー――博士の血の贖い――』に登場する七歳の少女エディの体内には、死者と話すことができる双子の弟ビルが存在している。近未来の警察国家を描く『流れよ我が涙、と警官は言った』に登場する警官バックマンの魂は、双子の妹アリスの死によって引き裂かれていく。だが、妹の影響はそれだけではない。彼女の存在は、ディックのアメリカ社会に対する関心と宗教や神学、生と死に対する関心を結びつける役割も果たしている。
『パーマー・エルドリッチ〜』では、キャンDが独占していた市場に、謎の星間実業家エルドリッチが銀河系の彼方から持ち帰った強力なチューZが出回るようになる。ディックがそうしたドラッグの効果をどう見ているのかは、以下のような言葉から明確になるだろう。「キャンDは移民たちの宗教さ」。「血と聖餅。おわかりですね、ミサのあれ。あれがキャンDの服用者にたいへん似ています」。「チューZを使えば、人間は生から生へと輪廻をつづけることができる」。「神は永遠の生命を約束する。わたしはそれ以上のことができる。永遠の生命を引き渡せるのだ」
ディックは、ドラッグを呑みこんだり、注入したりすることを、聖体拝領と結びつける。エルドリッチは、本人が死んでも、チューZを消費する人間の幻覚世界のなかで生き続ける。消費することが宗教的な体験になり、実業家を神に変えてしまうのだ。
そして、『ユービック』では、そんなヴィジョンがさらに突き詰められていく。この小説では、超能力者たちの無力化を仕事にするランシター合作社の社長と不活性者≠フ部下たちが罠にはまり、社長は死亡し、生き残った部下たちは奇妙な時間退行現象に見舞われる。彼らは、一人また一人と干からびていく。だがそこに、死んだはずの社長から次々とメッセージが届けられ、衰退する現実を補強するユービックなるスプレー缶が存在することがわかる。
ユービックとは何か? 小説の各章の冒頭には、ユービックの広告のコピーが挿入されている。ユービックは、車にも、ビールにも、髭剃りにも、胃腸薬にもなる。私たちが消費するすべてのものであり、さらに最後の章ではそれが、宇宙の創造者になってしまう。まさに消費社会が神になり、主人公たちは神に救いを求める。だが、それが本当に救いだとは限らない。この物語では結局、社長と部下たちのどちらが本当に死んでいるのかがわからなくなる。実は私たちは、神に成り代わった消費社会が作り上げる偽りの世界のなかで、死んでいるのかもしれないのだ。
これに対して、70年代のディック作品では、SF色が薄れ、設定が現実味を帯びてくる。そこには、彼の体験が反映されている。まず70年の秋に、妻のナンシーと娘のアイサが家を出てしまう。欝状態で自殺に走ることを恐れた彼は、麻薬中毒の若者たちと付き合い、彼らに家を開放する。そして71年11月、住居侵入事件が起こる。ある日、彼が帰宅してみると、耐火性ファイル・キャビネットが爆薬によって吹き飛ばされていたのだ。この事件は結局、解決されなかった。
『スキャナー・ダークリー』は、ディックがドラッグ・カルチャーのなかで出会った連中のポートレイトといえる。だが、この小説でまず印象に残るのは、管理され、システム化された世界だ。壁に囲まれ、入口で警備員がクレジット・カードをチェックする巨大ショッピング・モール。電気を流したフェンスと武装警備員に守られた要塞なみの複合アパートメント。マクドナルドやセブン・イレブンばかりの街路。主人公のアークターは、いつかマックバーガーを買うだけではなく、売るのも義務になり、近所のみんなと永久に売り買いを続ける日がくるかもしれないと考える。この物語では、それは必ずしも奇妙な想像ではない。匿名の麻薬捜査官であるアークターは上司から、麻薬中毒者を装っている自分自身の監視を命じられ、どちらが本当の自分かわからくなる。そして終盤では、麻薬リハビリ施設が、麻薬の供給源でもあることが明らかになる。この世界では、人が消費するだけでなく、システムに取り込まれ、与えられた役を演じ続けなければならないのだ。
さらに、70年代のディックには、もうひとつの重要な体験がある。74年、カリフォルニアでも最も保守的なオレンジ郡のフラートンに落ち着き、5人目の妻テッサと息子のクリストファーと暮らしているときに、彼の身に神秘体験が起こる。
「情景の変化が起きて、七四年二月から七五年二月まで、一年間そのまんま。世界をキリスト教の「黙示録」の相のもとに眺める状態がね。「立体映像」っていうものなんだよ。厳密には「覆い隠される」とか、草叢に隠すみたいに、何かを上にかけて隠したものを意味するんだな。まるで世界にかけられた立体映像の覆いがはずされたようだった。ありのままの世界を眺めていたんだ」(グレッグ・リックマン『ラスト・テスタメント』より)
そんな神秘体験も盛り込まれた晩年の作品『ヴァリス』では、SF作家ディックが語り手となって、彼の分身であるファットの狂気を検証していく。友人の死やテッサとの別居といった自伝的要素、60〜70年代のカリフォルニアの風俗や文化、そして、神学や神話、心理学などをめぐる考察。多様な要素が複雑に入り組むこのポップにして深遠な物語のなかで、もうひとつ見過ごせないのが、ジェーンの存在だ。神秘体験をしたファットが綴る日誌には、以下のような記述がある。
「われわれが世界として体験する変化しつづける情報は、開示されゆく物語である。ある女の死について語っている(傍点ディック)。はるか昔に死んだこの女は原初の双子のかたわれであった。(中略)<脳>によって処理される情報――物理的対象の配置・再配置としてわれわれが体験する情報――は、この女を保存する企てである」
これまで取り上げてきた小説の主人公たちは、消費社会が作り上げる偽りの世界に閉じ込められていた。ファットはそこから抜け出そうとする。そんな彼にとって、最も重要な意味を持つことになるのが、ジェーンの存在だろう。これは、ファット=ディックが、まったく異なる次元からジェーンを探索していく物語でもあるのだ。 |