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サッチャリズムの現実を対極から描くボイルとローチ
――『シャロウ・グレイヴ』『トレインスポッティング』『大地と自由』をめぐって



シャロウ・グレイヴ/Shallow Grave――― 1995年/イギリス/カラー/92分
トレインスポッティング/Trainspotting―― 1996年/イギリス/カラー/93分/ドルビー・ステレオ/ビスタ
大地と自由 / Land and Freedom――― 1995年/イギリス・ドイツ・スペイン/カラー/110分/ビスタ
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(初出:「骰子/DICE」18号、97年1月)

 

 

 その背景を考えてみると非常に興味深い映画や音楽などが、日本に入ってくると途端に表層だけのファッションと化してしまうというのは珍しいことではない。なかでも最近、特に筆者が気になったのは、 ダニー・ボイルの『シャロウ・グレイヴ』と『トレインスポッティング』、そして、ケン・ローチの『大地と自由』の扱いである。

 本誌前号(「骰子/DICE」17号、96年11月)では、レヴューに『シャロウ・グレイヴ』があり、クロス・レヴューに他の二本が肩を並べているというように、これらの作品はほぼ同時期に公開されている。 が、本誌に限らず筆者が知る限り、どこからもイギリス社会をめぐる彼らの作品の深い結びつきが浮かび上がってきていない。

 というよりもそれ以前に、それぞれの作品の背景すらまともに認識されてはいない。 『トレインスポッティング』がブームとなると、その特集はボイルや原作のウェルシュ、ブリット・ポップ一辺倒というわけだが、もし本当に背景をしっかり掘り下げていれば、同時期に公開される『大地と自由』は無視できなくなるはずだ。

 両者はほとんど表裏の関係にあると言ってもいい。どちらの作品にも80年代にイギリスを変えたサッチャリズム以後の決定的な転換点が浮き彫りにされているからだ。70年代末に労働党から政権を奪ったサッチャーは、 当初はまだ基盤が不安定だったが、フォークランド紛争で強硬策をとることによって人心を掌握し、経済を圧迫する高福祉政策から自由主義市場経済への大転換を断行し、資産所有の民主主義を強行に押し進めた。 その結果、競争意識が高まることによって、経済は好転したが、極端な上昇志向や拝金主義が蔓延する一方で、弱者は切り捨てられることになった。

 今は亡きデレク・ジャーマン監督がかつて来日したとき、彼はサッチャリズム以後のイギリス社会についてこんなふうに語っていた。

ある人々が完全に周縁化されてしまっているということは、芸術家として無視できないことだ。イギリスは国家としてはお金を持っていないなどということは絶対にない。ただ、分かち合うこと忘れているのだ

『フェイス』はイギリスではきわめて保守的な雑誌で、最近の号にこの作品(『ラスト・オブ・イングランド』)の悪評が載っていたんだが、いまどき反戦なんかもう古いと書いてあるんだ。 いかにもサッチャーの子供たちが言いそうなことだ。みんなが厳しい生活を送っているのに現政権を疑わない人は非常に危険だと思う

 というようにデレクが危惧したイギリスの未来がいまここにあるというわけだ。

 『シャロウ・グレイヴ』の主人公は、それぞれに医師、会計士、記者という未来を選び、洒落たアパートに一緒に暮らす男女3人組。彼らは4人目のルームメイトを募集しているが、その面接の様子からは、 彼らがクールで野心的で優越感にひたり、他人を見下し馬鹿にしていることがわかる。彼らはサッチャリズムにどっぷりつかって成長してきた若者たちなのだ。

 ところが、そんな彼らのもとに、死体とともに彼らの生活レベルを遥かに上回る大金が転がり込んだことから、優越感は吹き飛び、クールな化けの皮は剥げ落ち、血みどろの死闘を繰り広げることになる。 これは、子供の頃から消費の欲望を植え付けられてはいるものの、実際の消費社会に対する免疫ができていない若者の未熟で危うい現実を巧みに描きだすブラック・ユーモアなのだ。

 それでは『トレインスポッティング』はどうか。この映画の冒頭には、「人生を選べ、キャリアを選べ、家族を、テレビを、車を選べ。自己中心のガキになることほどみっともないことはない。未来を選べ。 だけど、それがいったい何なんだ」というような主人公レントンのモノローグがある。『シャロウ・グレイヴ』の3人組が人生やキャリアを選び、自己中心的なガキになっていたのに対して、 彼は少なくともサッチャリズムに対する反発は感じている。もっと厳密にいえば、スコットランドのエディンバラに暮らす労働者階級の彼は、切り捨てられた弱者に属し、未来を選びたくても選べないのだ。 但し、ドラッグが蔓延しつつあるという意味では、彼らは新しい消費社会に組み込まれつつある。

 しかし、そのレントンと仲間たちは決して足並みがそろっているわけではなく、そのバラバラぶりが実は多くのことを語っている。特に興味深いのは、ドラッグをやる奴とやらない奴の違いである。 たとえば、ベグビーは、ドラッグを嫌い、パブで飲んだくれては喧嘩に明け暮れる。簡単にいえば彼は旧来の労働者の生き方を貫いている。ヘロインが労働者階級のあいだに広がったのは80年代以降のことで、 彼はその流れに逆らうことで労働者のアイデンティティを守ろうとしている。それから同じくドラッグをやらないトミー。彼の場合は、スコットランドの自然に固執し、スコットランド人というアイデンティティを守ろうとしている。 これに対して何度となくやめようとしながらドラッグにはまっていくレントンは、そうしたアイデンティティが崩壊していく。そして結局仲間を裏切り、自分の人生を選び取ることになる。

 ボイルの二本の映画は、もはや後戻りがきかないイギリス社会を象徴している。どちらの主人公たちもドラッグに絡む金に動かされるわけだが、このドラッグ自体が80年代サッチャリズムの産物であり、 突き詰めれば彼らはアイデンティティを喪失して、サッチャリズムに飲み込まれていくのだ。


―シャロウ・グレイヴ―

Shallow Grave (1994) on IMDb


◆スタッフ◆
 
監督
ダニー・ボイル
Danny Boyle
製作 アンドリュー・マクドナルド
Andrew Macdonald
脚本 ジョン・ホッジ
John Hodge
撮影 ブライアン・トゥファノ
Brian Tufano B.S.C
製作総指揮 アラン・スコット
Allan Scott
編集 マサヒロ・ヒラクボ
Masahiro Hirakubo
音楽 サイモン・ボスウェル
Simon Boswell
挿入歌 《ハッピー・ハート》アンディ・ウィリアムズ、 《マイ・ベイビー・ジャスト・ケア・フォー・ユー》ニーナ・シモン、《リリース・ザ・タブ》レフトフィールド "Happy Heart" by Andy Williams, "My Baby Just Care for You" by Nina Simon, "Release the Dub" by Leftfield

◆キャスト◆
 
ジュリエット
ケリー・フォックス
Kerry Fox
デイヴィッド クリストファー・エクルストン
Christopher Eccleston
アレックス ユアン・マクレガー
Ewan McGregor
マッコール刑事 ケン・スコット
Ken Scott
ヒューゴ キース・アレン
Keith Allen
キャメロン コリン・マクレディ
Colin McCredie

―トレインスポッティング―

 Trainspotting
(1996) on IMDb


◆スタッフ◆
 
監督
ダニー・ボイル
Danny Boyle
製作 アンドリュー・マクドナルド
Andrew Macdonald
脚本 ジョン・ホッジ
John Hodge
原作 アーヴィン・ウェルシュ
Irvin Welsh
撮影 ブライアン・トゥファノ
Brian Tufano B.S.C
製作総指揮 アラン・スコット
Allan Scott
編集 マサヒロ・ヒラクボ
Masahiro Hirakubo

◆キャスト◆
 
レントン
ユアン・マクレガー
Ewan McGregor
スバッド ユエン・ブレンナー
Ewen Bremner
シック・ボーイ ジョニー・リー・ミラー
Jonny Lee Miller
トミー ケヴィン・マクキッド
Kevin McKidd
ベグビー ロバート・カーライル
Robert Carlyle
ダイアン ケリー・マクドナルド
Kelly Macdonald
スワニー ピーター・ミューラン
Peter Mullan
アリソン スーザン・ヴィドラー
Susan Vidler
リジー ポーリーン・リンチ
Pauline Lynch
 
 


 一方、ケン・ローチはバリバリの左翼であり、これまでイギリスの下層の人々の日常を透明な眼差しで描きつづけてきた。しかし、この『大地と自由』でイギリス社会を離れスペイン内戦に目を向けた。 しかも、これに続く最新作『カルラの歌』は、やはりイギリスではなくニカラグアを舞台にしている。どんな内容かというと、サンディニスタ民族解放戦線を題材にしたもので、イギリスに渡ったニカラグア人のヒロインが、 グラスゴーでバスの運転手をしている恋人とともに87年に祖国に戻り、アメリカが操るコントラ(反革命ゲリラ)との闘争で修羅場と化した世界に直面していく物語だという。

 ローチは、90年代に入ってからも、『リフ・ラフ』『レイニング・ストーンズ』『レディバード・レディバード』といった作品で、サッチャリズムによって周縁に押しやられた人々の素顔や苦悩を描いてきたが、 どうしてここにきて国外で作品を製作するようになったのか。もちろんこの先のことはわからないが、イギリスに限らずサッチャリズムに代表される政治体制が世界的な傾向となりつつある時流に対して、 ローチもまた世界的な視野に立って答えようとしているのだ。

 ここまで書いてきたことを踏まえてみると、現代のイギリスではリアリズムのイメージが変わってしまっていることがわかる。その映像表現がシュールであるがゆえに、ダニー・ボイルのことを反リアリズムのように表現する人がいるが、 これは明らかにおかしい。なぜなら彼は、サッチャリズムに飲み込まれ現実も定かではない人々をまさにリアルに描いているからだ。そんな状況において、 ローチがこれまでとまったく同じように労働者の立場を描いていたとしたら、そちらの方が反リアリズムになってしまうのだ。


―大地と自由―

 Land and Freedom
(1995) on IMDb


◆スタッフ◆
 
監督
ケン・ローチ
Ken Loach
製作 レベッカ・オブライエン
Rebecca O'Brien
製作総指揮 サリー・ヒビン/ヘラルド・エレーロ/ウルリッヒ・フェルスベルク
Sally Hibbin/Gerardo Herrero/Ulrich Felsberg
脚本 ジム・アレン
Jim Allen
撮影 バリー・エイクロイド
Barry Ackroyd
編集 ジョナサン・モリス
Jonathan Morris
音楽 ジョージ・フェントン
George Fenton

◆キャスト◆
 
デイヴィッド
イアン・ハート
Ian Hart
ブランカ ロサナ・バストール
Rosana Pastor
マイテ イシャール・ボジャイン
Iciar Bollain
ローレンス トム・ギルロイ
Tom Gilroy
ビダル マルク・マルティネス
Marc Martinez
ベルナール フレデリック・ピエロ
Frederic Pierrot
キム スーザン・マドック
Suzanne Maddock
キット アンジェラ・クラーク
Angela Clarke
 
配給:エース・ピクチャーズ
 
 
 

 というわけで『大地と自由』には、ローチの新しいリアリズムがある。これはスペイン内戦を描いた作品だが、筆者は正直なところぜんぜんスペイン内戦の映画だとは思わなかった。 この作品は、絶対に『トレインスポッティング』と並べてみるべきであると思う。同時期に製作されたこの二本の作品は、どちらも?裏切り?が描かれ、『トレインスポッティング』の主人公は裏切る方に立ち『大地と自由』の主人公は裏切られる方に立ち、 イギリスの現実を正反対の方向から描いていることがわかるからだ。

 ちなみに、ローチはこの映画についてこんなふうに語っている。「当時争われていたのは、誰がどのように支配するか、誰の利益のために支配するか、ということでした。 この問題は、2千万人の失業者を抱える今日のヨーロッパでも身近な問題です。今、ヨーロッパでは、利潤の追求と社会的公正とが両立しえなくなっています」(『大地と自由』プレスより)

 そしてもうひとつ、この映画で筆者が印象的だったのは、裏切られた祖父の体験の記憶が、まだ社会を知らない娘の心に埋め込まれるところだ。この映画は、いまだサッチャリズムに汚染されていない世代へのメッセージとして見ることができるのだ。

付記:今回の原稿では特に参照しなかったが、「Village Voice」96年7月30日号の『トレインスポッティング』小特集では、ちゃんとサッチャリズム以後のイギリス社会の変化、ケン・ローチとの対比なども含めてこの映画が論じられていた。

 
 
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