ディックの小説ではしばしば、登場人物たちの複数の視点から物語が綴られていく。この作品で、物語の中心的な語り手となるのは、傍観者的な立場にあるジャック・イシドールという34歳の男だが、彼の説明は後回しにして、とりあえずその他の登場人物について触れることにする。
まず、ジャック・イシドールの妹フェイ。彼女は、50年代の消費の欲望にどっぷりと漬かっている主婦である。彼女の夫のチャーリーは、町工場の経営者。そして、フェイと関係を持つことになるネーサン。彼は、28歳の既婚者だが、まだ法律の勉強を続けている学生でもある。
さらに、この作品の場合には、もうひとりの主人公として、人間ではないが、フェイが夫に建てさせた邸宅にも注目しておくべきかもしれない。それは、サンフランシスコのど田舎に建つモダンな家で、リビングの中央にはバーベキューができる円形の暖炉があり、客室にも使える書斎、4つのベッド・ルームにバス・ルーム、ソーイング・ルーム、ユーティリティ・ルーム、ファミリー・ルーム、ダイニング・ルーム、冷蔵庫の部屋、テレビ・ルームが備わった邸宅だ。そして、この家を牛耳るようなフェイという主婦の存在が、男たちを振り回し、物語を動かしていくことになる。
それでは、複数の視点に沿って、このフェイの存在を浮き彫りにしてみよう。たとえば、夫のチャーリーは、心のなかでこんなふうに思う。
おれの稼ぐ金はすべてあの糞いまいましいマイホームの維持費につぎ込まれている。呑み干し、吸い取る。おれを、おれが得るすべてをむさぼり食らう。利益を得るのは誰だ?おれではない。
精神的に行き詰まったチャーリーは、最終的には自殺することになる。ただし、彼が単に経済的に追い詰められたために自殺するのではないところが、この物語の深いところだろう。そのことは、フェイに対するネーサンの分析から浮かび上がってくる。彼女に対するネーサンの心の動きは、こんなふうに綴られている。
男は女より弱く、短命で、問題を解決に導くのも下手糞だとフェイは思い込んでいるな、まるで現代の神話そのものだ、とネーサンはさとった。商品はすべて女のマーケットに的が絞られている。財布の紐を握っているのは女だってことは生産者はとっくに知っている。テレビドラマで女はしっかり者として登場し、男は愚かなダグウッド・ハムステッドで――。
中産階級的な古くさい人生観の持ち主で、自分でものを考えることができず、古ぼけた価値観に頼っている。家庭教育の犠牲者と称している。人がショックだと感じることに自分もショックを感じ、人のほしがるものをほしがる。家庭を、夫を求める。夫の理想像とはそこそこの金を稼ぎ、庭いじりの手伝いをし、皿洗いする――雑誌の『ジス・ウィーク』のマンガに出てくる良き夫のことなのだ。もっともありきたりな社会的階層の考え方だ。世代から世代へと受け継がれる、いつの時代でも、どこにでも転がっているブルジョワ的な家庭の。
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