ホウ・シャオシエンの新作『百年恋歌』は、異なる3つの時代を生きる3組の男女を、チャン・チェンとスー・チーという同じ俳優たちが演じ分けるオムニバス映画だ。その3つの時代とは、1911年と1966年と2005年だが、時代の流れは、過去から現代に向かうのではなく、現代から過去へと遡るわけでもない。
物語は、3つの時代の中間に位置する1966年の高雄から始まる。兵役を控えた若者は、高雄のビリヤード場で働くことになった新顔のシウメイに恋をする。だが、休暇をもらった彼がそこに戻ると、彼女の姿はなく、別の娘が働いている。それ以来、彼の休暇は、各地のビリヤード場を転々とするシウメイを追うことに費やされていく。
1966年はホウ監督の青春時代と重なり、男女のドラマには、個人的な体験に繋がる親密な空気が漂っている。しかし、そんなドラマは、1911年を経て、2005年に至る時間の流れのなかで、台湾の歴史のなかに取り込まれることになる。
1911年の舞台は遊郭で、そこに通う外交官のチャンと芸妓が静かに心を通わせる。だが彼は、台湾を日本の支配から解放するという使命を背負い、間もなく大陸で辛亥革命が起こる。台湾の暦では、中華民国の建国が宣言された1912年が民国元年であり、この男女のドラマは、台湾現代史の出発点に位置している。
その現代史は、間違いなくチャンが求めた未来ではない。台湾が日本の支配から解放されると、今度は、共産党との戦いに敗れて台湾に逃れた国民党による支配が始まり、40年近くも戒厳令がしかれることになる。1966年のドラマは、そんな抑圧のもとにあるわけだ。
そして、2005年の台北では、歌手のジンとカメラマンのチェンが、激しく惹かれ合う。彼らは、急速な経済発展と1987年の戒厳令解除に始まる民主化のなかで成長してきた。しかも、2000年には、総統選挙で陳水扁が国民党の公認候補を破って勝利を収めるという画期的な出来事が起こっている。台湾は、民国元年に始まる歴史から脱却し、新たな歴史を歩み出したともいえるわけだが、その方向次第では、大陸との間の緊張がこれまで以上に高まることにもなる。
『百年恋歌』の背景には、そんな歴史の変遷がある。しかしホウ監督は、この映画のなかで歴史にはほとんど言及せず、男女の関係だけからその背後にあるものを物語る。3組の男女の間には、微妙な距離がある。その距離は、手紙やサイレント形式、携帯やメール、それぞれの時代を象徴する音楽などで表現される。
1966年のドラマでは、手紙が鍵を握る。若者が最初に好意を持ち、手紙を渡すのは、シウメイの前に働いていたハルコだ。シウメイは、そのハルコが残していった手紙を読む。そして、若者から手紙を渡される。だが、ハルコへの手紙を読んだことは胸に秘め、やがて別のビリヤード場へと移っていく。
サイレント形式で描かれる1911年のドラマでは、静謐な空間に浮かび上がる台詞字幕を通して、男女の距離が描かれる。チャンは、身請けの話がきた芸妓の義妹を金銭的に援助する。だが彼自身は、使命ゆえに芸妓を身請けすることを拒み、旅立つ。
2005年のジンとチェンには、それぞれに恋人がいる。そんな複雑な関係にある彼らは、ジンが歌う過去も未来もない世界のなかで、傷つけ合い、彷徨いつづける。
異なる時代を生きる3組の男女は、それぞれに愛と自由を求め、不透明な未来と向き合っているのだ。
そして、ケン・ローチの新作『麦の穂をゆらす風』にも、歴史と現代を結ぶ興味深い視点がある。この映画は、ローチが共通するテーマを扱った『大地と自由』と対比してみると、そのスタンスがより明確になるだろう。
スペイン内戦を題材にした『自由と大地』では、協力してファシストと戦っていた人民戦線のなかに亀裂が生じ、同志だった者たちが裏切り、争いを繰り広げる。そして、アイルランド分断の出発点となった20年代の革命運動を題材にしたこの『麦の穂をゆらす風』でも、独立戦争の果てに結ばれた条約をめぐって、分断や連合の維持を受け入れる勢力と完全な独立を求める共和主義者の間に対立が生まれ、内戦に発展していく。 |