グローバリゼーションと地域社会の崩壊
――『モンドヴィーノ』と『そして、ひと粒のひかり』をめぐって


モンドヴィーノ/Mondovino――――――――― 2004年/フランス=アメリカ/カラー/135分/ヴィスタ/ドルビーSRD
そして、ひと粒のひかり/Maria Full of Grace―― 2004年/アメリカ=コロンビア/カラー/101分/スペイン語/ヴィスタ/ドルビーデジタル
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(初出:「Cut」2005年11月号 映画の境界線51、若干の加筆)

 

 

 ジョナサン・ノシター監督の『モンドヴィーノ』は、ワインに関するドキュメンタリーだが、映画が浮き彫りにするのは、ワインという枠組みを越えた世界の現実だ。ソムリエの資格も持つノシターは、世界各地を渡り歩き、ワインの生産・流通の現場に乗り込み、そこで出会う人々から巧みに本音を引き出していく。

 そんな取材の旅を通して明確になるのは、グローバリゼーションの時代を検証するのに、ワインが格好の題材となるということだ。グローバリゼーションは、地域性や地域社会を破壊するといわれるが、激動するワイン産業には、それが端的に現れている。

 ワインの世界には、土壌や地勢、気候などぶどうの生育環境を総称する“テロワール”という言葉があるように、ワインと地域の密接な結びつきがあったが、ワイン界のグローバリゼーションによってその結びつきは確実に失われつつある。この映画は、まず自分の土地に根を下ろした何人かの生産者の姿を映し出し、それからグローバリゼーションを牽引する人物たちに迫っていく。

 ワイン・コンサルタントのミシェル・ロランは、世界12ヵ国にクライアントを抱え、売れるワイン造りの伝道に励む。ワイナリーを忙しく移動する車のなかで、クライアントからの電話に対して、「酸素を吹き込め」を連呼するように、彼は、技術を駆使することで人気のワインを生み出す。

 カリスマ評論家のロバート・パーカーは、その評価がワインの売れ行きに多大な影響を及ぼす。そのために、彼のテイストに迎合するワインが増える。カリフォルニアワインで成功を収めたモンダヴィ一族は、様々なジョイント・ベンチャーによって海外に進出する。

 その三者は、信頼関係で結ばれ、世界のワインをブランド化し、標準化していく。そして、ロランやモンダヴィは、やがていつの日にか月や他の惑星でワインが造られる時代が訪れることを夢想する。

 このグローバリゼーションは、国家という枠組みを曖昧なものにする。たとえば、「ワイン・スペクテーター」誌の特派員は、両親の世代はフランスワインだったが、彼の世代はイタリアワインだと主張する。だが、そのフランスとイタリアが意味するものは同じではない。

 彼が絶賛するのは、外来品種を用い、ロランが手がけ、モンダヴィが買収したイタリアワインだからだ。地元の小売店の店主も、彼らのブランド化されたワインはどこで造っても同じだと断言する。もちろんこの特派員の主張は、それも折込済みのパフォーマンスといえなくもない。

 では、ワインでアルゼンチンを変えたエチャルト一族の場合はどうだろうか。一族は、成功にご満悦だが、彼らが造ったのは、ロランが手がけ、パーカーが高得点を付け、世界的に認知されたワインだ。そんな彼らは、先住民をいささか蔑視するような発言をする。するとノシターは、彼らとは対照的な生産者を訪ねる。亡父が純粋なインディオだったその生産者は、先祖代々の痩せた土地を守り、ぎりぎりの生活で良質なもうひとつのアルゼンチンワインを造りつづけているのだ。


 
―モンドヴィーノ―

◆スタッフ◆

監督/撮影/編集   ジョナサン・ノシター
Jonathan Nossiter
製作 エマニュエル・ジロー、ジョナサン・ノシター
Emmanuel Giraud, Jonathan Nossiter

◆出演者◆

    ミシェル・ロラン
Michel Rolland
  エメ・ギベール
Aime Guibert
  モンダヴィー一族
Mondavi Family
  ド・モンティーユ一家
De Montille Family
  ニール・ローゼンタール
Neal Rosenthal
  マイケル・ブロードベント
Michael Broadbent
  ロバート・パーカー
Robert Parker Jr
(配給:シネカノン+クロックワークス)
 
―そして、ひと粒のひかり―

※スタッフ、キャストは
『そして、ひと粒のひかり』レビューを参照のこと
 
 


 ノシターはまた、ワイナリーに雇われた労働者の待遇にもわずかながら関心を寄せているが、そのことに関連して、ここで注目したいのが、"ミュール"と呼ばれる麻薬の運び屋を題材にしたジョシュア・マーストン監督の『そして、ひと粒のひかり』だ。

 この映画のヒロインは、コロンビアの田舎町で母や姉と暮らし、家計を支えるためにバラ農園で働く17歳のマリアだ。外の世界に憧れる彼女は、妊娠を知り、マネージャーともめて農園を辞めたことをきっかけに、ミュールとなる。マーストンは、綿密なリサーチをもとに、そんなマリアの苛酷な体験をドキュメンタリーのように描き出していく。

 それは、ソダーバーグの『トラフィック』で浮き彫りにされたグローバリゼーションの世界を、ひとりの娘の視点から克明に描いたドラマともいえる。だが、マーストンがリサーチしたのは、ミュールや麻薬市場だけではない。マリアが働くバラ農園にも注目する必要がある。彼女はそこで切りバラの棘を抜く作業をしていた。それは、効率だけが優先される非人間的な流れ作業で、映画では言及されないが、農園から出荷されたバラはアメリカに送られる。バラ農園の背景には、コロンビアやエクアドルがアメリカ市場に攻勢をかけ、アメリカ国内の産業を駆逐していったという歴史がある。つまり、彼女は、その時点ですでにグローバリゼーションに取り込まれているのだ。

 グローバリゼーションによって、地域社会や家族は崩壊していく。マリアには、農園以外に仕事がない。家族は、彼女を労働力としか見ていない。そして、そういう現状を見越して、ミュールのスカウトが巡回してくる。彼女は、グローバリゼーションの深みにはまり、ミュールとなってニューヨークに飛ぶ。だが、体内のコカインの粒を回収するために、ニュージャージーのモーテルに閉じ込められているときに、機内で体調を崩していた先輩のミュールが処分されたことに気づき、クイーンズに住むその先輩の姉に救いを求める。彼女がそこに見出すのは、コロンビア人のコミュニティでもある。

 そんな展開から筆者が想起するのは、『モンドヴィーノ』に登場するアメリカ人の輸入商ニール・ローゼンタールのことだ。彼は、ブランドを批判し、テロワールに情熱を注いでいる。そんな彼が、ブルックリン経由でクイーンズにある倉庫にノシターを案内する場面は印象に残る。彼は、ハシディズム派のユダヤ人たちが行き交う地域を通過したとき、そういう人々が生き残っている場所こそがテロワールなのだと語る。さらに、この映画では労働者が口を開くことはほとんどないが、彼の従業員のハイチ移民たちは、故郷のマンゴーの木を例に挙げて、テロワールについて饒舌に語る。おそらくは彼らも自分たちのコミュニティに支えられているのだろう。

 そうしたエピソードを踏まえるなら、『そして、ひと粒のひかり』のマリアは、グローバリゼーションによってテロワールを破壊された故郷を旅立ち、クイーンズでそれを発見し、自己とその責任に目覚めていくともいえるのだ。


(upload:2006/06/24)
 
 
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