モダン・ライフ (レビュー02)
La vie moderne / Modern Life


農民の横顔:接近/Profils paysans: l’approche――――――――― 2001年/フランス/カラー/88分
農民の横顔:日常/Profils paysans: le quotidien―――――――― 2005年/フランス/カラー/83分/ヴィスタ/ドルビーSR
モダン・ライフ/La vie moderne/Modern Life――――――――― 2008年/フランス/カラー/90分/シネマスコープ/ドルビーSRD
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(初出:「キネマ旬報」2010年7月上旬号)

 

 

イデオロギーに支配された半世紀、そして物質に振り回される利己的で享楽的な半世紀
私たちは消えゆく農民が見せる“確信”にかわる新たな基盤をいまだに発見していない

 

■■ドゥパルドンの少年時代と農民の生活の再発見■■

 レイモン・ドゥパルドンが監督した作品は世界的に高く評価されているが、日本ではこれまで映画祭以外では公開されることがなかった。ドゥパルドンは60年代から映画を撮り続けているが、日本初公開作品となる『モダン・ライフ』(08)は、彼のプライベートな世界(あるいは生い立ち)と深く結びついているという意味で特別な作品といえる。

 農村で生まれ育ったドゥパルドンは、通信教育で写真を学び、16歳で村を離れ、パリに出て写真家のアシスタントになった。彼がそんな行動に出たのは、農民の息子の宿命から逃れたかったからでもある。その後18歳で通信社に入った彼は、未知の場所への強い憧れも手伝って、ジャーナリストとして世界中を旅してまわるようになる。と同時に映画の製作にも着手し、短編、長編、ドキュメンタリー、劇映画など様々なアプローチで世界を見つめ、映像に刻み込んでいく。

 そんなドゥパルドンが過去に目を向けるきっかけになったのが、80年代末にフランスの日刊紙のために農民の写真を撮り始めたことだ。家族単位の小規模農家は、高齢化や後継者不足という深刻な問題を抱えながらも、自然や動物と共に昔ながらの生活を営んでいた。

■■“農民の横顔”三部作のなかで変化する視点や姿勢■■

 その農民の生活に自分の少年時代を垣間見たドゥパルドンは、時間をかけて農民たちと信頼関係を築き、映画を撮ることを決意する。そして、『Profils paysans: l’approche(農民の横顔:接近)』(01)、『Profils paysans: le quotidien(農民の横顔:日常)』(05)、『モダン・ライフ』という三部作を作り上げた。

 この三部作では、長回しによる静謐な空間のなかに農民たちの姿が映し出されるが、ドゥパルドンの視点や姿勢は変化していく。

 『農民の横顔:接近』では、農民たちがよそ者であるドゥパルドンを受け入れるようになったことが重要であり、ドゥパルドンは一定の距離を保って、近くに住む農民同士の会話や農民と精肉業者や獣医とのやりとりを見つめている。そして映画は、ドゥパルドンが特別な思い入れを持って接していた孤独な老農夫の葬儀で終わる。

 これに対して『農民の横顔:日常』では、ドゥパルドンが農民に積極的に語りかけるようになる。その問答によって、晩年を迎えた農民たちがこれまでどのように生きてきたのか、様々なかたちで農場を引き継ぐことになった若い世代がこれからどう生きていこうとしているのかが明らかにされる。


◆スタッフ◆
 
監督/撮影   レイモン・ドゥパルドン
Raymond Depardon
製作/録音 クローディーヌ・ヌーガレ
Claudine Nougaret
編集 サイモン・ジャケ
Simon Jacquet
音楽 ガブリエル・フォーレ
Gabriel Faure
 
◆キャスト◆
 
    マルセル・プリヴァ
Marcel Privat
  レイモン・プリヴァ
Raymond Privat
  アラン・ルヴィエール
Alain Rouviere
  セシル・ルヴィエール
Cecile Rouviere
  カミーユ・ケネン
Camille Quennehen
  モニーク・ルヴィエール
Monique Rouviere
  ポール・アルゴー
Paul Argaud
  マルセル・シャライ
Marcel Challaye
  ジェルメーヌ・シャライ
Germaine Challaye
  ミシェル・ヴァラ
Michel Vella
  アマンディーヌ・ヴァラ
Amandine Vella
  アベル・ジャン=ロワ
Abel Jeanroy
  ジルベルト・ジャン=ロワ
Gilberte Jeanroy
  ダニエル・ジャン=ロワ
Daniel Jeanroy
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(配給:エスパース・サロウ)
 

 『モダン・ライフ』は、一見この二作目の延長にあるように見える。ドゥパルドンは、高齢の農民と若い世代が、お互いをどう見ているのかを聞き出していく。その問答からは世代の断絶が浮かび上がる。80代の農夫は、農場を継いだ甥に情熱が欠けているという。末っ子というだけで家業を継いだある息子は農業が嫌いだという。高齢者は引退しても同じ労働を続け、家族と村に転居してきた若い主婦は、結局、農場計画を断念する。

■■世界の大変革と人間にもたらされた断層■■

 しかし、ドゥパルドンが本当に見つめているのは、単に世代が違う個人と個人の間に生じる軋轢ではないし、小規模農家が直面している現実でもない。高齢の農民と若い世代の背景には、まったく異なる世界があり、異なる時間が流れている。世界は過去のある時点で大変革を遂げ、人間を決定的に変えた。ドゥパルドンは、農民の生活を通してそんな断層を実に鮮やかに浮き彫りにしてみせる。

 イスラエルの作家アモス・オズは、講演集『わたしたちが正しい場所に花は咲かない』のなかで、その大変革を以下のように要約している。長い引用になるが、この映画の視点を見極めるヒントになるはずだ。

だいたい十九世紀のあるときまでは、世界の大部分の地域で、ほとんどの人は少なくとも基本的な三つのことについてはっきりとわかっていました。どこで人生を送るか、仕事は何をするか、死後はどうなるか、の三つです。ほんの一五〇年くらい前まで、ほとんどだれもが自分の生まれたところか、その近く、もしかしたら隣村あたりで一生暮らすと思っていた。だれもが、親がしていた仕事かそれに似た仕事をして生計を立てると考えた。そうして、もしおこないがよければ、死んでからもっとよい世界に移れると信じていました。

 二十世紀はこうした確信を衰退させ、ときには消滅させたのです。こうした基盤となる確信の喪失を埋め合わせるかたちで、徹底的にイデオロギーが支配する半世紀がつづき、それからこの上なく利己的で、享楽的で、新式の器具に振り回される半世紀が来ました

 ドゥパルドンは、ジャーナリストとしてアルジェリアやベトナム、チリなど各地でイデオロギーが支配する世界を目撃し、また写真家として変貌を遂げる世界の大都市の日常を撮影してきた。だからこそ、消えゆく農民が見せる“確信”に心を揺さぶられ、人間であることの意味を鋭く掘り下げる。『モダン・ライフ』を観た人は誰もが、自分がどんな世界に存在し、どう生きるべきなのかを見つめなおすことになるだろう。

《参照/引用文献》
『わたしたちが正しい場所に花は咲かない』アモス・オズ●
村田靖子訳(大月書店、2010年)

(upload:2010/08/11)
 
 
《関連リンク》
マクドナルド化とスローフード運動――『マクドナルド化する社会』、
『スローフードな人生!』、『食の堕落と日本人』をめぐって
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『モダン・ライフ』 レビュー01 ■
『ジャライノール』 レビュー ■

 
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『わたしたちが正しい場所に花は咲かない』 アモス・オズ
 
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