フランス出身のジャーナリスト/写真家/映像作家レイモン・ドゥパルドン。彼が監督した作品は世界的に高く評価されているが、日本ではこれまで映画祭以外では公開されることがなかった。日本初公開作品となるドキュメンタリー『モダン・ライフ』(08)では、家族単位の小規模農家の素顔が、長回しによる静謐な空間のなかに映し出される。
山間の地に暮らす農民たちは、高齢化や後継者不足という深刻な問題を抱えながらも、自然や動物とともに昔ながらの生活を営んでいる。ドゥパルドンは、晩年を迎えた農民と様々なかたちで農場を引き継ぐことになった若い世代に注目し、彼らがお互いのことをどう考えているのかを聞き出していく。
80代の老農夫は、農場を継いだ甥に情熱が欠けているという。末っ子というだけで家業を継いだある息子は、農業が嫌いだという。高齢の農民たちは引退後も同じ労働を黙々と続け、農業に憧れて家族と村に転居してきた若い主婦は、結局、農場計画を断念する。
このように書くと、小規模農家が直面している現実や世代の軋轢を描いた映画だと思われそうだが、それは大きな間違いだ。ドゥパルドンが本当に見つめているのは、私たちすべてに関わるとてつもなく大きな出来事なのだ。
たとえば、フランスの先鋭的な作家ミシェル・ウエルベックは小説『素粒子』のなかで、“形而上学的変異”という言葉を使って「大多数の人間に受け入れられている世界観の根本的、全般的な変化」を表現している。この映画が描くものも限りなくそれに近い。
かつて人々は、自分が生まれた場所の周辺で一生暮らし、親と似た仕事で生計を立て、精進すれば死後によりよい世界に行けると信じていた。しかし、「世界観の根本的、全般的な変化」が起こり、そんな確信を破壊し、人間を決定的に変えた。
私たちには選択肢があり、現世で自分にあった豊かで幸福な生活を実現しようとする。それは素晴らしいことであるはずだが、消えゆく農民が見せる人生に対する“確信”と向き合うと、現代人の豊かさや幸福の基盤があまりにも脆弱に感じられる。この映画は、近代をめぐる断層と幻想を実に鮮やかに浮き彫りにしているのだ。 |