マクドナルド化とスローフード運動
――『マクドナルド化する社会』『スローフードな人生!』『食の堕落と日本人』をめぐって


line
(初出:「paperback」Autumn 2001 Vol.3、若干の加筆)

 

 

 社会学者ジョージ・リッツアの『マクドナルド化する社会』は、マクドナルドに代表される徹底的な合理化=マクドナルド化が世界を覆い尽くそうとしている状況を検証する。著者はマクドナルド化の本質を分析し、合理化が生みだす非合理性を問題視し、個人の対処法を提示する。

 効率性、計算可能性、予測可能性、制御という四つの基本要素によって特徴づけられるマクドナルド化は、確かに生活を便利で快適なものにした。しかし同時に、健康への害や環境破壊、消費者と従業員の脱人間化、コミュニケーションや個人の創造性の排除、均質化といった不合理を生み出しつづけている。

 それでもなぜ人々がマクドナルド化を受け入れるのかといえば、利潤の追求という企業の存在原理に合致し、人々が合理化に高い価値を与え、それが生みだす一時的な興奮に納得させられるからだという。まさにそれはマスコミも含めた日本の現状でもある。しかし著者が提示する対処法は、いささか迫力に欠ける。日常をルーティン化することを避けるとか、フランチャイズ化された施設やファストフードを利用しないとか、テレビを見ないようにするというのは、理解はできるが、消極的な印象を受けるのだ。

 それは、極端に言えばそもそもの発想がアメリカ的であるからだろう。マクドナルド化とはアメリカそのものであり、著者は過去や伝統よりもあくまで未来を重視する。「過去を崇拝している批判者たちは、われわれがそうした世界に回帰しつつあるのではないことを理解していない

 マクドナルド化以後をポストモダンの視点から検証する続編『マクドナルド化の世界』でも、モダンの領域でマクドナルド化を“鉄の檻”とみなす人々は、結局、諦観にたどり着くと書いている。しかし対象を食文化に限定するなら、未来における可能性だけを見ていると、手遅れになってしまうことも決して少なくないのではないか。

 
《データ》
『マクドナルド化する社会』
ジョージ・リッツア●
正岡寛司監訳(早稲田大学出版部、1999年)
『スローフードな人生!
――イタリアの食卓から始まる』島村菜津●
(新潮社、2000年)
『食の堕落と日本人』小泉武夫●
(東洋経済新報社、2001年)
 
 
 

 イタリアで80年代に始まったスローフード運動は、次の三つの指針を掲げている:1.消えてゆく恐れのある伝統的な食材や料理、質のよい食品、ワイン(酒)を守る。2.質のよい素材を提供する小生産者を守る。3.子供たちを含め、消費者に味の教育を進める。(日本スローフード協会のサイトより引用)。

 イタリアを主な舞台に、スローフードとは何かを独自の視点で探る島村菜津の『スローフードな人生!』は、マクドナルド化する社会に対する伝統を踏まえた対処法を提示しているといえる。

 化学肥料を使った大量生産で質を落としてしまったワインを復活させる努力、人間的な対話がある寄り合い所としての伝統的なバールの存在、ユニークな神父と薬物依存症などで地獄を見た人々が丹精こめて作る山羊のチーズ、未来のあるビジネスとして注目される農業と宿泊施設を兼ねたアグリトゥリズモ、トスカーナのNGO団体の案内で垣間見るロシアの食事情など。

 “スローフード”という言葉は、ローマにマクドナルドの一号店が開店し、ファストフードの脅威が話題になっていたときに自然発生的に生まれたという。だからとってこれがファストフード反対という視野の狭い運動を意味するわけではないが、著者はマクドナルドについてもページを割き、興味深い数字をあげている。

 イタリアにあるマクドナルドの店舗数は、96年末の時点で147軒で、ヨーロッパ第3位。1位がイギリスの650軒で、2位がドイツの360軒。日本は97年末には4000軒を越え、98年には一年間だけで新たに500軒を開店したという。サッチャリズムによってアメリカ的な消費社会が広がったイギリスがヨーロッパで1位になるのはわかるが、それでもこの程度の数字ということは、日本は異常というべきだろう。

 ちなみに『マクドナルド化する社会』の日本語版への序文で、リッツァも「日本が外国からの侵入にさらされているだけでなく、日本の地域文化それ自体がマクドナルド化の課程を経験している」と書いている。

 小泉武夫の『食の堕落と日本人』は、マクドナルド化する社会に対して極めて鈍感な日本と日本人を痛烈に批判する本だといえる。アメリカ、フランス、ドイツ、カナダなどの先進国が食糧自給率100%を軽く越えているのに、日本は40%を割り込もうとしている。

 魚食民族である日本人が食べる魚の六割は輸入に頼っている。さらにファストフードの進出、優れた日本の伝統的な食文化の衰退、匂いを消した納豆、焼き魚を禁止するマンション、味の画一化を招くグルタミン酸ナトリウム、化学肥料を使うことによってミネラル類が減少する野菜、ポリフェノールが注目を浴びた赤ワイン・ブームの実態、鯨の過剰保護まで、批判は尽きない。

 著者によれば、日本人は和食を食べるのに適した情報が遺伝子に刷り込まれ、外国式の食事ばかりとっていれば心や身体に微妙な歪みを生じるという。だから食の世界の問題だけではなく、民族の存亡にもかかわると言い切るが、その言葉は決して大袈裟ではない。

 『スローフードな人生!』のあとがきで著者は、「スローフードとは、普段、漠然と口に運んでいるものを、ここいらで一度じっくり見つめてみてはどうだろうか、という提案である」と書いている。人間は食べないと生きられないが、それを利潤だけを追求する他者のコントロールに委ねることは、生きることの重要な部分をすでに放棄しているに等しいのではないだろうか。


(upload:2013/01/15)
 
 
《関連リンク》
ロバート・ケナー 『フード・インク』 レビュー ■
ルイ・シホヨス 『ザ・コーヴ』 レビュー ■
レイモン・ドゥパルドン 『モダン・ライフ』 レビュー ■
ミケランジェロ・フランマルティーノ 『四つのいのち』 レビュー ■
グローバリゼーションと地域社会の崩壊
――『モンドヴィーノ』と『そして、ひと粒のひかり』をめぐって
■

 
 
amazon.co.jpへ●
 
ご意見はこちらへ master@crisscross.jp
 


copyright